忘れても-naruVer-<6>








肌寒さの残る早朝。
小鳥の鳴き声に重い瞼を持ち上げる。
二度寝を決め込みたいところであるが、そうもいかない。

仕方ない、仕事だから。
行かなきゃならない。
今休むと締め切りに間に合わないのだから、行かないと…。

もう理由なんて何でも良い。
とにかく布団から出られない自分を言いくるめる理由を探してからだを起こす。

「あー……れ、な、る…?」
抱き込んで眠ったはずの温もりが消えていることにようやく気付いて辺りを見回す。
枕元にたたんであった着替えがなくなっていた。
(もう起きたのか…)
目覚めたときにいるはずと思っていた存在がいないことに、落胆を隠せない。
せめて一緒に起こして欲しかった。
そんな子供みたいなことを思ってしまった。

現在はナルトの記憶のこともあって、実家に世話になっているためシカマルとナルトは客間に布団を敷いて眠っている。
見慣れない風景になんだか他人の家に来たような気分になる。
すると、す、と開かれた襖から自分の求めていた金髪が顔をのぞかせた。

「シカマ…あ、おきた…?」
嬉しそうに頬を緩めてシカマルの元へやってくる。
「おはよう」
「はよ。早起きだな?」
えらいえらい、と頭を撫ぜてやれば、蒼の対が弓なりにしなる。
猫のようにすりよって、まるでもっととねだるように。

「ごはん、つくったよ。…いこ?」
小首を傾げて小さな手のひらがシカマルの手を引く。
「ああ。ありがとな?」
なんと食事の用意までしているとは。
一体何時に起きたのやら。
仕事のない日は、普段の寝不足を補うように昼まで惰眠を貪るシカマルは、ナルトや母がいつもこんな早くに起きていたのだと知る。
ヨシノの手伝いをするようになって、生活習慣がすっかり家を守るヨシノに合っているのだろう。
眠気を微塵も感じさせず、軽やかな足取りでシカマルの手を引く。

奥から朝食のあたたかな匂い。
記憶を失くす前のナルトも、こうやって朝食を用意して待っていてくれた。

たとえどんなに眠っていなくても、
疲れていても、必ず。

「…ナル」
「うん?」
振り向いた金髪の前髪を撫で上げ、あらわれた丸い額にひとつ口付ける。
急で驚いたのか、小さく悲鳴があがった。
「な、なに…?」
「…いや?なんか急にしたくなった」
ほのかに温度を記憶した額にそっと手を当て、自分もするとつま先立つ。
何でもシカマルと同じが良いお年頃らしいので、しやすいように腰をかがめる。
ふわりと落ちた額への口付け。
満足したのか、にこりと笑って台所へ駆けて行った。

促されたのはいつもの居間ではなくテーブル。
珍しく洋食で整えられた朝食。
目の前では、コポコポと少し危なっかしい手つきでコーヒーを淹れてくれている。
奈良家では主に和食が主体で味噌汁の匂いで目覚めることが多いが、ナルトとシカマルのラボで暮らしていたときは、こうやってコーヒーの匂いで満たされることも多かった。
もしかして、少しずつ記憶が戻ってきているのだろうか。
たとえ無意識の行動だとしても。

「…今日はコーヒーなんだな」
確かめたい逸る気持ちを抑え、そっと伺うと、ナルトは和食の方が良かったのだろうかと不安な表情を覗かせた。
それに違う、と首を振って、
「いつも和食だから珍しいなと思ってな」
そう付け足せば、なんとなく、と自分でも不思議そうに小首を傾げた。
思い出した訳ではないようだ。
以前の行動や思考を、からだが覚えているのだろう。
コーヒー飲みたかったんだ、と微笑めば、ナルトは破顔した。

焦ることはない。
時間はあるんだ。

思い出そうが出すまいが
ゆっくり、進んで行けばいい。


朝食を平らげ、衣服を整え、戸締りの確認。
今日と明日は、シカマルの働く解部へナルトと共に出勤。
ナルトを解部へと連れて行く許可は、母のヨシノが既にとってある。
夜まで誰もいないので、雨戸も閉めて。

(さて…どうすっかな)

火影邸までどうやって行くか。

いまだ里人はナルトに対して憎悪を向ける。
そんな中を、何も知らないナルトを連れて行きたくはない。
いずれ知らねばならないことだと、してもだ。
もうしばらくだけ、穏やかに安らかに過ごさせてやりたい。

