木の葉学園【02】






「奈良先生、年は?」
「彼女いる?」
「実家なの?」
「スリーサイズは!?」


はいはーい、とさながら小学生のように元気良く挙がる挙手に、海豚は苦く笑った。
それくらい授業でも手を挙げてくれたらなあ、と。

海豚の苦笑を背に、鹿丸も表情が引きつらせながら、
「年は二十歳、彼女なんかいるように見えるか?実家から通ってここまで電車2駅で30分。
スリーサイズは自分でも知らないからパス」
全ての質問に律儀に答えていった。
特に秘密にすることのほどでもないし、知られたところでどうということもない。

珍しいイベントごとに、生徒達は楽しくて仕方ないといったところだろうか。
おさまらない熱気に、海豚が手を叩いた。
「ほら、質問タイムは終わり!今から授業始めるぞ!」
えー、と不満気な声を漏らしながらも、そろそろだと思っていたのだろう。
各々、渋々ながらも教科書や筆記具を並べていく。

「奈良先生は、今日のところは後ろの椅子に座って見学してください。
えっと…鳴門の後ろの席が空いてるんで、そこにでも」
海豚に示された方を見れば、先ほど廊下で出会った金髪がにこりと笑って椅子を差し出している。
「さんきゅ」
礼を言えば、照れたように笑って、他の生徒のように授業の用意をし始める。

幼い笑顔。
(可愛いなあ…)
思わず頬が緩む。

「―――…」

あれ?

はた、と瞠目し、自分の思考に首を傾げる。

可愛い、だなんて。
高校男子相手に使う表現じゃあない。
いくら幼い笑顔を見せたとしても、だ。
唖然として、目の前の生徒を再度見る。

視線の先、俯いた横顔、傾げた拍子にぱらりと揺れた金髪。
白い肌に映える頬の紅は、走ってきたせいなのか。
着崩した制服、緩やかに開かれた襟元から見える、焼けない首筋。

ついうっとりと、見つめてしまった。

「………」

―――見つめて、しまっただなんて。

(そんなの…)

え?なに?俺どうしちゃったの。

正直、色恋沙汰に感心など今までなかったし、初恋だってしたことがない。
あらゆる知識に対しての好奇心は随時絶えることがなかったが、何が悪かったのか、そういう面に対しては耐性が全くついていなかった。
だから恋だとか、愛だとか、正直わかりかねる対象で、実感などしたこともなかったが。

増える心拍数、上がる熱。
目で追ってしまうのは、悲しいことに同姓ではあったが。

(これって…)



そうなの?

恋ってやつなの?

一目惚れってやつ、なの?


ぐるぐるとずっと考えていて、気付くと午前中の授業は終わってしまっていた。
購買に走る者、弁当を広げる者、騒然となった教室に、鹿丸は夢から覚めた心地だった。

「奈良先生、お昼はどうします?用意してる?」
昼食に誘いに来た海豚に、弁当を用意してきたことを告げると、目の前にいた鳴門が振り返る。
「せんせ、弁当なの?じゃあ俺らと一緒に学食で食おってば!」
鳴門の誘いに内心ドキリとしながら、俺ら、と指した言葉に視線を向けると、数人の生徒が駆け寄って来る。
「お、いーじゃん、行こうぜ先生」
少し吊り上った目で八重歯を覗かせて笑う犬塚牙と、
「私達も学食なの、一緒に行くわ。ね?ひなた」
その名の通り桜色の髪をカチューシャでまとめた春野桜、
「う、うん…い、一緒に良いかな…?」
おっかなびっくり、桜の背に寄り添うように顔を出す日向ひなた。

授業の前の自己紹介、名簿読みで生徒の顔と名前は一致させてある。
一度覚えれば忘れぬ記憶、猪乃はズルイといつも苦い顔をするが、こういうときは確かに便利だ。

「もちろん!せんせ、早く行こ?席、埋まっちゃうってばよー」
無邪気に取られた手のひら、自分よりひとまわり小さな鳴門の手が、早く早くと引っ張る。
突然のことに汗ばんだ手のひらが気になった自分の思考が女子みたいでちょっと引いたが、伝わる温度がひどく嬉しかった。
心臓がうるさく鳴って、こんなの、受験の時だってなかったのに。

