どろどろと、まとわりつくような粘着質な感情が
自分を蝕む
これは、
なに?
嫉妬<2>
ざしゅ、と小気味良いほどの音を立てて血飛沫が舞う。
斬られた本人は自分の血だと思っていないのか、不思議そうにその光景を目に焼きつけ数秒後こと切れた。
手のひらに蒼い火を灯し、白い狐面の青年は周りに散乱するひとだったものに焼べた。
舐めるように溶かされるのをぼんやり見ていた。
―――――この蒼って、お前の目の色みたいだな
つい思い出した言葉に小さくだが肩が震えた。
(かえ、ろう・・・)
任務は終わった。
まだ子の刻あたり、充分に睡眠を貪る時間はある。
(なんだか、疲れた・・・)
たいした件数ではなかった。
普段より少なく、内容も楽だった。
なのに何故これほどまでにからだが重く感じるのだろう。
そんなことを考えて、ナルトはくつりと皮肉めいた笑みを浮かべた。
(そんな、こと、知ってる・・・)
自分が何故こんなどろどろとした暗い感情を抱いているのかなんて。
わからないはずないではないか。
暗い嫉妬心だ。
夕方寄った店で見かけた親しげな様子が、ガラスに映ったものとは言え鮮明に蘇り胸を締め付けた。
あのあとどう帰って来たのかわからない。
イノとチョウジに何を言われたかも、いつ別れたのかも、どこの道をどう通って帰って来たのかも。
夜になって、黒く染め上げられてやっと気付いた。
手には彼にあげるはずだったプレゼントを持ったままだった。
それは今も無造作にベッドに放られたまま。
自分ごときが、厚かましい。
今までが、おかしかったのだ。
自分などに想いを寄せるなど、あるはずがなかったのだ。
シカマルの気持ちに嘘はなかったのだろう。
ただそれが終わってしまっただけのことだ。
「だい・・じょうぶ・・・」
大丈夫、大丈夫、慣れているもの。
ひとりなんて平気だ、きっとすぐにまた慣れる。
だいじょうぶ、そう言葉にしてしまえば本当になる気がしてくる。
錯覚でも良い。
そんなもので何とかなるのなら、何だって。
この暗く重い抱えきれない感情を紛らわせてくれるのなら。
「おや、早かったね」
聞き慣れた声にはっとして顔を上げた。
いつの間に戻って来たのか自分の前で綱手が書類片手にこちらに手を出していて、
自分は条件反射のように報告書を手渡した。
「お前には楽な任務だったか」
それは嘲りではなく感嘆の声で。
「いえ、あ、はい・・・」
褒められることに慣れていないナルトはぼんやりしていたこともあり、どもった。
では失礼します、と頭を下げ帰ろうと背を向けると綱手に呼び止められた。
「今シズネが別件で席を外しててね、悪いがこの書類を解部まで届けてくれないか?」
ついと机に積まれた、座っている綱手よりも高い書類を指差され多少顔が引きつった。
よくもまあここまで溜め込んだものだと感心さえする。
「え・・・解部・・?」
そして今気付いたように顔を上げる。
「ああ。あそこは簡単に行ける場所でもないし、けどお前なら行けるだろう?」
解部は情報が命、そのため周りには暗号解除しなければならなかったりトラップが仕掛けられていたりしていて
部員ではない者はなかなか立ち寄ることのない場所だ。
下忍では底辺を競っているナルトではあるが、その実助っ人に行くくらいには頭も良いので時折雑用を頼まれる。
(けど今日は・・・シカ、が・・・)
あの光景を見てからナルトの精神状態は最悪だった。
自分など、ともう諦める振りをしながらも未だ断ち切ることのできない自分がいる。
今会って、別れを告げることもできなければ平気な顔をできる自信もない。
結局は向こうの意思に沿いたいと言うのが本音だ。
いくら自分が好意を持っていたって、相手が離れたいと言うのならナルトに縋りつくような真似はできなかった。
下忍時の振る舞いで誰かに抱きついたり我侭を言ってみせるのは、本来の自分との較差をつけるためと
心の底にある欲望でもある。
好きだ抱きしめてずっと傍にいてと言って、たとえその願いを聞き入れられても、
それが相手の苦痛になるのは耐えられなかった。
あの親しげな様子をまざまざと思い出し、もう自分など要らないのだろうと思うと涙が出そうだ。
けれどどの道同じ結果が待っているのなら、受け入れなくてはいけない。
