木の葉学園【01】







眩しい陽光、生徒達の喧騒、それを窘める教師の声。
移動教室のためにノートと筆箱一式抱えて小走りで向かう。
廊下でサッカーをしていた男子生徒が怒られている。
ふざける男子生徒達に対する、子供だと笑う女子生徒達。
数年前に過ごした学生時代と、さほど変わらなかった。

懐かしいなあ、と鹿丸は思った。
隣を歩く幼馴染も同じようなことを思っているのだろう、苦笑いを浮かべながらもうひとりの幼馴染と顔を見合わせた。
同い年とは思えない貫禄で、蝶冶はにこにこと懐かしいねと言った。

3人揃って歩くのは、木の葉高校の2階廊下。
数年前に通っていた母校で、今日から2週間を教育実習として過ごす。

猪乃と蝶冶はともかく、鹿丸は将来教師になりたいと決めた訳ではない。
まだはっきりとした進路を決めておらず、単位も取れるし、何事も経験だと幼馴染達がなかば強制的に申し込んだ。
確かにこんな経験なかなかできないし、ここで教師を目指したいと思えればそれも良い。
特に断る理由もなかったが、こんな気持ちで居る自分は大変失礼なのではないかと少し危惧している。

保護者にも教師にも見えない若過ぎる自分を、生徒達は不思議そうに見つめ、ああそうか、と納得して通り過ぎて行く。
朝の集会で紹介されたことを思い出したのだろう。

木の葉高校の職員室は2階にある。
職員室って緊張するわよねーと猪乃が緊張をあらわに戸に手をかける。
失礼します、と珍しく気弱な声色に、何をしおらしくしてんだよ、と言えば、何よ!と牙を向く。
お、いつも通りだな。
自分なりの励ましだとわかったのだろう、少し肩の力の抜けた彼女は、いつも通りの強気な表情で顔を上げた。

「あ、こっちこっち」
手を振っるのは、鹿丸が世話になるクラスの担任である海野海豚。
愛嬌のある笑顔で手招く。

「席はここ使ってな」
職員室の一角をパーテーションで区切り、会議用の椅子と長机が並べられていた。
「荷物はここに置いて、今から教室に案内するから各自用意してください」
荷物を置いていると、パーテーションの中へ更に2人、教師が現れた。
その顔ぶれに猪乃が、ぱっと嬉しそうな顔を向ける。
「明日間先生ー!!」
抱きつかんばかりの勢いに、
「こらこら。ひとの亭主に何してんのよ」
猪乃の首根っこを引っ掴み、明日間の妻であり教師でもある紅が呆れた表情を向ける。
「良いじゃない、せっかく昔の教え子がこうやって来たんだからー!」
「良い訳ないでしょ!」
「けち!」
「落ち着け」
生徒達には見せられない姿だ、と鹿丸は溜め息をひとつ。
「久しぶりだなあ、3人とも」
「寄んな、目尻下げて気持ち悪い」
猪乃を注意できないくらい、笑顔で腕を広げ抱きついて来ようとした明日間を一歩引いて避ける。

明日間は自分達の担任だった。
紅はそのとき副担任だったと思う。
クラス変えをしても幼少の頃からずっと一緒だった幼馴染達はずっと同じクラス。
木の葉学園は、初等部から高等部まである小中高一貫校。
この辺りではかなり大きな学園で、エスカレーター式で学年を上がって行くものが殆どであるが、鹿丸達3人は高等部から。
中学までは公立に通っていたが、木の葉学園の制服を気に入った猪乃に引っ張られ、幼馴染3人、木の葉学園に入学した。
1学年に10クラスもあるマンモス校であるにも関わらず、幼馴染と明日間は3年間ずっと一緒だった。
その分、明日間も感慨深いのだろうが、しかし正直ニヤついて抱きついて来ようとする四十路男など鹿丸はお断りだ。

「えー…と、とりあえずそろそろ授業始まるからそのへんで、ね」
その場の空気を変えようと海豚が慌てて話をそらす。
「奈良君はうちのクラス、秋道君は猿飛先生、山中さんは夕日先生のクラスで実習受けてください」
「ええー!?私も明日間先生がいいー!!」
「我儘言わない。ほら、行くわよ!」
渋る猪乃の首を再び掴み、ずるずると引っ張って行く紅。
呆気にとられる間もなく、各々の担当するクラスへと向かう。