(屋根を伝って行くか、瞬身でもいいし……あ、そうだ)
なるべくナルトに疑問を持たせない言い訳をつらつらと考えていると、戸締りのチェックを終えた当人がやってきた。

「シカマル、ぜんぶ、だいじょうぶ」
「そっか。ありがとな?」
くしゃりと金髪を撫ぜれば頬を染めて笑う。
そう、この笑顔を曇らせたくはない。

「なあ、ナル」
「ん?」
なあに、と小首を傾げるナルトの頭をゆるく撫ぜる。
「今から向かうのは解部っつって、俺の働いてるとこなんだけど…そこは里のあらゆる情報が集まってくる、大事な場所なんだ」
集めた暗号化された情報を解読し、そしてまた暗号にして送ったり、保管用に残したりしている。
地味な作業だがしかし、迅速を要する大事な機関だ。
「だから解部には、簡単に来れないように罠や暗号が仕掛けてあるんだ。場所も一般には公にされていない。…ってことで、」

変化して行きましょう。

「――…ほえ?」

にこりと笑われ、ナルトが呆ける。
言葉が足りなかったよな、と謝って、シカマルは説明を追加した。

「俺達の姿が誰かに見られて、解部への場所がわかられたら困るだろう?」
「……う、ん」
そうか、そうだよね。
納得したのかこくこくと頷くナルトに、シカマルは内心安堵した。
これで例えナルトが街を歩いたとしたって、誰もナルトだと気付かない。
この幼い子が傷つかずに済む。

「変化は、前に書物読んで実際できただろ?今の見かけから離れてれば何でもいいから」
言って、シカマルは印を組んで長い黒髪の女性に化けた。
ベースは素のもので、体型だけ大きく変えたため、ヨシノの親族だと言っても通じそうだ。
「しっかりしたイメージができてりゃ良いけど、あんまりかけ離れたのだとイメージがぶれて途中で崩れるかもしれないぞ」
こくんと頷き、ナルトがほんの僅か思案に暮れ、印を組む。
ぼふんと舞い上がる煙の中から現れた姿に、シカマルは息を呑んだ。

しなやかな細い肢体。
シカマルより頭1つ分低い背。
顔やパーツのひとつひとつはナルトの持つもの。
数年の年を足した、少年と青年のちょうどあいだの、危ういほのかな色香。
金髪を黒髪に、蒼の対を茶色に染めて。
漆黒の衣服で身を包むそれは、まるで自分の色を纏っているような、その姿は。

「…緋、月」
「え…?」
伏せ目がちであった蒼をシカマルに合わせ、不思議そうに見上げたナルトにシカマルは自分の失言を知る。
「や、なんでもない」
目元を和らげ、気付かれないように息を整える。

「どうして、その姿を選んだ…?」
「えっと、大人の姿の方がいいかなって」
シカマルの問いに、小首を傾げながら応える。
(大人…大人、ねぇ……)
どう見たって、15、16歳の青年。
忍術を覚えたばかりの子供達によくある変化の傾向だ。
大人から見ればまだまだ子供に見える形を、子供達は大人だと言って変化する。
思い返せば、子供の頃に見上げた大人達はやたらと大きく見えたものだ。
そうなりたいと思って背伸びするけれど、彼らから見ればまだまだ子供だと言うのが顕著に出る。
それは、目の前の子供もまた同じ。
思わず口元が緩む。

(それにしても…)

今の変化姿のナルトは、まるでと言うか、暗部時に使用する緋月の姿そのままだ。
馴染んだ姿を、からだが覚えているのだろうか。

「髪、シカマルと、おそろい」
おんなじでしょう、と笑う。
「…そうだな。おんなじだ」
小さく深呼吸。

まだだ。
まだ、思い出した訳じゃない。

細い指をすくって、行こうと促す。
家を出て塀を抜け、街中を横切り、火影邸へ。
通り慣れた解部への道、暗号や罠をくぐり抜ける中、ナルトへの気配りも忘れない。
心配は杞憂で、ナルトは苦もなくシカマルのあとをついて来ていた。
数分もかからず目的地に着くと、待ち受けていたのは、本日の徹夜組だ。
締め切りが近いこともあり、班員は半分ずつ夜と昼組に分けてフル稼動だ。
目的地へ着いた時点で変化を解き、最後の暗号を解除すれば一見岩場にしか見えなかった空間がゆらりと揺らぎ、鉄の扉が現れる。
ナルトもシカマルにならって変化を解いた。
きょろきょろと辺りを見回し、もの珍し気に見ている。

