忘れても-naruVer-<3>
ナルトが目覚めて三日目。
面会解除ということで、同期達がナルトの病室へと訪れることとなった。
同期達がひどく心配していたらしく、連日火影のところへ会わせろと詰め寄っていたらしい。
体調もだいぶ戻ってきていたし、何より同期達との対面という刺激を与えることで記憶を取り戻せるかもしれないと。
皆には記憶を失っていることを伝え、変に動揺させないようにと釘を刺してある。
ナルトはと言うと、同期達、と言われてもぴんとこないのであろう、ひとつ頷いただけであった。
対してシカマルは見舞いをもっと先にして欲しいと思っていた。
ナルトは、暗部であることも、暗部を担えるほどの力を持っていることも隠して下忍との二束草鞋で生きていた。
しかし今はそのことすら忘れている状態だ。
同期達が見舞いに来ている間に、今までのように隠し通せる気がしなかった。
口調も忘れているし、知識は忘れていても、からだは術の使い方を覚えている。
それはまだ隠しておきたい。
ナルトの実力が漏れれば、上層部は嬉々としてナルトを里の不安要素として吊し上げ、処罰を下すであろう。
力を隠していることをナルトに伝えたとして、そうなれば何故力を隠しているのかという理由を説明せねばいけない。
それがシカマルを億劫にさせていた。
九尾を己の腹に封じ込めていて、そのせいで力を表立って発揮できず、里人に恨まれているためなのだと。
里人を安心させるため、無力な子供を演じているのだと、そんなこと理解させたくなかった。
今の真っ白な心に、またもや傷を付けてしまうのだろうかと思うと、胸がキリキリと痛んだ。
ほんとうは、閉じ込めておきたい。
絹でくるまれるような心安らかな穏やかさを与えてやりたい。
傷ついて悲痛に歪んだ顔などしなくて良い、安寧な世界で生きさせてやりたい。
それがたとえ、今だけのほんの少しのあいだだけだとしても。
どうしようかと悩んでいるうちに、同期達はやって来た。
母のヨシノが、どうぞ、と彼らを病室に招き入れる。
チョウジが果物の詰まれた籠を渡すと、皆で食べましょうと用意に席を立った。
ナルトひとりでは広過ぎた部屋も、ずいぶんと狭く感じる。
シカマルも席を外そうと思ってベッドから腰を上げると、くんと袖を引っ張られる。
「どうした?」
問うてもナルトは答えない。
視線を彷徨わせ、いつになく落ち着きがない。
伺い見るように彼らを見つめるさまは、まるで傷ついた獣のそれのようだった。
(…不安、なのか)
今のナルトにとってみれば、彼らは初対面なのだ。
それもそうかと思い、ここにいるよと頭を撫ぜれば少しだけ表情が和らいだが、裾を掴んだ手はそのままだった。
やって来たのは、発見者でもあるイノと、チョウジ、サクラ、キバ、引率にアスマとカカシ。
他の者も来たがっていたらしいが、各々の事情で来れないのだと伝えられた。
「ナルト…もう大丈夫なの?」
先に声をかけたのは、桜色の髪を揺らした少女。
心配したのよ、と視線を合わせて少し怒っているような口調の彼女は、まるでナルトの姉のようにも見える。
問いかけられて、ナルトは少しだけ考えてこくりと頷いた。
「私だって心配したんだからー!血がいっぱい出てて、怖かったんだから…ほんとに……!」
「………」
じわりと涙を滲ませて、イノがナルトの座るベッドのシーツをぎゅうと握る。
俯いたイノの頭をじいと見つめ、おもむろに頭を撫ぜると、驚いたイノが顔を上げた。
ひたりと捉える蒼から目が離せないのか、ぽかんと呆けるイノ。
あなたがイノ?