遅いよりは早い方が自分のためにもなる。
会って話して、ちゃんとお別れを、しよう。
「緋月?」
返事もないまま放られた綱手がナルトの様子に不審を抱き覗き込む。
「具合でも悪いのか?」
「あ・・・いえ、それ、持って行きます・・・」
大量の書類を抱え、ちょうど顎までの高さだったこともあり軽く顎で押さえてバランスを取ると軽く一礼して部屋を出た。
書類を抱えたままひょいひょいとトラップをかわし、いくつかの暗号を解いて行く。
最後の幻術を解くと現れた扉を失礼かとは思ったが手が塞がっているので足で押し開ける。
「失礼します」
滅多に来ることのない訪問者に数人がばたばたとやって来る。
「あ、緋月さん!!」
「お久しぶりです」
何度か訪れたこともあってか、自分のことを覚えていてくれたようだ。
疲労の色は隠せないが嬉しそうにどうしたんですかーと近付いて、持っていた書類を見つけるとあからさまに嫌な顔をした。
「綱手様から預かって参りました」
「はは・・ですよねー・・・」
乾いた笑いで腹を括って、書類を受け取った部員達は礼を告げてとぼとぼと持ち場へ向かう。
仕事が増え、とぼとぼと寂しそうな背中になんだか理由もなく何かしてあげなければと言う気持ちにもなる。
「あの、よろしければお手伝いしましょうか?」
もう自分の任務も終わってしまったし、明日は下忍任務も休みだったことから気遣いの言葉を投げると
本当ですか!?と凄い勢いで振り向いた笑顔達に少し後ずさりながらも頷いた。
「やったー!!じゃあちょっとだけ!えっと、ここ、ここ使ってください!!」
自分の席の隣にスペースを開けてクッションまで用意された。
それにありがとうございますと笑うと何故か真っ赤になった部員に首を傾げつつも積まれた書類に手を伸ばした。
「ちょっと」
呼ばれて顔を上げると初めて会う部員だった。
解部に入って何年かたつようだが会ったことはなかったなと記憶を辿る。
「あんた素人ができるようなもんじゃないんだよ?アカデミーの授業でやるようなレベルとは訳が違うってわかってる?」
「・・・そうですね・・・このくらいなら大丈夫ですから」
いくつか斜め読みして自分でもいけそうだと判断しにっこりと笑う。
「大丈夫だって!前にも何度か手伝ってもらったことあったけど、早いし的確、暗部が忙しくなければ
ぜひ専属になってもらうのに」
「・・お前、暗部・・・?」
そう言えば顔を書類上で見たことがある。
暗部の登録書には変化した姿で載っているのでナルトだとは書かれてはいない。
確か総隊長に次ぐ強さだと聞いたことがあるが、こんな女みたいに華奢なからだつきで?と胡乱気な視線で値踏みすると
しっかりやれよと言い残して去って行った。
その背にべえ、と隣の部員が舌を出す。
「すみません、どうか気にしないでください。嫌なやつなんです、あいつ」
「いえ」
あんなの里人に比べたら優しい部類だ。
石を投げてくることも殴られることもない。
自分のことに対してだけの口上だけで済むのなら楽なものだ。
「誰に対してもライバル心剥き出しで。特に成績の良い黒月や長にまであんな感じですもん」
出された黒月の名にぴくりと肩が揺れた。
「・・そう言えば、黒月、は・・・?」
先ほどから気配を巡らしてもシカマルの気配を感じないことに違和感を覚えていたのだ。
「あ、黒月は今ちょうど完了した書類を届けに火影室に。緋月さんと入れ違いですね」
「そう、ですか・・・」
ほっとしたような、がっかりしたような、何とも言えない感情を振り払うべく軽くかぶりを振って書類に視線を落とす。
「あ、すぐ戻って来られますよ?」
にこっと笑って安心して、とお茶まで用意してくれた。
「ここで働いているとなかなか会えないですもんね」
その言葉に首まで真っ赤にしたナルトに苦笑して。
「わかりますよ〜お二人の様子見ていれば。あのいつも無愛想な黒月があなたの前では笑うんですもん」
「・・・そう、なんです、か・・・?」
「ついでに言っちゃうと、あなたのこと知ってます」
ナルト君、と唇だけで伝えて来た部員に体温が一気に下がった。
思わず逃げ出そうと動いたからだを予測していたのか、がしりと腕を掴まれて指先が震えた。
誰?誰?誰?怖い・・・!
