忘れても-naruVer-<4>








「………」
「…シカマル、シカマル」
「……なんだよ」
子供のように唇を尖らせ拗ねているということを自覚していないだろう息子に呆れた色を含んで名前を呼ぶと、視線もよこさず返事が。
二十歳を超えた大人のすることではないぞと、わざとらしく溜息をついてみせる。
「男の嫉妬は見苦しいぞ」
「…うっせぇ」

―――自覚済みだっての。
不機嫌な顔を隠そうともしないシカマルの視線の先には。
母であるヨシノにぴったりとくっつき、台所で夕飯の支度を手伝う小さな恋人の背中。

先日、退院を言い渡されたナルトは、記憶が戻るまで、もしくは記憶が戻らなくとも不自由なく生活が送れるようになるまで奈良家で預かることとなった。
本当は、シカマルはナルトと二人きり、今まで自分の一人暮らし用として使用していた死の森奥地にある研究室を兼ねた自宅で過ごしたかった。
しかし自分にも任務というものがある。
綱手には有休を使うなどと言ったが、それでも2週間も解部を空けてしまっては、部署的にも後々のシカマルの作業的にもおおいに支障が出る。
記憶を失って右も左もわからぬナルトを一人、研究室に残しておくことはできなかった。
もとより奈良家で預かる気満々であったヨシノの願望通りとなった訳である。

(まあ、ナルトの面倒も見てもらえるし…)
何より、母親の記憶を持っていなかったナルトに、こうやって母親の思い出を作ってやれることは、自分には到底できないことだ。
以前からナルトとヨシノは仲が良かったが、やはりどこか遠慮があって、今のような距離感はあり得なかった。
寄り添うようにずっとくっついている。
ヨシノの家事の手伝いをすることは、今のナルトにとって、とても楽しいことらしい。
どれほど些細な質問にもヨシノは嫌な顔ひとつせずに教えるし、上手くできると必ず褒める。
勿論、失敗してからだに傷を作ったりすると叱責が飛ぶが、すぐに労わり自分の身を案じてくれていることを示す。
ヨシノはシカマルの思う、良い母親像をしっかりと果たしていた。

しかし、それが逆に腹立たしいのだ。
完璧であるが故に、軽々しくナルトを引き離す理由が見つからない。
それもヨシノが強制している訳ではなく、ナルト自身が望んで家事を手伝っているのだからどうにもできないのだ。
奈良家に来てからというもの、ちっともかまってもらえていない気がしてならない。
それが今シカマルの一番のストレスとなっている。

少しからだより大きい空色のエプロンが膝まで隠しているのが可愛いのに、抱きしめるタイミングがない。



日が落ちて夕飯時。
目の前にはずらりと立派な和食が並ぶ。
量も彩りも味付けも申し分ない。
煮物の野菜が若干、歪なものが混じっているのは愛嬌だろう。
忍術や体術より、からだが反応しないのか、料理の腕は初心者のそれと同じくらいだった。

「ナルトー、上手になったなあ」
美味いぞぉ、と目尻を下げて褒めるシカク。
くしゃりと撫ぜられた金髪。
なんとも言えない照れた表情で俯きながらも、口元は嬉しそうだ。
「ナルちゃん、褒められたら“ありがとう”って言うのよ」
「あり、がとう、シカク」
「〜〜〜っ…かぁわいいなあああお前は!」
教えられた言葉をたどたどしくなぞる、目の前の頬を染める子供に感極まって、両手で髪をぐしゃぐしゃと撫ぜ回すシカクに
何をされているのかわからずナルトは困惑した表情でされるがままになっている。
「ちょっとあんた、うちの可愛い子が困ってるじゃないの」
「俺の可愛い子でもある!」
「違うわよ」
「なんで!?」
涙目で反論するシカクと、何言っちゃってんのと冷めた対応をするヨシノのやりとりはいつものことで。
最初はおろおろと二人の顔を交互に見ながら慌てふためていたナルトももう慣れたものだ。
二人をよそに、ちらりとシカマルを見る。
「…しか、まる…」
「あ?」
目の前の料理を淡々と口に運んでいたシカマルに、遠慮がちに声をかける。
声には若干の不安が混じっている。
それがシカマルを落ち着かせなくさせていた。