2年の校舎を出てすぐ隣が、木の葉高校の学生食堂。
騒がしい室内、自分が通っていた頃となんら変わらない。

「せんせ、こっち!席、空いた!」
ちょうどできた空席は、運良く今いる人数がぴったりはまる。
「良い席とったなー」
窓際の明るい日差しが入る席。
鳴門の金髪がきらきら光る。
宝石なんかよりずっと綺麗だ。

食券を購入しに向かった桜と牙を見送り、弁当組は先に頂こうということになった。
鳴門は自分の目の前の席。
日差しで明るく光る蒼の対と目が合って、緩んだ笑みを返される。
更に上がった心拍数に、ずっと見つめられたら心臓壊れて死んでしまうかもなんて馬鹿なことを思った。
母が用意してくれた弁当を広げつつ、ちゃんと食事が喉を通るか心配でならない。
残すと母のヨシノがうるさい。
かと言って捨てるなんてことは、早起きして用意してくれた母を知っているだけにできない。
ぱかり、と蓋を開けて―――――閉めた。
「?」
何気なく一部始終を見ていた鳴門が不思議そうに見つめる。
「せんせ、どしたの?」
「あ、いや…」
ははは、と乾いた笑いが喉から。
(おふくろめ…!)
この場にいない母に物申したい。
青くなったり紅くなったりしている鹿丸に、後ろから影が落ちる。
振り返ると食事をトレイに乗せて帰って来た牙が。
「先生…」
「…っ…何も、言うな、よ…?」
なかば脅しめいた低い声で釘を刺した、が。
「くっ…」
ひくり、震える肩。
「くはははははは!なに、せんせっ…なに、そのっ可愛い弁当!!」
「てめっ…何も言うなって言っただろーがよ!!」
馬鹿笑いする牙に一同首を傾げながら、立ち上がった鹿丸のからだが机に当たってズレた弁当の蓋から現れたものに、思わず噴出す。
白米の上に海苔で書かれた「ガンバレ!」。
俺は受験生か!
鹿丸の最初に浮かんだ心の声はそれだった。
せめてこの場にいるメンバーが、母を良く知る幼馴染の猪乃や蝶治であったなら、ここまで笑われなかったと思う。
一緒に昼食をとったこと、少しだけ後悔の念がよぎった。
「先生の母ちゃん、面白えな〜」
いまだに笑う牙が鳴門の隣に座り、肩を震わせている。

(ああ…マザコンとか思われたかな…)
やっと初恋と言うものがやってきたというのに、この醜態。
多感な時期だ、ちょっとした切欠で好きになったり嫌いになったりするだろう。
気になって鳴門を見て、固まった。

嘲笑うでもなく、蔑むでもなく。
周りが爆笑する中、ひとり笑わなかった。
無表情な訳ではない。
少し、ほんの少しだけ、寂し気に口元を緩めた感じで、笑っている、ようにも見えた。