今まで笑顔でいた者が豹変する瞬間はいつもからだが震え出す。
裏切られたと言う気持ちと何をされるかと言う不安が入り混じって、それは幼少の頃から治ることはなかった。
「大丈夫、私なんですね」
ナルトの腕は捕らえたまま、空いた方の手のひらをそっと頬に滑らせあやすように囁く声と口調に覚えがあった。
「あ・・・」
ハヤ、テさん?こちらも唇だけで問うとにっこり笑って掴んでいた腕の力を抜いてくれた。
随分前に死亡報告が伝えられたが、実は姿を変え生きている、と綱手から聞いたことがあった。
ナルトも緋月としてもナルトとしても何度か言葉を交わしたことがあり、優しくしてもらった覚えがある。
まさかこんなところで会えるとは。
「綱手様から聞いていたので知ってます」
黒月がシカマルであることも知っています、と唇だけで伝えて来た。
「よく・・・ご無事で・・嬉しいです、えっと・・・」
じわりと涙が滲み、それに笑って指で拭われた。
「ここでは静と名乗ってます。静かと書いて“セイ”」
「静、あの、どうして・・・」
正体を自分に教えてくれるのだろう。
何の得にもならないのに・・・。
くすりと笑ってハヤテはとりあえず筆を動かして、と談笑は止めず仕事を促したので慌ててナルトも書類を取る。
「何ででしょうねぇ、あなたがなんだか寂しそうにしていたから思わず、ですかねぇ」
「・・・」
機密事項をそんな理由でさらりと漏らすような人物ではないことは知っている。
と言うことは、自分に少しは信用を置いてくれていると言うことだ。
「それにあなたが好きだから」
「・・・ほぇ・・・?」
「ついでのついでに言っちゃおうかと」
突然の告白に持っていた書類をばさばさと取り落とす。
「ああ、黒月がいなければあなたを堂々と攫うのに・・・」
「え、ぅ、あ・・・?」
流れるような告白はどんどんナルトのからだを紅く染め上げて行く。
「ほんと、に・・・」
ハヤテ?こんなキャラでした?シカマルまでとは言わないがもっと物事に執着のない人物だと思っていたのに。
「普段執着を見せない人間ほど、はまったら長いんですよ、それは一生ものだと言っても良い」
ナルトの心情を読み取って笑うハヤテに、しかしナルトは俯いてしまう。
「一生・・・もの・・黒月、も・・・?」
「不本意ですが、同じ性質を感じますからそうでしょうね。きっとあなた一生放してもらえませんよ」
だとしたら望むところだ。
ふるふるとナルトは首を振った。
「そんなこと、ありえない・・・だって・・・」
ぼそぼそと拙く単語を繋ぎながら昨日洋菓子店で見た光景を説明する。
蕩けそうな蒼を揺らして言葉を紡ぐ姿は抱きしめたくなるほどに痛々しくて庇護欲をそそるが、そこは我慢して
優しさだけを乗せて頭を撫ぜた。
「それ、誤解ですから」
どういうこと?と顔をあげたナルトに優しく笑って。
「昨日は徹夜組のために夜食をね、黒月に頼んだんですよ。そのときもう1人手伝いに一緒に行かせたましたから
その者を見たんでしょう。確か新しくできた店に行きたいと言ってましたから」
本当なら誤解させたまま黒月から引き離して慰めてしまいたかったが、それでもやっぱり
好きなひとには笑っていてもらいたいとも思う。
ナルトにとって黒月といることが幸せだと言うのなら、そうしてやりたい。
「でも、その人黒月と腕、組んでました・・・」
「・・・」
再び潤んだ蒼に、恋敵を庇う自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。
そう言えば一緒に行かせた女は黒月に好意を持っていた節があったと思い出す。
「・・・確かに彼女は黒月に好意を抱いていましたが、黒月が彼女をどうこうと言うことは絶対ありませんから」
「・・ほんと、に・・・?」
「僕があなたに嘘を言うとでも?」
ハヤテは嘘は言わなかった。
首を振って否と応え笑うナルトに、ああ持ち帰ってしまいたいと本気で思う。
「さあ仕上げてしまいましょうか」
「はい」
悩みを吐露したことで幾分心が晴れたらしいナルトに、複雑ながらも幸せさえ感じる自分は病気かもしれないと
ハヤテは笑った。
モドル