長く微睡んだようで、重い瞼を押し上げると、そこは自分の知らない部屋だった。
俺はここで、
何してた?
それは飴のように甘い<2>(Sサイド)
「ここ、どこ、だ・・・?」
ぼやけていた視界がはっきりと見えてくると、妙な違和感。
知らない場所だ。
しかし、何故か馴染むこの部屋の匂いに首を傾げた。
もしかして誘拐でもされたのだろうかとも思ったが、拘束具も付けられず、見張りもいない。
見上げると、机の上には溢れるほどの器具、棚には得体の知れぬ液体がずらりと並んでいる。
何かの実験材料にでもされるのだろうか。
それにしたって、近くに自分以外の気配が全くしない。
若干3歳のシカマルではあったが、家が名家なだけに既に両親から忍になるための訓練を受け始めていた。
気配ぐらいは読める。
とりあえず状況把握だと歩き出すが、長い裾に転びそうになる。
「なんだ、このかっこ・・・」
何故か自分は大人用のシャツ一枚を羽織っただけで下着もつけていなかった。
そして振り返ると誰かが脱ぎ捨てたように散らけられているズボンと靴。
「・・・」
一瞬、一縷の予想を立てて、そんなはずがあるかと頭を振る。
一番近くにあった部屋を開けてみると、どうやらそこは寝室のようだった。
大きな出窓がひとつと、小さな戸棚、部屋の多くを占めるのは大人3人は余裕で眠れるほどのベッドがひとつ。
今朝も使われたのだろうか、シーツが若干乱れていた。
次の部屋は台所、奥には広々としたリビング。
食器棚には食器が2つずつ揃えられていた。
誰かが暮らしている。
そこかしこに生活感を漂わせる空気があった。
おそらく2人、夫婦か恋人かとも思ったが、女性らしさを思わせる色は見当たらなかった。
保存用と使う用で分けているのかもしれない。
1人暮らしの誰かが、頻繁に訪れる友人のためかもしれない。
台所の窓から庭が見えた。
沢山の植物が植えられている。
この家の者が育てているのだろう、花や木に対しておかしな表現かもしれないが、なんだか嬉しそうだとシカマルは思った。
辺りはもうすっかり闇に覆われ、見渡すと時計を発見し、今が深夜だと知る。
さぞ両親は心配しているだろう。
(いや、そもそも親は俺がこんなところにいるって知らないよな・・・)
連絡をしようと電話を捜すが見当たらない。
しばらくうろうろと部屋を彷徨っていたが、遠くからこちらへ近付く気配に気付きびくりと肩を震わせた。
この家の主が帰って来たようだ。
自分にできること。
気配を探ること、チャクラを練り上げること、最近やっとチャクラを足に溜めて池の上を歩けるようになった。
(・・役に立たねぇ・・・)
体術も下忍程度。
戦力になるものは殆どない。
身構えても仕方ないかと息をつき、ぐんぐん近付いて来る気配を待った。
「シカ!!!」
ドアの向こうから焦ったように自分を呼ぶ声、まだ少年の高い声だった。
自分を呼んでいる。
泣きそうな声に、応えてやらねばと言う気持ちにもなった。
「シカ・・!」
「なに?」
応えると、その声の主は固まった。
バンと仰々しく開け、入って来た人物は、予想以上に小柄で子供だった。
そして、
(へ・・あん、ぶ・・・!?)
その子供の服装は、暗部が着るような全身黒に狐の面。
金髪が、子供が動くたびに揺れて光を弾いた。
思わず見惚れる。
暗部の子供は自分を見て立ち止まり、きょろりと視線を彷徨わせた。
「シカ、マルは・・・?」
(何言ってんだ、俺だろ・・?)
自分はここにいるのに、自分の名を呼び他の誰かを捜す暗部に何故か胸がざわついた。
「あんただれ?」
少し温度の下がった声色に、自分が驚いた。
声をかけると、暗部は面の奥の瞳を揺らした。
蒼い、瞳。
空より深い蒼に、心が吸い込まれそうだ。
「まさか」
はは、と乾いた笑みに暗部は自分で傷ついたような顔を、したように見えた。
実際には雰囲気だけだが、彼は何故か動揺しているように見える。
どうやら誘拐犯ではないことはわかった。
「あなたの、お名前は・・」
涼やかな声には、動揺が混じっていて、どうしてだろう。
自分が彼を落ち着かせてあげなければ、と思ってしまった。
「おれ?おれ、シカマル。奈良シカマル」
極力、優しく応えたつもりだ。
しかし暗部はぴしりと固まって微動だにしなくなった。
面の奥の蒼が見開いて、あまりの動作のなさにシカマルは不安に駆られた。
「おい、聞いてんの?」
少し苛立って、暗部のズボンの裾を小さな手で引っ張ると、暗部はびくりと震えてこちらを見た。
「え、あ、はい・・・」
「はいじゃねーよ、名前、あんただれ?って聞いたよな?」
(こいつ、大丈夫か?)
