なあ、私、お前の役に立ててる?
お前のこと手放せないって言ったけど、
今は放さないでいられる自信が、
ない
もういちど
「え・・・」
大きく見開かれた目。
蒼が揺れた。
「今なんて・・・」
瞬きさえ忘れてしまったナルトから視線を外して再度口を開いた。
「・・別れて、くれないか」
カツン、と手入れしていた暗器が床に落ちた。
「自分から付き合ってくれって言ったくせに、悪いと思ってる」
ごめん、と呟きナルトを見ると、時間が止まったかのようにこちらを見つめていた。
なんで?と微かに声が聞こえて。
「ずっと考えてた・・・私、ナルの役に立ててるか・・・?」
自然と出てくるようになった“私”と言う言葉。
ナルトの前でだけ使う自分の特別。
シカマルの言葉に首を傾げるナルト。
「・・お前は、さ、強いし、格好良いし、料理だって上手いし、優しいし、思いやりもあるし、それで、
任務で疲れても、何か嫌なことがあっても私には何も言わない」
愚痴を聞くくらいならできるのに、と唇を噛む。
「私が今お前にしてやれていることって、何だ?ないだろ?何も!」
ただ暗部の任務に出かけるナルトを見送って、帰って来るのを待って出迎えてやるだけ。
それが、それだけしかできない自分が、歯痒いのだ。
「俺は、シカ・・・いてくれるだけで・・・・」
シカマルの言い分を理解しようと今まで黙っていたナルトがようやく口を開いた。
「駄目なんだよ!いるだけなんて、何の役に立っているって言うんだ・・・?」
感情が高ぶって、知らぬ間に流れているシカマルの涙にナルトが驚く。
「私じゃなくて良いじゃないか・・もっと他に、いるだろう・・・?」
もっと優秀なくのいちとか、山ほどいるじゃないか。
サクラのように常に笑顔を向けることもなく、ヒナタのように優しく気を遣えることもなく、
イノのように上手く世話を焼くこともできない。
自分にできることとは、何だろう?
ずっと考えていたのだ。
涙を隠すように顔を背け、背を向ける。
「・・・俺は、あなたが良いです」
伸ばした手を、触れられる前に払った。
ナルトは驚いて、払われて宙に浮いた手はそのままだった。
自分でも驚いて、でも引き返せなくて。
「無理だ、私、自信ねぇから・・・」
俯いたまま、ナルトを見れないまま、部屋を出て行く。
ごめん、ともう一度伝えて。
もう来ることはないのだろうナルトの本宅を一度だけ振り返って、そのまま森に消えて行った。
ナルトは未だ腕を宙に浮かせたまま立っていた。
突然の出来事に、頭がついて行かなかったのだ。
―――私、ナルの役に立ててるか・・・?
いてくれるだけで良いと思っていたが、シカマルはそうではなかったようだ。
この頃、何か悩んでいることは気付いていた。
どうかしたのかと聞いても曖昧に笑って誤魔化すシカマルに、もう少し歩み寄れば良かったのか・・・?
