繋いでいるのは<5>








「始め!」

凛とした合図を皮切りに、試合が始まる。
波のように押し寄せる観衆の声に、シカマルは耳に指を突っ込んだ。
轟音とも言える歓声に、不快そうに眉を寄せたシカマルの腹を、隣でイノが肘で突いた。
「どーせ早く帰りてーなー、とかナルトといちゃいちゃしてーなーとか思ってんでしょ」
「詳しく言うなら、風呂でくるっくるに洗ってやって一緒にメシ作って膝に乗せて食わせてやって」
「もーいい、黙って」
予想以上に病んでいたシカマルと、イノは数歩距離を置いた。
「イノ、こっちで一緒に観よ」
サクラの誘いに二つ返事で頷き、湧き上がる試合会場へと進んだ。
シカマルは、ゆったりと壁に背を預け、腕を組んでひらひらと手を振った。
ちょうど出入り口にもなっているその場所は、観覧席よりも特等席であった。
(ま、ナル以外の試合にあんまり興味はねぇけど、一応見物しておくか)
どこの部署も、万年人手不足に悩まされている。
良い人材がいれば目をつけておかなければな、と苦笑う。

(ナルは・・・次の次か)
視線の先には、かつて中忍試験を受けたときの自分達くらいの子供達が技を競い合っている。
まだまだ目で追えるほどの甘ったるさも感じる攻防だが、鍛錬を積めばどうにでも伸びる。
大事なのは、適材適所、何がその者の強みとなる能力になるかを見極めることだ。
(ありゃあ駄目だな、力のゴリ押しでなんとかなってるだけ。もうひとりは・・・防御に徹してしまってはいるが冷静な判断はしてるかな)
後に火影へ報告せよとの達しがあったので、ひとりひとりの箇条書きでメモをする。
ひとりになるためにイノ達を遠ざけた理由がこれだ。
(ま、嘘じゃないがな)
本心から、帰ったらあの可愛い金髪を砂糖菓子みたいに甘やかしてやろうと思っている。
そのために、今日は夜の任務は2人分の休みを取ったのだ。
・・・火影は泣いていたが。

ふ、と笑って火影を盗み見る。
隣にシズネを携えて、試合を観覧する火影の姿にシカマルは方眉を上げた。
「なんだ・・・?」
きれ長の瞳が訝し気に細められる。
皆、試合で夢中なのか、自分以外に気付いた者はいないようだが、火影は影分身であった。
本体の居場所を探ると、どうやら火影室にいるらしい。
仕事でもしているのだろうか。
おかしいな、と腕を組み考える。
ナルトが中忍試験を受けることを誰よりも楽しみにしていたのは、間違いなく猫可愛がりしている綱手だと言うのに、
特等席で本番を見ないなんてあり得ない。
影分身に仕事をさせてでも、本体は試合を見に来るであろうことは明白なのに。
来ない・・・来れない?
「・・・なんかめんどくせぇこと起きてんじゃねぇだろーなぁ・・・」
呟いた声は歓声に飲まれ、溜め息と共に消えた。



