目の前の、こちらが心配になるほどに狼狽しうろたえる男に、子供は困ったように見つめていた。
子供の肩を痛いくらいに掴み、本当に自分がわからないのかと問うので、そうだと頷いた。
伏せていた視線を上げて見ると、男はまるでこの世の終わりを見たかのような表情で、がっくりと項垂れてしまった。
その姿にどうしようもなく胸は痛んだが、それが何故なのかが全くわからない。
彼の家族と思われる男女が宥めるように背を撫ぜて近くの椅子に彼を座らせた。
長い指で顔を覆い、背を丸め折り曲げられたからだは、長身の男をひとまわりもふたまわりも小さく見せていて。
けれど、どうやって彼を慰めて良いのかわからない。
ひどく居た堪れない気分で俯いた。
何もわからない。
覚えていない。
今明らかなことは、ひどくからだが、特に頭が痛くて。
目の前の男を苦しませている原因が、
どうやら自分にあることだ。
忘れても-naruVer-<1>>
気がつくと、薬品の匂いが鼻をつく病室にいた。
開かれた視界、電灯の光が眩しくて、小さく唸って目を細めた。
なる、と声が聞こえて振り向くと、泣き出しそうな男の顔。
ほっと肩をすくめて、よかった、と自分の肩に顔を埋めて深く息を吐いた。
あたたかい温度が薄い服ごしに伝わる。
心地良い熱に、瞼が落ちそうになる。
「2日眠ったままだったんだぞ…」
離れがたそうに少しだけ距離をとって、男が優しく頬を撫ぜてくれる。
「すげぇ心配したんだからな」
「………」
責める言葉とは裏腹に、声はとても優しい。
そんな様子をただただじっと見つめる。
真っ黒の髪、頭のてっぺんで括っていて、つり上がり気味の髪と同じ色の瞳。
服までも黒で統一されており、細身のからだを折って自分を覗き込む表情はどこか安らぎを与えてくれる愛情が溢れていた。
けれど…
「…ナル?」
「あなたは、だれ…?」
知らない。
わからない。
自分に対して溢れるような愛情と抱擁をくれるこの男を、自分はまるで知らなかった。
それどころか目の前の男以前に、
「これはだれ……?」
自分の手のひらを見つめて問う掠れた声に、目の前の男はゆっくりと後ずさり、座っていた丸椅子を倒して部屋を飛び出した。
ぼんやりとその様子を見つめ、出て行ったドアの向こうから間もなく、亜麻色の髪を揺らして駆け込んで来た女。
その後ろから先ほどの黒髪の男と、彼に良く似た男女、おそらく彼の両親であろう二人も室内へ入った。
亜麻色の髪の女は、厳しい顔つきで自分のからだの隅から隅まで検分し、その合間にいくつも質問をされた。
名前は?年は?何でも良い、何か覚えていないか?