ぱたり、と床に水が落ちた。
それが自分の涙なのだと気付いたのは、小さな水溜りになってから。
今更だと自分に苦笑して。
シカマルがいつか自分から離れて行くことは、最初からずっと考えていたことだったのに。
最近は、居てくれることが当たり前になっていて忘れていた。
ただシカマルを苦しめていたのは自分なのだと思うと、申し訳なくて、辛くて、情けなくて。
(・・・ごめんて、ありがとう、て・・言うの忘れてました・・・)
でももう言えない。
これからはまたシカマルと付き合う以前の状態に戻るのだから。
今までのように素の口調に戻すこともない。
表での付き合いだけになって行くのだ。
これ以上彼女を自分のことで縛ってはいけない。
ずるずると凭れた壁に沿って床に落ちると、そのまま泣いた。
「いきなり合同任務かよ・・・」
集合場所で知らされた内容にシカマルは息をついた。
「何か言ったー?」
呟かれたそれをイノが拾って振り向いた。
「別に・・・」
「シカマル、なんか隈できてるよ。寝てないの?」
不機嫌そうなシカマルをチョウジが伺う。
「・・・別に」
だめだこりゃ、と目が据わってきたシカマルから距離をとってイノとチョウジは7班が来るのを待つことにした。
2時間ほどたって、7班の気配が近付いて来た。
「相変わらずおっそーい!!!」
「ごめんってばよー」
イノの罵声に素直に謝るナルト。
昨日聞いたばかりの声なのに、肩が震えた。
(ナル・・・)
ナルトの目が微かに紅いのに気付いて胸が痛んだ。
こちらに気付いた仕草を見せて、
「シカマルー、おはよってば」
にっこり太陽みたいな、表用の笑顔での挨拶。
今までなら、この後に穏やかな静かに笑うナルトの笑顔を見れたが、今日はなかった。
きっと、これからもなのだろう。
そしていつかあの笑顔は誰か他の女のものになる。
自分が望んで招いた状況なのに、悲しくて、俯いた。
合同任務後、まっすぐ帰宅したシカマルに少し驚きながらヨシノが出迎えた。
「珍しい、あんたがこんな時間に家に帰って来るなんて」
「・・悪いのかよ・・・」
「だってあんたナル君のところに居座って帰って来ないじゃない」
不機嫌なシカマルの態度にも臆することなくヨシノは続ける。
ナルトの名前に僅かに反応したシカマルを不思議そうに見ながら。
「なあに〜?喧嘩でもしたの?」
「・・別れた」
「・・・・・・・・・・はぁ・・?て、ちょっと待ちなさい!」
じゃそういうことだから、と自室にあがろうとしたシカマルの首根っこを掴み居間に連れ込む。
無理矢理座らせて、向かい合う。
「何よ、急にどうしちゃったの?」
「・・・・・急にじゃない・・」
家では変化を解いているため、今日も例外なく変化を解いて見せる。
「ずっと、考えてた・・・」
ぼろぼろと大粒の涙を溜めては落とすシカマルに驚きながら、背をさすって宥め話をヨシノはただ聞いていた。
「・・それで、別れるとか言っちゃったの・・・?」
こくり、と顔を立てた膝に埋めながら頷くシカマルに溜め息を漏らす。
「あんたは・・・頭が良いんだか悪いんだか・・・」
「・・・なんだよ・・・」
「“いてくれるだけで良い”なんて凄い殺し文句じゃないの」
言われてみたいわ、と苦笑する母。
「そんなの、私でなくても良いだろ・・・」
何かひとつでも、彼の隣が自分で良いのだと言う確証が欲しいのに。
「そのうち、もっとあいつに似合う女が現れるよ・・・」
「それは・・・どうかしらね・・・」
シカマルの言葉に俯き、やや沈んだ母の声に顔を上げた。
「なんだよ・・?見た目だって良いし、優しいし強いし、金に困っている訳でもないし。引く手数多だろ」
「・・そう言えるのはあんただからよ」
厳しい母の顔にどきりとしながら、
「この里はそんなに優しくないわよ・・?」
はっとした。
シカマルの中ではナルトはナルトであるため思わなかったが、里人にとってはナルト=九尾という認識なのだ。
十数年たった今でも、ナルトに対する里人の対応はひどいもので、よくケガを作って帰って来る。
避ければ良いのに、里人を安心させるためにナルトはよく暴力を抵抗せずに受け入れる。
その度にシカマルが怒って、ナルトは大丈夫だと笑って。
押し黙ったシカマルに苦笑して。
「・・・ね。いてくれるだけで良い、ってナル君ほんとにそう思っているんじゃないの?」
顎を組んだ手に乗せて、ねぇ?とシカマルを見つめる。
「愚痴を言わないのも、疲れてたってあんたの顔見て忘れちゃうだけなんじゃない?」
「・・・・・・」
「・・・いっぺんナル君の立場になって考え直してごらん」
母の言葉が、胸に刺さった。
ナルトの立場になって考える・・・。
あいつと会ったのはいつだっけ・・?
