忘れても-naruVer-<2>
いつもよりかなり早い目の帰宅。
と、言っても昨夜は徹夜であったから、世間の時刻では早くとも、自分の中ではいつもの2倍仕事をしたことになっている。
眉間を指で解しながら歩くのは、奈良家の嫡男であるシカマルだ。
疲れているし、睡眠不足。
しかし今日の精神は頗る元気だ。
なぜなら。
今からナルトと待ち合わせて食事と買い物をする。
所謂デートと言うやつだ。
その年で何を浮かれているのかと言うなかれ。
今まで色恋ごとになど全く興味を向けなかったシカマルは、遅すぎる初恋とも言える恋に嵌っている。
姿かたちも心の中も、全てが愛しいと思うし譲りたくないと思う。
演技とは言え、下忍時での太陽のような笑顔も、
言いたいことも言えず少し我慢する切なげな表情も、
自分にだけ見せるあどけない寝顔も、
(全部全部俺のだ)
こんな考え方、よろしいなんて思っていない。
でも、ナルトはそれを許した。
それが嬉しいのだと言ってくれたから。
自分は彼の倍、愛そうと思う。
ナルトは今日、どんな任務をしたのだろう。
下忍の任務だから、草毟りとかそのあたりだろうか。
小さな恋人を思い描いて、知らず知らず笑んでいた自分の頬を軽く叩く。
まだ親に守られていてもおかしくない年齢で、昼夜任務にあたる日々。
九尾め狐めとなじる大人たちは、影で彼らを守るため奔走する子供がいることを知らない。
その事実はいつだって歯痒く、苦々しい。
自分が黙っていられるのは、ナルト本人が、それで良いのだとシカマルを宥めるからだ。
(待ち合わせって良いなあ…)
心が浮き立つ。
空さえ歩いていけそうな、その感覚は快感にも似ている。
このまま歩いて行けば、ちょうど良い時間に着くのではないだろうか。
時間に律儀な彼はきっととうに着いていて、待っていてくれているかもしれない。
自然に足が速くなる。
まだ肌寒いこの季節。
桜は散りかけ、葉桜に姿を変えようとしていた。
(ゆっくり花見もできなかったな)
きっとあの子は、葉桜だって喜ぶのだろうけれど。
恋人だけれど、父親がするようなことだってしてやりたいと思うことは多々ある。
与えられなかったであろう様々なことを。
道の向こうに見えた明るい髪色に思わず更に足早になるが、すぐに見間違いだと気づいた。
自分の愛し子よりは控えめな輝きを放つ白金の髪を揺らしてこちらへ駆け寄って来るのは、猪鹿蝶で繋がれた幼馴染の女の子。
「イノどうしたよ?」
青い顔で、気分でも悪いのかと危惧したが、それよりも。
なぜだか涙をいっぱいに溜めて見上げるイノに、嫌な予感がした。
「シカマル…!」
息を切らし、今にも泣きそうな表情で。
ナルトが、と小さな唇が消え入りそうな声を零したのを、シカマルは確かに拾った。
ようやくナルトの顔を見れたのは、待ち合わせていた場所からずっと離れた木の葉病院。
点滴の管で繋がれたからだには、いくつもの痣と血塗れたガーゼがべったりと貼り付けられていた。
きらきらの金髪には幾重にも包帯が巻かれ、小さなからだがベッドに沈んでいる。
何が起きたかなんて、聞かなくたってわかる。
任務外で作られた傷なんて、加害者の喚く理由などいつだってひとつだった。
九尾の事件で傷ついた里人にナルトは同情してしまうのか、よくされるがまま傷を甘んじて受けることは少なくなかった。
そのたびにシカマルは怒って諭して抱きしめる。
最近は幻術を使うなりして、上手く流すようになっていたから安心してしまっていたのだ。
暗部総隊長であるイルカの次に強いと言われており、その実力はシカマルも自身の目で見て評価に間違いないと思っている。
それなのに、どうして。
発見者は、シカマルを案内してくれたイノだったそうだ。
ぴくりとも動かないナルトを前に、ぽつりぽつりと一部始終を語ってくれた。
任務が終わり、ずっと時間を気にしていたナルトに「シカマルとデートでもあるの」と問えば、紅い頬で黙って頷いた。
あらあら仲のよろしいことでとからかって見送ると、イノはチョウジを誘って甘味処へ。
早めに終わった任務、甘味処で潰した時間もそれほどではなく、待ち合わせ場所を聞いていたイノはナルトの様子をこっそり見て帰ろうと思ったらしい。