どの質問にも自分は否と答えた。
答えるたびに、女の隣にいた黒髪の男は哀しい顔を深くするので、途中で答えるのを放棄した。
そして冒頭に戻る。
女は深く息を吐いて、彼らを連れて部屋を出た。
意識を部屋のドア付近に寄せれば、彼らはドアの前で話をしているようだ。
無意識に神経を尖らせると、話している内容も耳が拾う。
「…一時的な記憶障害だろう。頭部を強く打っていたから想定範囲内だ。
九尾の治癒が外傷をほぼ治しているし、脳だって治してくれるだろうさ」
「だと、良いのですが…。自分さえもわからないなんて…」
涙声の女性は、黒髪の男の母親だろうか。
「心配するな。しばらく様子を見よう。お前達ずっと寝ていないんだから、ナルトも目覚めたことだし少し休め」
「俺は大丈夫です。もう少し傍に居てやらねえと…母さん達は一度帰って休めよ」
黒髪の男がそう言うと、そうだな、と彼よりも少し低い声。
「ふん、お前が居たいだけだろ」
からかうような亜麻色の髪の女に、話していて気が落ち着いてきたのか、幾分強い声色になった黒髪の男に、少しほっとした。
「そうです。有休なら腐るほど残ってますからね、有意義に使わせてもらいますよ」
「…解部の奴等が死ぬ前に戻れよ、シカマル」
(なると…が、これ、のなまえ…)
このからだのなまえ。
(しかまる…)
男の名を聞いたら、ほんの少しだけ、目の前の景色が鮮やかになったような気がした。
ベッド脇についていた洗面台、寝たきりでいたために軋むからだを伸ばして鏡をのぞいてみる。
頼りない細いからだ、短い金髪に不安気な青い目。
頭にはぐるぐると包帯が巻かれ、腕には点滴の針が刺さっていた。
鏡に映る自分の姿に、覚えはない。
思ったよりも幼い姿だった。
いったい幾つなのだろうか、それすらもわからない。
ガチャリ、とドアの開く音に反応して視線を送る。
入って来た男が慌てたように近寄った。
一人のところを見ると、他の者達は帰宅したのだろう。
「こら、まだ動くな。安静に、な?」
苦笑して、自分の背に腕を差し入れ、ベッドに寝かされる。
少し落ち着きを取り戻したように見えた。
「…調子はどうだ?まだどこか痛むか?」
幼い子に話しかけるように優しく問う声。
「ここ…」
頭の包帯に少しだけ触れる。
傷の痛みと言うよりは、角度を変えると痛む、頭痛のようだ。
「わかった。あんまり酷く痛むようなら痛み止めをもらおうな」
「うん…しかまる」
男の名を呼んだ。
驚愕に目を見開くシカマルは、震える声で、わかるのか?と問うた。
きょとんとしながら、
「こえ、きこえた。おんなのひとが、あなたを、しかまるとよんだ」
自分の答えに、「ああ…」と肩を落とし項垂れる。
その姿に、やっぱり胸が痛む。
そうだよな、こんな急になんてないよな、とひとりごちる男は、自分に言い聞かせているようだった。
「そう、俺はシカマル。で、お前はナルトだ」
ベッド脇の、先ほど彼が倒していった丸椅子を元に戻して座る。
「一時的な記憶障害だってさ。すぐに色々思い出すだろう。心配しないでゆっくり休もうな?」
お前は働き過ぎなんだよ、と額をするりと撫ぜて優しく咎める。
「これ、は、はたらいてる?」
手のひらを見つめて問う。
「これ、じゃなくて“俺”な。物みたいに言うな」
わかった、と頷けば、シカマルは説明を始める。
「俺達は忍…この木の葉の国を守る仕事をしているんだよ。お前もそう。その額宛が忍の証だ」
ベッド脇、洗面台とは逆に設置されていた小さな棚の上に、自分の物らしき黒い服と、陽光を弾いて輝く額宛が。
額宛の隣には小さなポーチ。
気になって手を伸ばし、中を確認すると、文字の書かれた札の束と三角の紙に包まれた薬品、小さな瓶に入った液体、銀色のワイヤー。
何気なく手に取った銀色のワイヤーを伸ばしたり指に絡めたりしてみる。
「銀線。それがお前の十八番だよ。チャクラを流して操るんだ」
「ちゃくら…?」
不思議そうに聞き返すと、シカマルは笑って銀線と呼んだワイヤーを指に絡ませる。
「俺はこういうのはあんまり得意じゃねえんだけど…」
シカマルの指の動きに合わせて、銀線は重力に逆らった動きを見せた。
シカマルから銀線を受け取り、同じように指に絡めてみる。
言葉では上手く説明できないが、イメージは容易にできた。
空中をゆらりと跳ね上がって舞うようなイメージ。
ゆっくりと瞬いて、見えた視界には、イメージ通りの宙を舞う銀線。
「からだが覚えてるんだろうな。お前に関わる物、忍具でも巻物でも揃えるから触れてみるか?」
きっと早く思い出せるぞ?と促され、こくりと頷いたら、シカマルが笑った。
それがとても嬉しくて、どうにかなりそうだった。
思い出すことは、彼を喜ばせる。
モドル