「こっちだ」
緋月の姿より頭ひとつ分低くなったナルトの手を引いて、扉をくぐり抜ける。
中は外の様子とはかけ離れた和風な内装で、ひたすら長い廊下を抜けると少しひらけた空間になる。
障子を開けば解部の作業場。
疲れて仮眠を取っている者、こちらに気付いて挨拶する者、集中していて気付かず作業に没頭する者。
皆色々だが、年若い者が多く、ナルト=九尾という概念があまり根付いていないのは救いだ。
ヨシノが前もって許可を取っていたためか、さほど怪訝な顔もされなかったことに胸を撫で下ろす。
ナルトは、記憶を失ってからは初めて来た場所に戸惑っているらしい。
所在なげに少し俯いて、繋いだ手がほんの僅か、力が篭った。
「解部の長にだけ挨拶しとこうな?」
大丈夫だと小さな手のひらを握り返し、長の元へと案内する。

一番奥のデスクでうつらうつらと船を漕いでいる長にシカマルは足を止める。
デスクに重なった、承認待ちの書類の山にこめかみが引き攣る。
この量は、うたた寝どころか数時間がっつり寝ていると理解し、ゴッと一瞬だけ長に向けて殺気を当てるとさすがに飛び起きた。
「えっ!?えっ何!??」
「おはようございます今日と明日はナルトと一緒にこちらへ来ます第3資料室は今日使わないですよねだから俺が使いますいいですね?」
青筋立てた20は年下の青年の殺気に当てられ、長はこくこくとただ頷いた。
「あとさっさとその書類承認して持ってってくださいよ…?」
振り向きざまに釘をさされて、長は同じように頷いていた。
元々戦闘タイプではないインドア派の解部の長など、殺気だけで充分黙らせることができる。
こういうときは便利だが、忍なのだからもう少し耐性をつけて欲しいというのが本音だ。
ナルトは一部始終傍観して、なんとなく肌で雰囲気を察したのか、特に何も言わずシカマルのあとに続いた。

シカマルのデスクは皆と同じように広間に並んでいるのだが、今日と明日はナルトのこともある。
特別に資料室を借りた。
どうせ今日の作業で必要だし、この資料を必要になる部員は自分以外にいないようにした。
解部の作業の采配はシカマルがとっているため、この資料室には自分とナルトの二人きりでいられる。
ナルトが他の部員達に気遣わなくても良いように。
途方もない作業量に重々しくなる空気に包まれたくなくて、時折使う部屋でもある。
資料はどれも高等なものばかりで、他の部員達は滅多に使うこともなく、ちょっとした息抜きの部屋としても使っている。
そのため、簡易デスクやスタンドも持ち込み、コーヒーポット等も置いてある。

「さてと…俺は今から仕事なんだけど…」
ナルトをどうしようか。
こんな資料ばかりの部屋はきっと退屈だろう。
「だいじょうぶ、俺、おとなしくしてる。これ、見ていい?」
膨大な資料を指差すナルトに頷き、悪いと思いつつも作業を止める訳にはいかず、好意に甘えさせてもらうことにした。

作業に取り掛かってからのシカマルの集中力は凄まじいもので、周りの音さえ拾わない。
ひたすら一心に筆を走らせる背をじいと見つめる視線にも気付かない。

一刻ほど経って、小さく息をつき筆を止めた。
シカマルはたいていのものは資料も辞典も使わず進めてしまうが、今自分が手にしているものは何やらいくつか罠が仕掛けられているようだ。
一度でも失敗すると巻物ごと塵と化してしまうケースもある。
(確か波の国の旧文字をまとめた巻物があったな…)
資料の見当をつけてようやっと体勢を変える。
同じ姿勢で机に向かっていたため、関節がぎしぎしと痛む。
ついでにストレッチを加えながら資料棚に向かおうとしたとき、す、と差し出された巻物とマグカップ。
呆けるシカマルをナルトが不思議そうに見つめる。
「え…」
「どうぞ」
目の前に示されたものと、差し出した本人をまじまじと見つめる。
「どうして…」
「そろそろ、飲みたいかなって」
淹れたてのコーヒーの匂いに癒されながらも、違う違うそうじゃないとかぶりをふる。
「いや、こっちのこと」
手にした巻物。
ちょうど、取りに行こうと思っていた。

「…これじゃなかった?」
これが、欲しいかと思って。

そう呟いたナルトに瞠目する。
確かにそう思った。
けれど、記憶を失ったナルトが自分の解いていた暗号を理解し先回りして助けを出すなどできるのだろうかと。
「ナル…これ、わかるのか」
解けるか?と問えば、資料があればたぶん、と返ってきた。