ヨシノには自分からぴたりと寄り添うのに。
シカクには照れながらも普通に話すのに。

いつだってシカマルには緊張を持って一歩置いているように感じる。


―――ナルトは自分が怖いのだろうか


確かに愛想はないし顔だって柔和ではない自覚はある。
けれど、おずおずと口をきくナルトに少しの苛立ちが生まれてしまう。

優しく、しているつもりだ。
語りかけるときも、触れるときも。
本当に小さな子供にするように、今は。

こんなに、愛しているのに。
無償の愛を与えてやりたいと思う反面、返してもらえない愛に寂しさを覚えている。


「しかまる、あ…あの…、」
「なんだ?」
「えっと、あの…」
「あんたが美味しいかどうか聞きたいのよ」
言いよどむナルトに、シカクと言い争っていたヨシノが助け舟を出す。
「へ…?あ、ああ…美味いよ」
なかば反射的にそう答えると、ナルトはほっとした顔をした。
「ありがと…」
先ほど教えられたとおり、礼を言ったナルトに、偉いぞおと再びシカクがナルトの髪を撫ぜる。
嬉しそうにふにゃりと笑うナルトに何だか居た堪れない気分になる。


その役目は、位置は、自分のものだったのに―――


「…ごちそうさん」
気分が落ちて、止まっていた箸をそのまま置いて席を立つ。
「しか…?」
「部屋で仕事してるな」
ナルトの目も見ず立ち上がり、居間をあとにする。
最近は家でできそうな暗号を持ち帰って片付けていた。
気分転換にもなるし、少しでも仕事が減れば、解部の部員達も助かる。
休暇中なので、たとえ通常以上に働いたとしても給料に繋がらないのは癪だが、そこはまあ自ら進んで行っていることだから仕方ない。
今の嫉妬渦巻く心内を静めるように、閉鎖された自室で作業に取り掛かった。



しばらくして、コンコンと響いたノック音に振り向くと、「ちょっと良い?」とドアに凭れ掛かった母がいた。
「なんだよ」
「はいこれ」
「…さんきゅ」
差し出されたコーヒーに短く礼を言う。
しかしコーヒーを手渡したヨシノはまだシカマルの前から去らずに、むしろ、じいと自分と同じ漆黒の対で見つめてくる。
言いたいことは、なんとなくわかっていた。
「…ちゃんと、あとで、謝りに行くよ」
「よろしい」
にっこり笑うヨシノは奈良家で一番逆らってはいけない人物である。

「あんたが部屋に引き篭ってからずうっとナルちゃん元気なかったんだから」
「え…」
咎める言葉だが刺々しくはない口調でヨシノは諭す。
「私やお父さんにいくら褒められたって、結局あんたが喜ばないとナルちゃんには意味ないのよ」
わかるでしょ?そう困ったように笑う。



料理してるとね、

シカマルはこれ好き?って、必ず聞くのよ

お手伝いしてるときはいつだってあんたの話ばっかしてんのよ、やんなっちゃう


苦笑を隠しもせず、ヨシノは。


―――今夜中に仲直りできなかったら、明日からうちに入れないからね



ヨシノが出て行き、思うところも多々あり、部屋を出た。
気配を探ると、ナルトはまだ寝ていないようだ。
寝室は客間。
シカマルの自室のベッドで二人寄り添えば眠れないこともないが、それなら二人で客間を使ったら良いとヨシノが用意してくれた。
「ナルト」
襖を開けると、部屋の隅で膝を抱えた蒼が不安気に揺れた。
まただ。
いつも不安気に見上げる。
どうして自分にだけ、そんな態度をとる?
それがシカマルにはひどく寂しいのだ。

「隣いいか?」
聞けば、小さく頷いたのを確認してナルトの隣に腰を下ろした。
「…少し俺と話をしよう?」
伸びた前髪を払うように手の甲で額を撫でると、僅かに震える肩。
緊張しているのが空気でわかる。