既にホームルームが始まっているため、廊下はやや静かだ。
校内も外履きの木の葉学園は、教師の履く靴も比較的自由で、固い革靴の底がコツコツと響く。
ちょっと前までは自分もこの廊下を歩いていたのに、なんだか妙な気分だ。
ついきょろきょろと視線を彷徨わせてしまった鹿丸に、海豚がくすりと笑った。
「緊張してる?」
「え?あー…まあ」
上擦ってしまった声に、自分でもちょっと驚いている。
意外に緊張している、かも。
「はは、俺もそうだったよ。それに俺だってまだまだ新米の域だし、逆に教えてもらう方かもな」
だから肩の力もっと抜いてな、と冗談混じりに肩をたたかれ、僅かだけれど力が抜けた。
「俺のクラスは特に問題児もいないし、明るい奴らばっかだから楽しく過ごせると思うぞ?」

と、そのとき。
たたたたた、と響く足音。
後ろからやって来る足音に振り返って。

そのまま動きを止めた。
 
窓から差す朝日を弾いて揺れる金髪。
こちらを見て少し驚いて見開かれる蒼。
焼けていない白い肌。

くるりと愛嬌のある大きな蒼が、鹿丸を映す。
きょとんと小首を傾げ、海豚に視線を投げると、
「今日から教育実習で来られた奈良先生だよ。つか遅刻だぞ!しかもその様子だと朝礼出てなかったな?」
へええ、と感心する金髪を、海豚は名簿の背で軽く叩く。
「お前また…まあいい、とりあえず俺達より先に教室入りな」
「えへへ、さんきゅー!海豚せんせーだいすき!」
暗に遅刻にはしない、と背を押した海豚に、金髪の生徒は太陽のような幼さの残る笑顔を向け、鹿丸の横を通り過ぎて行く。
そして扉を開ける前に、つと振り返り、
「あの、」
長めの前髪をぱらりと落として、綺麗な蒼で見上げる金髪に「ん?」と応える。
「俺、波風鳴門!よろしく、えと…奈良、せんせー?」
媚びているのではない無邪気に笑う幼い笑顔は、高校生のそれとは思えなかったが、何故だかとくりと胸を打った。
「あ…あ、よろしくな」
普段緊張など無縁の自分が、少し声を上ずってしまった。
それは実習生としてこの場にいる緊張からくるもの、という理由だけではきっとない。
返事を聞いて細められた蒼と、嬉しそうに引きあげられた唇。
満足気に微笑み、無意識であろう流された目線に、全身を微弱な電流が流れたように感じた。

既に扉の向こうに消えた金髪を微動だにせず見つめる鹿丸に、海豚は苦く笑った。
「そこまで問題児って訳じゃあないんだけど、ちょくちょく遅刻してくるんだ。
まあ学力もあんまりなんだけど、ムードメーカー的な存在と言うか…」
おそらく先ほど問題児などクラスにいない、と言った傍から遅刻してきた生徒に気まずくなったのだろう。
海豚は困ったように笑った。
「いえ、あの…良い笑顔する奴だなあって」
思って、と、問題児なんて思っていないと暗に込めた鹿丸に、海豚は嬉しそうに破顔した。
「そか、良かったよ。あいつ良くも悪くも目立つ奴だから、ちょっと心配になってな」
杞憂だった、と安心したように笑う。
「あの金髪、天然ですよね?日本語すげぇ上手かったすね」
完璧な西洋人顔とは思えなかったから、ハーフなのかな、と考えていた。
「ああ、あいつハーフで日本生まれの日本育ちだから、英語なんて全然だよ。テストはいっつも赤点前後」
「へえ…」
そうなんだ、と相槌しつつ、先ほど覚えた金髪を記憶の引き出しから引っ張りだす。
女性らしさなどは感じなかったが、可愛いと思った。
人懐こい笑顔に、確かに心臓が跳ねた。


雑談をまじえて扉に近づき、海豚が取っ手に手をかける。
ドアに嵌め込まれたガラスの向こうで、鳴門がこちらに気づいて嬉しそうに笑んだ。
それがなぜだかひどく嬉しくて。

楽しくなりそうだ、と開かれたドアをくぐった。







モドル