シカナルの不安は的中する。
気配を消しつつ、隣に降り立った火影の使いがそっと耳打ちし、シカマルは隠すことなく眉を寄せた。
「人数は」
「約200と伺っております」
「どこの忍だ?」
「ばらばらです、全て抜け忍のようです」
「いつやって来る・・・いや、いい。自分で探る」
使いの者によると、どうやら徒党を組んだ抜け忍達が木の葉を襲撃に来ると言う。
そして目的地は、この試験会場だと。
綱手は既に現地にいるシカマルへと戦略を考えろと命じてきた。
動ける忍は、既に抜け忍達を国に入れないようにと向かったらしいが、急遽用意した付け焼刃では全員を抑えられる確立は低そうだ。
周囲の歓声を消しながら、気配を外へ外へと巡らせると、確かに潜めてはいたが冷たい感じのする気配が報告分だけ感じ取れた。
そこへ向かっているいくつかの気配は、綱手が放った木の葉の忍なのだろう。
(試験会場にまっすぐか・・・目的は、)
周囲の歓声の色が変わる。
戸惑いと、憎しみと、嘆きの混じった動揺が波となって、シカマルの愛する金髪へと押し寄せる。
とうとうナルトの出番らしい。
(目的は、九尾か)
風に靡く金髪は、罵声をその小さな背で受け止め、夜色の格好と月のように静かな表情はまるで暗部時のときのもの。
手加減をするつもりはないということだろう。
一瞬、抜け忍達がいるであろう方向へ視線を投げ、怪訝な顔を見せた。
そして、シカマルにどうする?と蒼い瞳で訊ねてくる。
(何者でしょうか)
直接頭へと響く声に、シカマルは同じように念を送る。
(さあな、いろんなとこの抜け忍が集まって、お前を狙ってここに来るってとこだな)
(・・・すみません)
またしても自分のせいで迷惑が、としょげるナルトに、責めている訳じゃないのだと宥める。
(俺も行きます)
(試験はどうする、影分身で受けるつもりか?)
(それは・・・でも、俺もお役に立ちたいです・・・)
ナルトの懇願に、シカマルは数秒、顎に指を這わせ思案する。
そして密やかに、笑う。
その笑みを伝達に来た新米暗部だけが見てしまった。
背をぞっとするような冷たさで、何かが走り抜けた。
(わかった)
ナルトが顔を上げる。
(おおいに役立ってもらうぜ?)
(!はい・・・っ)
滅多にない頼みごとに、ナルトは透けるような蒼をきらきらと輝かす。
シカマルは隣の新米暗部に、短く指示を与え、見送った。
(じゃあまずその対戦相手、さっさとぶちのめしちまえ)
くつり、と笑うと、試験官の手が上がった。
「始め!!」


しんと、歓声が止む。

まるで息の仕方を忘れたかのように。
まるでからだの動かし方を忘れたかのように。
まるで時が止まってしまったかのように。

会場の時間が止まる。
静まり返った中心に佇むのは陽光を弾く金髪で。
足元には、先ほど開始と同時に飛び掛ったはずの対戦相手が四肢を投げ出していた。
「あの、」
時が動き出したかのように、試験官がはっと顔を上げると、困ったように眉をハの字にして見つめる金髪がひとり。
「倒しましたけど」
カウントとります?
「は・・・」
まだ呆気にとられているからだを叱咤して、のびた対戦相手を覗き込む。
「し、勝者・・・!」
うずまきナルト、とやや裏返った声が会場に響いた。
途端、起こったものは、歓声なのか、怒声なのか、戸惑いなのか。
ナルトには、もう里人がどのような気持ちで何を言っているかなどどうだって良かった。
ついと、かつての同期達が跳ねて手を叩いているのが見えて、笑みが漏れた。
すごいすごいとイノとサクラが手を取り合ってはしゃいでいる。
その向こうで、壁に凭れつつも拍手を送る恋人がいる。
(これって、とても)
幸せなことではないのだろうか。
自分の大切な者達が、自分の勝利を喜んでくれている。
にこりと小首を傾げて照れた笑いを返せば、なぜかヒナタとキバの顔が紅くなりその場から消えた。
どうやらその場に倒れたらしく、シノとチョウジが抱き起こして、なんでもない、とジェスチャーした。
「・・・?」
(熱射病でしょうか・・・)
あとでシカマルに良い薬をもらってあげようと、変な気を利かせている金髪の思考が読み取れて、シカマルは苦笑する、暇もなく。

(来るぞ)
(!はい・・・!)
すぐ傍まで近付いてきている気配に身構える。
実は、先ほどの新米暗部に、この会場へ抜け忍達を陽動するように伝えておいたのだ。
その伝達は、新米暗部から心話で、抜け忍達と対峙していた他の暗部達に伝わったのだろう。