こんなことしてたでしょって、幸せ者を次の日からかってやろうかと。
待ち合わせの大きな桜の木の下。
着いたら誰もいなかった。
さすがに一刻も過ぎているから、移動したのだろう。
少し残念、と苦笑して踵を返したとき、高らかに叫ぶ声を聞いたのだ。
初めは意味がわからなくて、ただ首を捻った。
けれど、声がとても禍々しくて、何故か立ち止まってしまった。
桜の大木の傍には、川とそこに続く土手と草原が茂っている。
土手を登って、数人の里人が何かを重そうに手にして引きずっていた。
ある者は猟銃を、ある者は畑で使う鉈を、ある者は川原にあったであろう石を、それぞれ手にして。
皆真っ赤な返り血を纏って、嬉々として笑っている。
その姿にぞっとした。
チョウジと別れ、ひとりでこんなところへ来てしまったことにとても後悔した。
そして、里人達が手にしていた“もの”を目にして、全身が震えた。
赤黒く濡れた金髪、汚された白い肌、今は伏せられた蒼の対。
元気な彼のようなオレンジのパーカー、その全て。
イノはとても良く知っていた。
夢だと思った。
こんな酷い光景、絶対に夢なんだって。
引きずられるからだ、ぴくりとも動かない。
あまりの惨劇に、時間が止まってしまったかのようだった。
そして思い出す。
さっき里人達が嬉しそうにあげた言葉。
“狐狩りだ!”
理解して、頭の中が沸騰するかと思ったくらいの怒りが。
笑う里人達に向かって走り出す。
ほんとうに頭の中が真っ白だった。
無にするなんて無理だと思っていたけれど、そんなことない。
思考よりも先にからだが動いた。
それでも、こんなでも自分は忍のはしくれで、里人に忍術は使ってはいけないということは、頭の片隅にあったようだ。
今まで最高の飛び蹴りを食らわせ、あとはもうどうやって動いたのか覚えていない。
気づいたら、周りには地に伏せった里人達が。
どうしよう、なんて彼らには思わなかった。
まだ殴り足りないし、暴れ足りない。
けれど。
「ナルトっ…」
倒れたからだは動かない。
見ると後頭部に深く抉られたような傷があり、息はかろうじてあるが下手に動かすことは危険だと判断。
しかし早く病院へ連れて行かなければ。
おそらく彼を背負うことはできる。
けれど安全に運ぶことはきっとできない。
では、誰かを呼ばなければ…。
しかし頭が殆ど動かなく、やっと思い出せた父に、震える手で式を飛ばそうとして失敗する。
このあたりは花見のシーズンを抜ければ人気もなく、先ほどから誰も通らない。
どうしよう、どうしたら…。
焦る気持ちが、何度目になるかわからない式を失敗させる。
「っ…う…うぇっ…」
涙が溢れて止まらない。
泣いている場合じゃないのに。
このままじゃナルトが…。
「イノ?」
聞き慣れた声、涙もそのままに振り返ると、仕事帰りらしいイルカの姿。
帰宅途中だろうか、教材が入っていそうな鞄を手に久しぶりだなあと近づいて来た。
イノの涙に、その足元にあるイノの影に隠れていた存在に気付き駆け寄った。
「ナルト…!」
揺さぶろうとして、後頭部の傷を見て、差し出した腕を引き、ゆっくりとナルトの膝と首の下に腕を回しゆっくりと抱き上げる。
「俺が責任持って病院へ連れて行くから、お前は家に帰りなさい」
言うが早いか、イルカはそのまま瞬身で消えた。
涙をぬぐって、歩き出す。
シカマルに伝えなきゃって。
そう思ったの。
そう、イノは説明してくれた。
目の前には静かに眠る小さな子。
待ち合わせて、一緒の時間を過ごすはずだった。
九尾の治癒で、外傷は殆ど消えてしまったが、頭の傷が気になっている。
イノは後から病院へ来たイノイチが宥めるように連れて帰って行った。
イルカはもろもろの手続きをして、すぐに姿を消したらしい。
おそらくは今頃、加害者のことを調べ上げているのだと思う。
あらゆる権力を使って、報復を企んでいることだろう。
シカマルはナルトの眠るベッドに腰掛け、優しく金髪を撫ぜた。
「ごめんな…」
自分が守ってやれていたら。
不甲斐ない自身が情けなくて悔しくて、今はただ手を握ってやることしかできない。
せめて目を覚ましたときには、一緒にいてやろう。
そして2日目。
ナルトは目を覚ました。
記憶を全て失って。
モドル