「…俺が怖いか?」
「え…?」
蒼が弾かれたように見上げてくる。
「母さん達にはずいぶんと慣れたみたいだけど、俺にはまだ緊張してるだろ」
言い当てられて、少し戸惑う表情を見せる。
「俺はお前と仲良くしたいから、何でも思ったことは言って欲しい。言ってくんないと、わからねぇから」
シカマルを見つめていた蒼が、ふと視線を外す。
少し震えている手のひらを覆うように自分の手のひらで包み込んでやれば、再び驚きを乗せて見上げてくる。
「言ってみ?」
「…あ、……」
あの、あのね、
だんだんと小さくなる語尾に耳を欹てる。
「き…きら、われたく、ない…から」

きっと、緊張しちゃうんだって。

良いところ見せたくって、褒めてほしくって、がんばるんだけど。

ときどき、シカマルが怒ってる。

「は?…え??」
怒っている?
身に覚えのないシカマルは、必死で記憶を手繰り寄せて憶測を組み立てていく。
そして、
「―――あ…」
そうか、とストンと落ちた考えに。
「違う、怒って…怒ってたんじゃない」
ごめん、ごめんなって小さな手を包んでいた手のひらに少しだけ力を込める。


ヨシノに寄り添う背中に、

シカクに頭を撫ぜられる姿に、


あまりに嬉しそうに笑うものだから。
ただただ嫉妬していたのだと。

眉を寄せ負のオーラを纏うそれを、ナルトは怒っているのだと判断した。
嫌われているのだと。

「ごめんな。嫌いになんてなる訳ない。ただちょっと、母さん達が妬ましかったというか、羨ましかったというか…」
ナルトが不思議そうに見上げる。
「つまり、俺がいつもお前のそういう対象になれれば良いって思ってるんだ。お前のことばかり考えてる」
「………」

わがままで驚いただろう?
なんて勝手なんだって。
でもこれが嘘が微塵も入っていない本音で真実だ。
でも楽しそうなお前見てたら言えない。
自分だけのために笑えって、傍にいろだなんて。
それはなんて甘美で、彼にとってみれば酷い話だろう。

「そ、う…そう、なんだ…」
怒ってたんじゃあないんだ。
そう吐露して心底ほっとしたようにゆるゆると瞬きをする。
「おんなじ、だ、…」

おそろいだね。

ナルトの言葉に首を傾げる。
「俺、も…ずっと、ね…しかまるのことばかり、かんがえてる…よ」
蒼が見上げる。
一瞬、理解ができなくて息をするのも難しくなって。
「あたまのなかに、いつも、しかまるがいる」
いつだって、あなたが在る。
うっかり気を緩めたら泣いてしまいそうだ。
記憶を失ったって、自分を喜ばせるのも、泣かせるのも、いつだってこの金髪だけだ。
きっと情けない顔をしている。
俯いて、目に入ったのは細く小さな指に巻かれた絆創膏。
覚束ない手つきでのぞんだ料理は、なかなか苦戦したようだ。
「切ったのか?」
痛かっただろう?
絆創膏の巻かれた指を掬い上げ問うと、
「もう…傷、ない……いたくない、けど」
ヨシノママがはってくれた。
これ、って大事そうに絆創膏を撫ぜるのにも、正直まだ嫉妬心がないと言えば嘘になる。
が、今はもうこれくらいは心の奥に秘めるくらいのゆとりがある。
むしろ、溢れるくらいの慈しみだって。

傷だらけの指も、自分のため。
そんなこと知ったら、両手を広げて抱きしめるしかないではないかと。

記憶を失ってから、恋人だということをまだ言えていなかった。
自分もナルトも男だし、何も覚えていない、ただでさえ不安を抱えているのにこれ以上の混乱を与えたくなかった。
だからずっと遠慮していた距離は、どうやら不要であったようで。