確かめるようにたずねるナルトに、イノが頷くと、ナルトが小さく笑った。
「イノが、おれを…見つけてくれたって」
そう聞いた、と。
いつもの口癖もつけず、いつになく拙い話し方をするナルトは、まるで知らない別人のようだと皆が思った。
「ありがとう、イノ」
「…っ…い、いいのよっ…」
まっすぐに見つめる眼差しに耐えられなくなったイノは耳まで紅くしてサクラの後ろに隠れてしまった。
「何カオ真っ赤にしてんだよ」
不思議そうに見やったのは犬使いのキバだ。
「えっと、今は記憶喪失なんだよな?俺はキバ。改めて言うのも変な感じだけど、よろしくな。ほら、赤丸も!」
キバが上着のジッパーを下げると、首もとから元気良く顔を出す赤丸に、ナルトの視線は釘付けだ。
さすがに病室へ赤丸を連れては来れなかったのか常に傍にいる眷属は見当たらないと思っていたが、しっかり連れて来ていたらしい。
「あか、まる…?かわいい…」
おずおずと見つめる様子に、お前の方が千倍かわいいわ、と内心溜息をついたのはシカマルだけではない。
そっと手を伸ばすと、ナルトの指をぺろりと舐める。
その感触にびくりと震え、けれど再び腕を伸ばす。
「あ…さわっても、いい…?」
「いいぜ」
キバの了承を得て、ナルトはそっと赤丸を抱きしめ毛並みを堪能する。
「あったかい…」
頬を摺り寄せると、示し合わせたように顔を摺り寄せてくるしぐさにまた、かわいいと漏らす。
ぺろりと頬を舐められる。
「………」
すると、しばし思考にふけ、同じように舌を出し赤丸に顔を寄せようとしたナルトの頭をシカマルが慌てて掴み止める。
「何でも真似すんな」
その様子に、その場にいた同期達は唖然とした。
まるで小さな子供のようだ。
慌てたさまが怒っていると感じたのか、幾分しょんぼりと項垂れてしまったナルトに、違う、怒ったんじゃあないとシカマルが弁明する。
そのやりとりに「なんかかっこわりぃ」とキバが口を滑らせ、シカマルにじとりと睨まれる。
その様子にイノが噴出し、周りもつられて笑った。
ナルトはきょとんと呆けていたが、周りの笑顔につられたのか、穏やかに笑んだ。
「………」
―――やはり、違う。
自分達の知る彼ではない。
それがどれほど魅了する笑みでも、それでも。
彼らにとっては、このナルトは偽であり仮である。
きっとそう思っていることは容易に想像がつく。
まだ下忍とは言え、忍の端くれであるなら、そう思っていることを気づかせるような素振りはやめてくれと、シカマルは思った。
自分でさえ感じた彼らの違和感。
おそらくナルトも感じてしまっただろう。
俯いた横顔が、少し哀しそうに見えたから。
どちらかと言えば、本来のナルトがよくする笑みに似ていた。
つまりは、これがもともとの性質なのだ。
それを知るのは自分だけで良いと思っていたが、今ばかりは彼らにも知っていて欲しいと思う。
コンコンと控えめなノック音とともに入って来たのは、アカデミーの教師であり暗部総隊長をも務めるイルカであった。
「皆、来てたのかあ」
にっこり笑うイルカの穏やかさは、周囲の空気を和ませた。
「ナルト、体調はどうだ?」
「…わるく、ない…」
ナルトの返答に、イルカは「そうか」と笑ってナルトの頭を撫ぜた。
悪くないということは良くもないということだ。
少し疲れたのかもしれない。
記憶を失ってからは初めて見るイルカの顔を、ナルトはそっと伺い見る。
無意識だろうか、さっきと同じようにシカマルの服の裾を掴んでいる。
イルカもナルトの不安に気付いたのだろう、目線をナルトに合わせるように屈んだ。
「俺はイルカ。お前のアカデミー…忍になるための学校の担任だったんだ」
「がっこう…」
「そうだぞー。ここにいるこいつらも、お前と一緒に通ってたんだ」
「…そ、う……」
くしゃりと頭を撫ぜられて、一度だけ小さく肩を揺らしたが、イルカの笑みに嘘はないとわかったのか、すぐに表情を緩めた。
「あっそうだ!お見舞い作って来たんだ!」
意気揚々と、キバが持っていた紙袋から円形の板を取り出した。
「何それ」
訝し気に覗き込んだイノに、「ふっふっふ…見ろ!」と胸を張って掲げたのは、円の中に円が描かれている、いわゆる的。
手描きなのだろう、描かれた円は歪で、ところどころにキバの手についた墨が点々と付いている。
「やだー、きったなーい」
「なんだとぉ!?これ作んのにすんごい時間かかったんだぞ!?」
病室で退屈しないように、なおかつ修行修行がモットーのナルトに考えに考えた見舞い品。
確かに努力の賜物であることは認めるが、イノが言うように綺麗とは言い難い。
周囲は何とも言えず、苦い笑みを漏らしていた。
「キバ…キバ」
イノと言い合うキバの服をくいくいと引っ張り、手渡された的をしげしげと見つめていたナルトが呼びかける。
「ありがとう、うれしい」
何をするものなのか教えて、と笑うナルトにキバは大いに頷いた。
ナルトの笑顔に頬を染めたことは腹立たしいが、ナルトが喜んでいるのなら仕方ないと、シカマルは狭量な心に苦笑するばかりだ。
キバは的を病室の壁にかけ、数本のクナイをナルトに手渡す。