凭れていた壁を離れ、シカマルが叫ぶ。
「緊急配備!!」
途端、どこに身を潜めていたのか、忍達が会場の至る箇所から現れ、観客は何が何やらわからず目を白黒させて身を竦ませた。
「皆よく聞け!火影の命により今から俺がここの指揮をとる!!
今ここに他国の抜け忍達が向かって来ている、結界張ってやるから死にたくなければ騒がず今いるところから一寸も動くな!
試験官!そこに転がっている奴連れて行け、邪魔だ!」
それぞれがシカマルの意によって動き出す。
観客はやはり不安から騒ぎ始めたが、至るところに配置された忍達によってだんだんと静かになっていく。
それを確認して、シカマルはナルトの隣に降り立ち、会場を包むように結界を張った。
中央の、2人の立つ周辺だけは除き、結界はドーナツ型に形を変えた。
「今からお前の独擅場だぜ?」
暗にナルトひとりで抜け忍達の相手をしろと言っているのだが、結界で守られた観客は守る気遣いは必要もなく、
普段の暗部任務時にこなすものと大差のない敵の殲滅となれば、ナルトにとっては容易い仕事だ。
「俺はサポート役だ。捕らえた者達は俺が影で引き受ける」
くしゃりと金髪を撫ぜてシカマルが笑う。
影がゆらりと水面のように波うち、生き物のように地を這った。
「はい、頑張ります」
言い終えるやいなや、ナルトの姿は空気に溶けた。
シカマルは頭上に視線をやり、にやりと口角を上げる。
「最高の演出だな」
試験会場の切り取られた空を覆うほどの忍達が、ナルトに襲い掛かる。
九尾の力を持てども、表ではたいした実績も積んでいないナルトを敵の忍達は嘲りをもって武器を振りかざす。

なんと容易いのだろうと、腹の底で笑いながら。

心を読まずとも漏れる表情に、シカマルは同情の笑みを零す。
すぅと細められた蒼で向かう恋人の姿に見惚れながら、振り向かない彼に、背を預けられている事実に充足した気分にさえなる。
いつの間にか取り出された銀線を指に絡め、チャクラを通すと、命があるような動きをとって、銀の光が空に輝く。
そのあいだを流れるような動作で敵を殲滅に追い込む金髪は、陽光を弾いてそれはそれは美しかった。
罵倒していた観客も、知らず知らず見惚れてしまう、それほどの力を持っていた。
平伏す敵の忍達を、後片付けとばかりにシカマルの影が飲み込んでいく。
まるで意志を持って喰らっているかのような影は、いっときも沈黙することはなく地を這っていた。
敵は確実に減っていき、そして最後のひとりにナルトの一線が光る。
最後のひとりをシカマルの影が飲み込んだのを見届けて、影はゆっくりとシカマルの足元へ戻っていった。
音もなく、ナルトがシカマルの隣に降り立ち、薄く笑む。
息も乱れず、何事もなかったかのように笑む金髪を、恐ろしいとは誰も思わなかった。
夢でも見ているかのような眼差しで。
苦笑して、シカマルが会場に張っていた結界を解く。
それをきっかけに、会場に歓声が響いた。
畏怖でも憤怒でも罵倒でもない、一番驚いたのはナルト本人で、顔を真っ赤にしてシカマルの袖をぎゅうと握った。
「シ、カ・・・」
「うん、よくやった」
柔らかな金髪を撫ぜてやったら、潤んだ蒼がシカマルを見上げる。
一瞬ぐらついた理性を気力で立て直し、やっと本体で到着した綱手に叫ぶ。
「任務完了だ。こいつ、合格だろ?」
「ははっ当たり前だろう!なんならついでに上忍試験もやっちまうかい?」
ひとりの犠牲も出さずに済み、綱手は上機嫌に言葉を返す。
綱手の冗談に、会場は更に沸き立った。
もともとひとを惹きつける力を持っていたことを、ずっとずっとこの愛しい恋人に知って欲しかった。
隣で居心地が悪そうに耳まで真っ赤にして立ち尽くす金髪に笑えば、頼りない声がシカマルだけにしか聞こえないような声で。
「シカ・・・」
「なんだ?」
あの、と視線を彷徨わせ、
「勝ったら、勝ったから、あの、」
首まで紅く染まったナルトが、ゆっくりと顔を上げる。

「あなたを、もらえる?」

不安気に揺れる蒼に、シカマルは盛大に笑った。

「ああ、」

このからだも心も自分の持っているもの全て。

「お前のだぜ?」

腕を広げてやれば、濡れた蒼が細められる。
お前のためならなんだってくれてやる。

愛しい愛しい、俺だけの。



仰いだ空は、自分の大事な宝物の色に似ている。






モドル