こんなぼんやりした者がよく暗部など務まるものだ、と変なところで感心した。
「すみません、俺は・・・緋月と、呼んでくださ・・・」
「暗部名じゃなく本当の方教えろよ」
名乗った名を制し、本名を強請る。
暗部が本名など名乗るはずがない。
常識的にはそうなのだが、どうしてか、彼は応えてくれる気がしたのだ。
暗部は少し躊躇って、しかしやはり応えてくれた。
「ナルト、です。シカマル」
シカマルの目線に合わせて屈むとそう名乗った。
「“ナルト”?」
ことりと首を傾げ、反芻する。
暗部のくせに、何故か自分に気を許し優しく接する彼は、一体誰なのか。
名前に覚えはなかったが、口にすると何故だかしっくりくる気がした。
優しく目元を緩める暗部は、一体どこまで自分に許してくれるのだろう。
「ふーん・・・面取ってみせてくれよ」
「・・・はい」
無理を強いている自覚はある。
優しい暗部にひどいことをしている、けれど決して彼は否とは言わない。
それをどこか心の奥底で知っていた。
狐面に手をかけ手早く落とした彼はの姿に息を呑む。
蒼い、蒼い目。
白く抜ける肌は走って来たせいで頬に朱が刺し艶やかな色に染まっていた。
瞬きする様をひどくゆっくりとした時間の中で見つめていたと思う。
「シカ・・・?」
突然、覗き込まれたことに気付き驚いて肩が跳ねる。
ここまで近寄られたのに気付けないほど自分は彼に見惚れていた。
「どこか具合でも・・・?」
更に近付く心配そうな顔。
「っ・・なんでもない」
「本当に?ほっぺた赤いですよ?」
「なんでもねーよっ」
殆ど条件反射で、触れそうになった白い手を、払ってしまった。
そんな行動に出るつもりは、なかったのに。
ナルトは静かにただじっと払われた自分の手を見つめていた。
すみません、と小さく声が聞こえた。
それは僅かに震えていて。
自分の胸の奥がじくりと痛んだ。
ごめんと謝ろうと思って、ナル、と彼の服の裾を引っ張り顔を覗き込んでも彼の視線と絡み合わない。
焦点の合わない彼は自分でも気付いていない様子で、震える手のひらで胸を手繰って握り締めた。
ガリ、と嫌な音を聞いて思わず叫んだ。
「ナルっ!!」
シカマルの声に今目覚めましたとばかりに呆けた表情でナルトが蒼を瞬いた。
「・・え・・・?」
「だいじょうぶか・・?」
「・・・?」
「何回も呼んだのに、返事しねーし・・心臓押さえて蹲るから・・心配した」
大袈裟なくらいの溜め息とついてやる。
まさか自分が手を払ったくらいであれほど動揺するとは思わなかったのだ。
「さっきは、ごめん。ちょっとびっくりして・・手、払っちまって・・。嫌だった訳じゃない」
「は、い・・・」
謝罪の言葉を連ねれば、ゆるゆると強張りの溶けて行く顔に、本当に謝って良かったと息をつく。
痛かった?と払ってしまった方のナルト手を取れば、大丈夫だと笑った。
その笑顔にくらりと足元が揺れた。
「っ・・あのさ、おれ、自分の部屋にいたはずなんだけど、ここどこ?あんたんち?」
きょろりと見回し、何故か大きいシャツ一枚の姿に眉を寄せた。
するとナルトは神妙な顔つきで月並みな質問をする。
「・・・シカマル、今おいくつですか・・?」
「とし?もうすぐ4歳」
「ご両親のお名前言えます?」
「シカクとヨシノ」
「・・・」
2つの質問に応えたあと、しばらく顎に手をあて考え込むナルトの言葉をじっと待つ。
「・・・聞いてください」
キャスターつきの椅子を勧められ、促されるままそれに座る。
素足で床が冷たかったからちょうど良かった。
ひと呼吸おいて、ナルトが説明のために口を開いた。
「あなたは、おそらくそこにある巻き物のせいで4歳児になってしまったのだと思います。
あなたは本当は今20歳の大人で、ここはあなたがご実家を離れてから住んでいる家です」
なるほどね。
シカマルの心中は、ただそのひとことであった。
ナルトが嘘を言っているようには見えず、彼の言葉はその通りだとも思った。
落ち着き払った自分の様子に、ナルトの方が動揺を見せた。
それに笑って、ナルトに向き合う。
「ナルはここに住んでんの?」
「え・・・」
「だってさ、なんかコップとかいろんなもの、2つずつあるし」
棚に並んだ食器を指差し、な?と笑う。
「・・はい。居候させてもらってるんですよ」
居候、ねえ?
頬を紅く染めたナルトに意地の悪い笑みが漏れた。
「庭にあった花はナルの?」
「はい」
だろうな、研究用ならともかく、自分が花を愛でるとは思えない。
「ナル、俺の彼女だったりする?」
「はい・・・え?」
立て続けの質問に、うっかり素で返事してしまい振り返るナルトに、にやりと笑う。
真っ赤になったまま動けなくなったナルトに、
「そこの寝室っぽいとこ、でっかいけどベッドひとつだったし」
「っ・・ち、ちが・・」
白い肌が真っ赤に染まって行く様は美しいが、否定の言葉を紡ぐナルトにシカマルは眉を寄せた。
「・・ちがうのか・・・?」
悲しそうに影を落とすシカマルに、違わないです、ナルトは小さくだが肯定の言葉を落とす。
ぱっと嬉しそうに顔を上げたが、ナルトは紅く俯いたまま。
紅い耳がかわいいと思った。
「と、とりあえず、火影様のところへ行きましょう・・・」
伸ばされた手を、躊躇わずに取った。
モドル