木の葉学園【03】
放課後の教室に、渡されたプリントに文字を綴っていく生徒がひとり。
夕焼けが色濃く影を落とし、それでもまだ明るい室内に電気を灯す様子はなかった。
ときおり、シャープペンをくるくると回しながら思案するように顎を上げる。
薬品で染めたものではない金髪が、今は夕陽に溶けてオレンジに輝いている。
その見事な色合いに足を止めたのは、奈良鹿丸。
現在、教育実習生として木の葉学園に来ている大学生だ。
着慣れないリクルートスーツのネクタイを緩め、頼まれていた教材を準備室に戻して来たところで、目に入ったオレンジ。
廊下から窓をそっとのぞけば、うんと後ろの方の席で、居残り課題を解いている生徒がひとり。
波風鳴門。
良くも悪くも目立つ彼は、いささか成績が芳しくないらしい。
幼い子供のような無邪気な笑顔で接してくる彼はしかし、このクラスの人気者とも言える。
その笑顔に、やられてしまった。
既に脳は彼の姿かたち、声や笑顔の作り方、今日見た全てをインプットされている。
きっと何百メートル先でも、人混みでさえも見つけられる、そのくらい。
薄暗くなった室内、課題に集中しているのか鳴門は電気もつけていない。
苦笑して、引き戸に手をかけほんの少しだけ開いた隙間。
「…ん、46かな…」
ぽそりと聞こえた呟き。
「鳴門」
急に明るくなった室内と、かけた声に、びくりと肩が揺れた。
「っ…せんせ…びっくり、したぁ…」
「おー。居残りご苦労さん。ちゃんと電気付けねぇと目、悪くすんぞ」
「あ、うん…気付かなかったってば」
気付かないほどの集中力を持っているのに、何故点数に繋がらないのか不明だ。
「終わったか?」
「ん!今ちょーど終わったとこ!」
疲れたぁと腕を伸ばして帰り仕度をする鳴門。
手元のプリントは数学、一応は答えを全て埋めてあるようだ。
「海豚先生に提出すんだろ。俺も職員室行くから一緒に行こうぜ」
「うん」
付けた電灯を消して、鳴門を促す。
灯りの消えた教室は、数分前より格段に暗くなっていた。
薄暗い教室に二人きり。
その状況に少しドキリとした。
(いかんいかん…)
妙な気分を振り払い、教室をあとにした。
「失礼しまーす」
間延びした掛け声に、僅かに眉を寄せる教師もいれば、生徒はこんなものだと受け入れている教師もいる。
しかし成績重視の教師には目をつけられているのか、露骨に嫌な顔をされる、が。
そんなことは気にせず笑顔で職員室に入る鳴門の背を追う。
同じく笑顔で「お、できたか?」と手を振る海豚を発見し、鳴門の足が速まる。
海豚は自席ではなく、職員室の一角をパーテーションで区切られた実習生用の場所にいた。
「海豚せんせー!」
「うわっ急に飛びつくなっていつも言ってるだろ」
海豚の胸に飛び込む鳴門。
小さな子供が父親に甘えているようでも、鳴門に懸想している鹿丸には大変な事件が目の前で起こっているようにしか見えない。
いつも、と言うことは、こうやって甘えることは日常茶飯事で、海豚も嗜めてはいるけれど、決して嫌悪はしていない。
それがまた気に食わないのだが、鹿丸はあまりのことに立ち尽くすしかなかった。
「できたのか?」
「んっ」
これ、と出されたプリントを海豚がその場で採点していく。
その横で、既に授業の終わっている猪乃と蝶治が固まっている鹿丸を不思議そうに見つめている。
「あんた何やってんの?」
「…や、別に…」
とにかく今は話しかけない方が良い、と長年の幼馴染達は空気で察知し、目の前で採点している海豚に視線を戻す。
赤ペンが最後の問題を添削し、点数を計算していく。
正解の点数に部分点を加え、
「まあ、お前にしてはよく頑張ったかな。46点!」
(え…?)
響いた海豚の声に、鹿丸の飛んでいた精神が戻ってくる。
海豚の隣で、頭を撫でられる鳴門は屈託なく笑う。
「バツついたとこは今から教えるから、解けるようになっとけよ」
「えー」
「えーじゃない。ほら、俺の席で教えてやるからこっち来い。他の実習生の皆さんにお邪魔だから」
口では文句を言いつつも、鳴門の表情は嬉しそうだ。
「あれ、ほんとだ。奈良せんせみたいな?」
ようやく存在に気付いたのか、鳴門が大きな蒼を更に見開いて、猪乃と蝶治をとらえる。
「そうよー。鹿丸とはちっさい頃からの幼馴染なの。こっちの蝶治もね」
よろしくね、と勝気な笑顔で猪乃が笑うと、
「俺、波風鳴門!奈良せんせのとこのクラスなんだー」
「そうなんだ。鹿丸が居眠らないようにしっかり見張っといてね。
こいつ学生のときはどの授業もほっとんど寝ててね。でも、いつも学年10位内に入ってんだから腹が立つったら」
「奈良せんせ、やっぱ頭いーんだ!」
すごいすごいとはしゃぐ鳴門に、気恥ずかしそうに視線をそらすしかできない。
「こら鳴門、皆さんの邪魔してないでこっち来なさい!」
すっかり猪乃と喋りこんでしまっていた鳴門を海豚が催促する。
「あ、ごめんってば海豚せんせ!じゃあ、またねってば」
笑顔で手を振る鳴門に気を良くして、同じように笑顔で猪乃が手を振り返す。
「何あれ、かわいいわねー!わんこって感じ!うちのクラスの子なんてさあ…」
ちょっと聞いてよー!と話の長くなりそうな猪乃の横で、鹿丸はまるで違うことを考えていた。
「46…」
鳴門の居残り課題の点数。
さっき教室で呟いていた言葉と一致していた。
部分点の付け方は教師によって多少の誤差はあるだろう。
それを鳴門はちゃんと確信していた。
たぶんこの点数、という意味ではない。
確実に、この点数がつく回答をした、と言った方が正しい。
自分の狙った点数にすることは、5段階評価で体育と家庭科以外オール2の成績の生徒ができる芸当ではない。
と、言うことは。
鳴門は、思ったとおりの点数を弾き出せるだけの頭脳がある、と言うことだ。
どうして、そんなことをしているかはまだわからないが。
「…俄然、知りたくなった」
「え?なに?」
聞き取れなかった鹿丸の呟きに、猪乃が怪訝そうに見る。
「いや、実習、明日からも楽しみだなって」
そう、にやりと笑って。
珍しく興味津々の鹿丸を不思議そうに幼馴染達が見つめる。
漆黒の対。
視線の先は、明るい金髪の少年。
屈託ない笑顔の裏には、もうひとつの顔がある。
そんな確信。
「…ほんと楽しみだ」
零れた本音はほんとうに楽しそうで、幼馴染達はそろって首を傾げた。
モドル