「あの的の真ん中に当てるんだ。まあ実際、任務では的は動くけど、何にもしないよりマシだろ?」
かつてアカデミーでイルカが指導したように、キバがナルトにクナイを持たせる。
「そうだなー、ただ的にクナイ当てるだけじゃつまんねーし…カカシせんせーに当てるつもりで投げてみろよ」
「何で俺!?」
ひどい!と涙目で訴える担当上忍に、日頃の行いが悪いからですよと、カカシの毎度の遅刻に悩まされているサクラが呆れ顔。
ナルトはそんなカカシをじいと見つめ、的に視線を移す。
手の中に納まったクナイをくるりと回し、流れるような動作で的へと投げた。
トン、とクナイは軽い音を立てて的の中心よりずれ、やや右上に当たる。
惜しい、とキバが興奮したように次のクナイを促す。
続けて数本放ったが、的には当たらず、的より頭ひとつ分くらい上にひとつ、的の上にひとつ、壁にクナイが刺さった。
あー…と残念そうなキバの声に、ナルトはきょとんと首を傾げた。
「うん…お前こういうのあんまりだったもんな。今の内に練習しとけよ」
な?と笑うキバを不思議そうに見ながら、ナルトはこくりと頷いた。
ヨシノがタイミング良くドアから顔を覗かせた。
「みんなー、チョウジ君からいただいた果物切ったからいただきましょ!食堂使って良いみたいだからそっちに移動しましょう」
ナルトも同期達に腕を引かれながら部屋を出て行った。
ちらりと振り向いて不安な色を滲ませる蒼にひとつ笑って、自分も後から行くよと伝えると、同じように微かに笑んで背を向けた。
シカマルは、ぞろぞろと食堂に向かう背中を見送ると、部屋にはイルカと二人きり。
イルカと目を合わせ、二人して先ほどナルトがクナイを放った的に視線を向ける。
「…ばっちりだな」
感心したように息をついたイルカは、暗部総隊長で見せる際の顔で言った。
「ええ、からだはちゃんと覚えているようです」
視線の先にある的。
カカシがそこに正面を向いて立っていたとすれば、的内のクナイは心臓に、的より頭ひとつ分上のクナイは額に、的の少し上は喉にあたる。
「カカシ上忍、即死だなあ」
「ええ」
シカマルとイルカ以外気付いていないようだが、全く的に当たっていないように見えるクナイはしかし、ちゃんと急所をついていた。
ナルトがキバを不思議そうに見つめるのも無理はない。
そのことに気付く素振りもない上忍二人に、イルカが呆れたように息をつく。
「今度、上忍の特別訓練を設けよう」
「…ほどほどにしておいてくださいよ。上忍対象だと俺も入るんですから」
面倒くせぇんで、といつもの口癖を零せば、筆記試験に落ちた者限定にするから良いだろ、と笑う。
そして、ふ、と暗部総隊長の顔に戻す。
「ナルトを襲った奴等のことだが、所在も身元も判明したぞ。案の定、里人だったが…まあこっちの処分は俺に任せろ」
「…わかりました」
素直に承諾したシカマルに、イルカは満足そうに笑った。
本当は、自ら手を下したいところではある。
が、イルカがこういう笑い方をするときは、障らぬ神に何とやら、任せてしまった方が互いのためになることは身に染みている。
「ナルトの容態はどうだ?」
「体調は少しずつ回復していますが、記憶はさっぱり…今はアカデミーで使う教科書をひたすら読んでますよ」
言葉が覚束ないが、文字は読めることがわかり、読み物を与えた。
今はスポンジが水を吸うように知識を取り込んでいる。
九尾のことを知られたくはなかったので、歴史に関する書物は与えていないが、術に関する書物は求めらるだけ与えている。
本人が強く希望したためだ。
何もかもが手探りで何かしていないと不安なのだろう。
「そうか…。俺にできることがあれば何でも言ってくれな」
「はい。ありがとうございます」
「退院後はどうするんだ?今週末にはするんだろ?」
からだの傷は治っているため、明後日には退院することが決まった。
週に一度の検査を義務づけられたものの、自宅での療養を認めてもらった。
「ええ、ここにいてもつまらないだろうし、俺の実家に連れて帰ります」
本来なら、ナルトが表で使っているアパートか、二人で住んでいる死の森奥地にあるシカマルのラボが適当なのだが、シカマルにも任務がある。
留守中にナルトを一人にさせたくはないし、それよりもヨシノがそれを許さない。
まだ何も頼んでいないのに、ナルトがの部屋も用意しているとシカクが先日こっそり耳打ちした事実に、もう揺るがないことを悟ったのだ。
「まあ、それが良いかもな」
ことのあらましを察したのか、イルカが苦笑した。
すると、なかなか来ないシカマル達が気になったのか、ドアからナルトが顔を見せた。
「いっしょに、たべよ…しかまる、イルカせんせ」
声をかけるのも勇気が必要なのか、少しだけ頬を染めて見上げるナルトに胸を鷲掴みされたような気分になったのはシカマルだけではない。
「うわ、俺今きゅんときた…」
「きても良いですけど、あげませんよ」
シカマルとイルカの会話にきょとんと小首を傾げたナルトの頭を撫ぜて、引かれるまま手を委ねる。
いいよ記憶なんてなくたって
隣で穏やかに
笑っていてさえくれたなら―――――
モドル