もともとナルトも暗号文は得意だ。
シカマルほどのスピードはないが、時間さえあれば解いてしまう。
生活の記憶と技や知識の記憶は別ものなのかもしれない。

振り返った資料棚はいつの間にか綺麗に整頓されていた。
視線に気付いて、ナルトが少し慌てた。

「あの、分野ごとに並べて…えっと、やっていいかってシカマルにこえ、いちお…」
かけたんだけど、言い訳にならない、かな…。

黙ったままのシカマルに、ナルトは余計なことをしてしまったのだと項垂れた。

「え?いや、違う違う!ありがとう、すげえ助かるよ」
これだけきちんと整理されていれば、他の部員達が使う際も随分と助かるだろう。
褒めてやれば、ナルトはほっとしたように頬を緩める。

「…ちょっとこっち来てみ?」
おいでと手招けば、素直に傍へ寄って来る。
「これとこれ、解けるか?」
比較的短い暗号文を手渡し問うと、ざっと斜め読みしたナルトがこくりと頷く。
「解けた答えをここに」
暗号元の巻物に挟み込むように解読後の紙を差し込むと、その上に狂いのない答えが生まれていく。
書き留めると、答えが合っているか少しばかり不安げに見上げたナルトに、よくできましたと頭を撫でてやった。
無邪気に笑う様子に、やはり記憶はまだ戻らないのだと、ほっとしたような、残念のような、複雑な心境だ。

もっと褒めてと振られる尻尾が見えるような気さえしてくる、ナルトの様子に苦笑しながら、
「…手伝ってくれると、ありがたいな」
そう伺えば、ぱあっと嬉しそうに綻ぶ笑顔に、シカマルもつい笑ってしまった。
資料の整理も終わり暇だっただろうこともあるが、シカマルの手伝いができることが嬉しいようだ。
自分が役に立てる、そんな空気を隠しもせず出していた。
先ほどナルトに渡したものよりは、幾分難易度が上がるが支障ないだろうと思われるものをいくつか手渡す。
元々はシカマルが解こうと思っていたものであるため、他の部員達の受け持つそれよりは随分とレベルが高いが、問題ないだろう。
現にナルトは、シカマルと向かい合うかたちで目の前でかなりのスピードで処理していっている。
この分だと、定時よりも随分早く終わるかもしれない。
(これは…うかうかしてられないな…)
体力と持ち前の戦闘センス、技やチャクラの量では全然ナルトに勝てないのに、唯一上だと言い切れる解読の自信まで奪われては困る。
格好がつかないと、小さなプライドが見え隠れする。
背筋を正して、シカマルも再び筆を取った。

数刻た経ち、キリの良いところでシカマルは小さく息をつく。
ふと目の前のナルトを見ると、今もなお始めたときと同じくらいのスピードで筆を走らせている。
暗号はざっと斜め読み、筆を動かしながら脳を働かせているのだろう、他の部員のように天を仰いだり悩む素振りは全く見られなかった。
(こりゃ解読でも勝てなくなるかもな…)
シカマルは一度目を通したら大体のものは覚えてしまうし、誰よりも情報のキャパシティは負けない自信はあるが、
流れるように解いていってしまう子供に苦笑は隠せない。

このまま記憶が戻らずに、暗部でなく解部で道を極めるなど言い出したら。
一瞬でも気を抜いたらすぐに追い越されそうだ。

以前、イルカがナルトに術を教えた際は、一方的に教えるというよりは、競うように互いを磨いていったと聞いたことがある。
それはきっと、互いが腕を磨きあおうという意思を元にしたのではなく、おそらくは。
(俺とおんなじ…?)
年下の子供に負けたくない一心で、年上だからという小さなプライドを崩したくないだけの、ただの意地だったのだと納得した。

ナルトが今解いている暗号は、先ほどシカマルが渡した最後の巻物。
終わったのか、墨が乾いていることを確認して元通りに巻物を戻すと、ようやっとシカマルの視線に気付き瞠目した。
いつから見られていたのかわからず、うっすらと頬に朱が走る。
「お、わった…」
おずおずと、巻物をシカマルに差し出す。
再び巻物を開いて内容を確認、その間ずっとナルトはそわそわとシカマルを見ていた。
「…ん、問題なさそうだ。全部合ってる、すげぇなナル」
ありがとう、と髪を撫ぜればほっと表情を緩めた。
「ほんと?合ってる?」
「ああ、満点だ」
褒めてやれば更に頬を紅くして笑む子供に、シカマルもつられて笑う。

