あらゆる物事に対して希薄であった自分の感情は、
いともあっさりと
溶けてしまった
忘れても<4>
コンコン、と軽いノック音がした。
「失礼します」
いつもの看護婦ではない、男性らしき涼やかな声に首を傾げる。
覚えのない声に思考を走らせる。
ガラリと開いたドアから見えた姿は、細身の青年。
忍服ではなかったが、気配の抑え方から忍なのだろうと推測する。
黒髪で茶色目の、色彩だけで言うのなら至ってこの里では一般的なものであったが、整えられた顔に目が離せなかった。
近付いてくる青年は緊張しているのか、若干表情は硬いものであった。
「お加減は・・・?」
「へ?あ、ああ・・・悪くない」
見惚れていて反応が遅れたなど言えないが、それほどに心を奪われてしまったのは事実だ。
記憶にはないがこの青年は自分を知っているようで、見舞いに来てくれたのだろう。
(俺って・・・面食いだったっけ?)
やや赤らんだ頬を隠すように目を逸らす。
「・・・そうですか」
「ああ・・・あの、悪いが、俺今ここ一年ほどの記憶がねーんだ。きっと、お前と会ったのも最近だろう?
名前を教えてくれないか?」
「あ・・・すみません。俺のことは、緋月と呼んでください」
緋色に月と書きます、と話している内に緊張が緩んできたのか随分和らいだ表情で笑った。
その笑顔に心臓が跳ねたことに自分で驚く。
胸の奥がざわめく。
(もしかして、こいつが・・・?)
記憶がなくてもからだが覚えているのだろうか。
心臓がうるさいくらいに鳴るのに、どこかでゆったりと構えていられる自分がいる。
「緋月は上忍か?」
「・・・いえ、あなたとは暗部の任務でお会いしました。今はあなたのパートナーです」
まさか夜の任務で会っているとは思っていなかったシカマルは思わず緋月の顔を凝視した。
灰のない雰囲気に優しげな表情からはあまりにも結びつかなかった。
「そう、か・・・てことはその姿は変化か」
こくりと小さく緋月が頷く。
パートナーだからとは言え暗部内では、いくら親しくてもあまり互いの素性や姿を晒すことはしない。
緋月と言う名もおそらくは暗部名なのだろう。
その流麗な姿が変化なのは残念な気はしたが、彼の口調や雰囲気は持ち前のものなのだろうと思う。
「なあ、もしかしてお前が・・・“ナル”・・・?」
呼ばれるとは思っていなかったその名前に緋月の肩が揺れた。
その様子をシカマルは見逃さない。
「覚えて・・・?」
「いや、両親から聞いた名前なんだが、なんとなく、お前かと・・・」
珍しくあやふやな、確固たる確証もないものではあったが、緋月の様子から間違いではないようだ。
緋月の目が一瞬だけ蒼く揺らいで、その色に再び捕らわれる。
「緋・・・いや、ナル、本当の姿見せてくれないか・・・?」
「え・・・」
びくりと小さく後ずさるナルトの腕を逃さず取り、
「お前のこと、思い出したいんだ」
記憶がなくても磁石のように惹かれるこの人物をもっと知りたいのだと、心の底から思う。
「で、も・・・」
きょろきょろと視線を彷徨わせるナルトは困ったように立ち尽くす。
幸いこの病室は個人部屋で、シカマルの他には誰もいない。
頼む、と見据えられては否とはナルトには言えない。
わかりました、とやんわり自分を掴んでいたシカマルの腕を外すと軽く印を組む。
「・・・解」
ぼふんと白い煙が舞い、間もなく現れた姿にシカマルは固まった。
現れたのは、背が自分の胸ほどしかない金髪碧眼の少年。
頬に三本線の傷を持つこの少年を、この里の大半は知っていた。
「うずまき・・・ナル、ト・・・?」
まさか、と言葉を失うシカマルに悲しそうな表情をしてナルトは俯いた。
「・・・10年ほど前に、あなたに助けていただいたことがありました。嬉しかった」
とても、と俯いたままナルトは薄く笑う。
「それからずっと、あなたが、好きでした」
たとえ同情で助けてくれたのだとしても、自分を助けてくれる者などこの里には殆どいない、だから嬉しかったと言う。
「一年ほど前、偶然夜の任務でご一緒させていただいて、それからずっとあなたとはツーマンセルを・・・」
「・・・」
言葉が出なかった。
本当に思いがけなかったのだ、色んな意味で。
うずまきナルトと言えば九尾の襲来事件の被害者であり、里の厄介者とされている。
確かに5、6年ほど前に里人に殴られていたところを助けたことがある。
忍は里を守る立場故にどんな理由があろうとも里人への暴力はあってはならないのだ。
しかしいくら下忍で落ちこぼれと言えど、忍であるなら里人を往なす程度はできるはずなのに
この金髪の子供はされるがままに暴力を受け止めていたのだ。
小さな子供を数人の大人達が何の遠慮もなく殴っていたのを覚えている。
面倒ごとは嫌いだが、それ以上に許せない倫理的な思考が働いた。
助けた自分を金髪の子供は不思議そうに見ていた。
なんで?
そう、言われた、記憶が蘇る。
「・・・シカ?」
「・・・っ」
黙り込んだシカマルを、ナルトが覗き込む。
大きな蒼に、心臓が跳ねた。
助けた頃より随分大きくなってはいるが、それでもまだ子供。
あどけなさが強く残る。
親に甘えていて当然の年齢で、下忍をしながらも夜は世話になった三代目への御礼返しか暗部で働いているのだ。
親はあの4代目だと言うから、もともと逸材であったのだろう。
九尾が関係しているため、力があると知れれば上層部からの極刑を受けるかもしれないから
三代目も緋月と二つ名を与えたのだろう。
時々見かけた下忍姿のナルトは、今とは別人とも言えるほど雰囲気が違っていた。
今の子供らしからぬ落ち着いた様が本当の姿なら、あの子供らしいはしゃいだ様は里人用の演技。
自分の気持ちに整理がつかない。
こいつへの想いとは、何なのだろう?
同情?
愛情?
聞くだけで可哀想な境遇に、記憶のあった自分はどういう気持ちでこいつに接していたのだろう。
愛情だと、言い切れるか・・・?
もし同情で優しくしていただけなら、逆にこの子供を傷つけることになるのだ。
「シカ・・・」
迷う心は目に表れる。
「俺、はあなたにもう一度、好きになってもらいたいです」
もう一度、と言われて心を読まれたのかとたじろいだ。
「もちろん、それはただの俺の希望です。あなたに無理を強いる気はありません。その上で、お願いがあります」
どこまでも自分を気遣う金髪を、抱きしめたいと思う気持ちは何なのか。
「・・・もし、あなたが俺のことを受け入れられないと思ったときはちゃんと離れます」
枷にはなりたくないのだと吐露する子供に泣きそうな気持ちになるのは。
「ときおり、任務以外のお時間を少しだけいただけますか・・・?」
そうして俺を知ってくださいと、寂しそうに笑うナルトに触れたいと思うのは。
なんだ?
ズキリと、頭の奥が響いた。
考えることもせず、気付けばこくりと頷いていた。
それを見てナルトは寂しそうな色は消えなかったが、至極嬉しそうに笑った。
胸の奥が疼いた。
モドル