なので、

ぎゅう、と小さなからだを抱きしめる。

まろい頬を撫でて、くるりと大きな蒼にふわりと笑えば、つられて頬が緩んだ。
それが嬉しくて、少し紅く色づいた頬にひとつ口づけ。
嫌がらない素振りを確かめてしまったのは、小心な自分の至らないところだ。
震える閉じられた瞼にもひとつ。
きゅっと引き結んだ唇にも、ひとつ。

そっと離れてもう一度覆うように抱きしめる。
耳の後ろ、薄く骨が浮く肌に唇を当てて、言う。
「好きだよ、誰よりも何よりも」
響いた音に、ひくんと小さな肩が揺れた。
耳から首元がバラ色に染まる。
意味は理解しているようで、紅くなった頬を隠すようにシカマルの胸に顔を埋めた。
けれど、耳がガラ空き。
くすりと笑って、
「お前は可愛い、俺の恋人」
いつもの彼よりずっとずっと低い声が、耳の奥できっと反響している。
ふるり、とからだを震わせて。
「こい、びと…?」
「ああ」
こいびとってなあに?
見つめる蒼は、羞恥にうっすら涙がたまって、ゆらゆらと揺れて美しい。
「お互いが好き合ってるひと達のことだ。友達や家族の好きとは別の、特別の“好き"だよ」
わかるか?
問えば、こくりと頷く小さな頭を撫ぜてやる。
「…お前は、俺のことが好きか…?」
記憶のないナルトが自分のことをどう思っているのか。
ちゃんと本人の口から聞きたかった。
紅く染まるからだに期待は募る。
「…すき」
しばし流れた沈黙は、恥じらいと、少しの不安、きっとそのせい。
「いちばん、すき、しかまる…」
小さな手のひらが、背中にまわる。
ぎゅう、と抱きしめられる、それは。
まるでどこにも行くなと言っているようで、ひどく嬉しい。
「ふは、それ、すげえクるわ…」
「…?く、る…?」
「口、開けてみ?」
言われるままに口を開くと、ナルトの背をはっていた手のひらが後頭部へと移動し固定される。
「あ、」
吸った息とともに塞がれた唇、驚いて一瞬固まるからだ。
ひたり、と舌を彼のそれで合わされ、擦り合わされる。
ゆっくり丁寧に、小さな口内をシカマルの舌が行き交うたびに、自分が彼のものになっていくかのような錯覚。
「っ…んっ…んぅ……」
息も言葉も全て吸い取られているよう。
腰と後頭部を抑えられてはいるが、逃げられない訳ではない。
それだけの技量が自分にあることは、何となくわかっていた、が。
ただこのまま翻弄されていたい。
中から溶かされるような、甘い甘い熱は。
自分にはまだ受け止めるには持て余すのだけれど。

散々貪られて、離した互いの唇が銀糸で繋がっている。
少し腫れた唇を労わるようにひと舐めされた。

「…大丈夫か?」
乱れた息を整えさせるように、背中を大きな手がゆっくりとさする。
大丈夫だと、ひとつ頷くと、良かったとシカマルが笑った。

―――うれしい、

笑ってくれた、シカマルが。
喜んで、くれている…?

もっと、もっと喜んで欲しい。
少しだけ身を起こして、見つめる漆黒に視線を合わせて。
シカマルがしたのと同じように唇をくっつけた。
ちょっとだけ、驚いたような表情。
そのあと、弓なりに引かれた漆黒の対にどきりとした。

そして、何故か顰められる眉。
「あのな、今みたいなの―――、俺以外としちゃ駄目だからな…?」
それは絶対、ほんとにお願いだと、シカマルが真剣な表情で告げたので。
うん、と頷くと、ほっとしたような顔でもうひとつ唇に優しく落とされた。


―――へんなの、

こんなの、こんなふうに触れ合いたいと思うのは、

シカマルだけなのに―――


そう告げると、ぽかんと見開かれた漆黒。
そして落とされる、お返し、破顔。


嬉しい、喜んで、くれている。
彼が笑うと、何故か自分も笑ってしまう。
もっともっと、喜ばせてあげたいなあ。
そう、思う。

ひとつひとつ、彼を、シカマルを笑顔にさせること。
知っていきたいと、そう思った。








モドル