―――切ない、

ああ、そうだ。
その言葉がいちばん似合う。
そう思った。

真意が読み取れず、絡んだ視線に鳴門はへらりと笑って話題を変えた。
「せんせの弁当、美味そう!」
「そ、うか?お前のも美味そう。母ちゃん料理上手いんだな」
鳴門の弁当は男子にしては量がないが、彩り良く、栄養もありそうでからだのことを良く考えられているように思う。
鳴門は一瞬目を見開いて、照れたように笑った。
「先生、それ鳴門が作ったのよ」
「え、」
まじ?
桜の言葉に素で驚いて返すと、うんうんと周りが頷く。
「鳴門、家庭科と体育だけは5だもんな」
「うるさいってばよ!牙だって同じよーなもんだろ」
「同じじゃないわよ、牙は体育以外アヒルのオンパレードだもの」
「ぐっ…」
言い返したいが、成績優秀な桜に返す言葉もない牙が唇を尖らせながら渋々おとなしく昼食に手をつけ始める。
「はは、まあ俺もおんなじよーなもんだったよ」
頑張れ若者、と牙の背を叩き慰める。
「えー、奈良先生、頭良さそうなのに」
「んなことねぇよ。授業中寝てばっかいたからよく明日間…先生に居残りさせられた」
癖でつい呼び捨てにしそうになる。
今は実習させて頂いている身、その辺りは弁えているつもりだ。
「そうなんだあ。ってそう言えば鳴門も今日居残りでしょ。バイト遅れるって言ってある?」
「今日はシフト休みになったから平気!前シフト代わってやった奴が入ってくれたってば」
「あ、佐助君?そっか、こないだバスケの試合だったもんね。鳴門が代わりしてたんだ」
世話焼き体質の桜がサンドイッチを片手に手帳を開く。
木の葉学園は、許可さえちゃんともらえばバイトもさせてもらえる。
かく言う鹿丸も、当時は夏休みなどの長期休暇を利用してバイトに勤しんでいた。
「桜と鳴門は同じとこでバイトしてんのか?」
勝手知ったるな感じで話が盛り上がっている状況に、鹿丸が問う。
「はい、駅前のカフェで働いてるんです」
「駅前の…あー、あそこか」
頭に地図を広げて、記憶と合わせる。
そう言えば自分も昔良く世話になった場所だ。
なんと言っても、流れる音楽の選曲が良い。
いかにもカフェっぽいボサノヴァからジャズ、クラシックまで幅広く。、
店内は騒ぎに来る学生というよりも、静かに読書や仕事に勤しむ客が多い店で、そこが魅力のひとつでもあった。
「俺も昔よく行ったよ。試験勉強もそこでやってた」
「そうなんだってば?あっ今度来て!土日は俺いるから、サービスしちゃう」
「まじ?じゃあ今度行くわ」
思わぬ鳴門からの誘い。
行かない理由はない。
あそこは確か黒のソムリエエプロン。
似合いそうだと思い描いて、緩みそうな頬を引き締める。

「先生、行くなら鳴門に裏メニュー頼むと良いわよ」
「裏メニュー?」
「うん、そう。ほんとはバイト用のまかないなんだけど、頼めばランチと同じ値段で出してるの」
まるで自分のことのように自慢気に桜が弾んだ声を出す。
「何が出てくるかは日によるんだけど…前作ってくれたまかないのオムレツ!
とろっとろでチーズとか色々入ってるやつ!すごい美味しかった〜」
「あんなの余った野菜とか適当に入れて作ったやつなのに…」
恥ずかしいのか首まで赤い。
「へえ、じゃあ今度行ったら頼むからよろしく」
「…っぅ…しかた、ない、なあ…」
伺うように見れば、頬まで紅くして俯く。
褒められ慣れていないんだろうなあ、と惚れた欲目かとにかくどんな仕草でも可愛く見えてしまう。
苛めたく、なる。
「…隙あり」
羞恥から顔を上げれなくなった鳴門の弁当から綺麗な黄色の卵焼きをひとつくすねる。
あ、と鳴門が気付いたときには既に鹿丸の口の中。
そして、
「…っ…うっま…」
一瞬言葉が出なくて、やっと出たのはありきたりな賞賛。
でも、それ以外に表す言葉が見つからない。
ほんのり甘い卵焼き。
家では出汁巻きが主流であったから、甘い卵焼きなんておかずにならないと馬鹿にしていたけれど。
そんなの払拭できるくらい美味しい。
桜が、でしょでしょ?と自分が褒められたかのように喜ぶ。
「いつでも嫁に来いよ」
さらっと出てしまった冗談とも取れる本気の言葉に、俯いていた鳴門がはじけたように鹿丸を見上げる。
正直、鹿丸は本気で言ったけれど、周りは完全に冗談だと思って笑っている、中―――

ぼっと火がついたかのように鳴門の全身が真っ赤、に。
潤んだ蒼が鹿丸をとらえたまま揺れている。

「―――え…?」
「え?」
「ええ?」
思いがけない鳴門の状態に、周りの方が驚いている。
唖然と鳴門を見つめていた一同、一番先に復活した桜が苦笑する。
「ちょ、やだ鳴門、冗談よ?」
何本気にしてんのよ、と鳴門の背を叩く。
「え?えっ…?あ…そ、そうだよ、な!びっくり、した」
やっと自分の状態に気付いた鳴門がぎこちなく笑う。
(いや、本気だったけど…)
そうは思ったが、ここで本気だ本気じゃあない、という口論などしても仕方ない。
けれど、


ほっぺたまで紅くして

鹿丸の賞賛に照れて俯いて

冗談だとわかったら、少しだけ残念そうに―――


(これって…)

期待、しても、良いのだろうか。


これから2週間だけの実習生活。
楽しみが増えたと、鹿丸は目の前の金髪を撫でながら、笑った。










モドル