「んっ…と、もうこんな時間か。昼飯食いに出るか」
既に14時を過ぎるころで、昼食というにはやや遅いくらいだ。
「ごめんな、腹減ったろ」
自分は暗号解読中は食欲も忘れ没頭してしまって食事を忘れることなどしょっちゅうであるから慣れっこだが、ナルトはまだ子供だ。
何かとエネルギーを消費し易い子供には空腹はさぞ辛いだろう。
「んん、だいじょぶ」
俺も、おなかすいたの、気付かなかった。
そう言って笑う。
その笑みに癒されながらも、気付いた空腹感を満たすために動かなければとナルトに伺う。
「じゃあ、どっか食いに行こう。何が食いたい?」
「あの、えっと、まって?」
後ろを向いてごそごそと持ってきていたトートバッグの中を漁り始める。
そう言えば来るとき、ヨシノがいつも使っているエコバッグ代わりにしていたトートバッグを持っていたことを思い出した。
くるりと向き直り、はい、と目の前にナルトの手には余るほどの包みが差し出されるた。
「ん…?」
「おべんとう、つくった」
いや、かな…?
一瞬何かわからなくて首を傾げたシカマルを迷惑だっただろうかと不安に揺れるナルトに、シカマルは慌てて首を振った。
「全然!や、なんか…びっくりして」
早起きして作ったのだろう。
朝食に加え、弁当まで。
朝は何時に起きて作ってくれたのだろうか。
記憶がなくたって根元のところは変わらない、優しい子供。
「ありがとうな」
いつも、ありがとう。

口に出さなくとも伝わるもので、ナルトは笑って包みをとって昼食の準備を始めた。
二段の重箱に配置されたおかずは彩り良く、栄養バランスも考えられた、心温まるものだった。
多少寄ってしまったところはご愛嬌だろう。
取り分けてもらった皿を受け取り褒めれば緩む口元。
照れてどうして良いのかわからず視線を彷徨わせる様は昔も今も可愛らしいものだ。

ひととおり食べ終えて、食後のお茶を淹れてもらいながら考える。

このままこうやって穏やかに生きていけたら
ナルトも幸せなのではないだろうか

(…阿呆か、俺は)

このままで良いはずがない。
記憶を失くしたままであろうが、思い出そうが、ナルトを待つ現実は変わりないのだから。
辛い現実を知ることをただいかに伸ばせるか、それだけなのだ。

押し黙ってしまったシカマルに首を傾げ、どうしたの、と心配そうに覗き込んだナルトに、何でもないと首を振る。
すると見上げる蒼の双眸。

「シカマル…あの、ね」
「ん?」
「なにか困ってる…?」
ナルトの言葉に思わず黙ってしまった。
それを肯定ととって、ナルトが続ける。
「もし、もし、ね…おれのことで困ってる、なら…おれ、なんでもする。シカマルの言うとおりにする」
シカマルがもし選べない選択肢で悩んでいるのなら、それが自分を気遣ってのことなら。
自分のことなど気にせず、シカマルが楽になる方を選んで欲しいと、つたない言葉で言った。

(…ああ、お前って奴は、)

どんな状況になったって他人のことばかり。
シカマルが望むのは、ただナルトが幸せになってくれればと、それだけなのに。
ナルトはその逆を思ってくれるのだ。

おいで、と手を広げれば、ナルトは持っていた湯のみをデスクに置き、シカマルの元へ歩み寄る。
手を取り自分の膝上に横抱きにして抱える。
「悩んでないし、困ってないけど、そうだな。この先ずっと俺の傍でお前が笑ってさえくれれば」

幸せだ。

抱きしめる腕にほんの少し力が入る。
ナルトは驚いたようにシカマルを見上げると、小さく、うん、と言ってシカマルに体重を預けた。
「ずっといる。シカマルのそばにいる」
「ああ、是非そうしてくれ」
まるで誓約のように小さな唇に己のそれを重ね、ひとつ笑うと、
「とりあえずまずは目の前の仕事片付けるか。午後もよろしく頼む」
「うん」
名残惜しい体温を手離し、まだ山積みの巻物から数本ナルトに渡す。
きっとこの調子なら定時には帰れるだろうし、帰ったら思い切り甘やかしてやろう。


きっとナルトは近いうちに記憶を取り戻すだろう。
それは、まるで確証のない確信だが、そんな気がした。

だから、
それまでは。



この甘ったるく和やかで穏やかな時間を


過ごそうではないか







モドル