なかば夢現で思い出す。
出会ったのは、アカデミーに入る前。
ブランコで子供達が遊んでいるのを眺めていた金髪に、話しかけたのは自分の方だった。
きらきらした金髪に見とれて、揺れた蒼に捕らわれたのも自分。
一緒に遊ぶかと聞いて信じられない、と目を見開いた金髪に、彼の与えられた環境を垣間見た気がした。
火影邸にいた頃は、常に命を狙われていたのだと3代目から聞いたことがある。
いつもぴりぴりと気を巡らして、毒の入った食事を摂って、優しくしてもらった3代目に恩を返すために
表立って動けない代わりに暗部に入り、夜を走り。
アカデミーに入る前からはずっとひとり暮らしで。
親もいないからナルトはいつもひとりで。
食事だって家事だって自分でしなければならなくて。
家に帰ってもひとり、で。
最近は、私が送り出して、ナルトの帰りを待って・・・。
何故かいつも帰ってきたナルトは笑顔で。
(・・・うれし、かったのか・・・?)
今までずっとひとりでいた彼は、日常の何でもない言葉をひどく喜んだ。
お帰り、とか行ってらっしゃい、とかおはようとかおやすみとか。
勝手に温もりを与えられ、掴まれた手を放られて、今あいつはどんな気持ちでいるんだろう・・?
私を恨むだろうか?
そう考えて思い直した。
(それはない・・・)
優しいあいつは、どこまでも自分は二の次で。
シカマルのことを思って自分を責めているのだろう。
―――あなたが良いです
そう言って伸ばした手を振り払ったのは自分だ。
(・・・?)
小さな違和感。
(“あなたが良いです”・・・なんて・・・)
珍しく出された主張。
いつも遠慮がちに口を噤む彼の。
初めて言われたわがままを、振り払ってしまった。
(役に立ちたいって思ったのに・・・)
自分自身でその望みを絶っていたんだ・・・。
「シカマルー・・・?」
再び目の前で泣き始めたシカマルを宥めながら、よしよしと幼子にするように頭を撫でる。
その行為に顔を赤らめるが、なんだか懐かしい感覚が心地よくて身を委ねる。
「会って仲直りしてきなさいな」
「・・無理・・・」
自分の勝手で出て来たのだ、どんな顔をして行けば良いと言うのだろう。
「それはやってみて駄目だったときに言いなさい。あんた、今のままで本当に良いの・・・?」
「・・・・・・」
涙を拭って、立ち上がると微笑む母の顔を見て、ナルトのもとへ向かった。
アパートか本宅か迷って、おそらくアパートだろうと行き先を決める。
なんとなく、きっとシカマルの存在が色濃く残る本宅にはいないのではないかと、思った。
しかしアパートには戻った様子はなかった。
本宅に行こうかとも思ったが、行き違いになる気もして待つことにする。
アパートの簡素なドアに凭れて、夕日が沈むのを見ていた。
「シ、カ・・・?」
戸惑ったような声に振り向くと、オレンジに染まった金髪が目に入った。
眩しくて目を細めた。
「どう、したってば・・?どっかからだ、悪いってば・・?」
「いや・・・っ・・お前・・・」
表の口調のまま、シカマルを気遣う。
この頃寝不足で顔色が悪かっただけなのだが、具合が悪いように見えたのだろう。
そんな自分こそからだ中が泥と血に塗れて、よく見ると金髪は血で染まっていた。
「またやられたのか・・!?」
「大丈夫、たいしたことないってばよ」
思わず伸ばした手を、ナルトは笑ってやんわり戻した。
帰りが遅いとは思っていたが、こんなことになっているのなら探しに行けば良かったと唇を噛んだ。
「ナル・・話がある」
「・・・わかったってば、どうぞ」
ガチャリと施錠音が響いてシカマルを招き入れ、水に浸したタオルでからだの汚れを拭って行く。
すっかり治癒された傷はもう痕さえ消え去って、きれいな白い肌に戻っていた。
「どうしたってば?シカマル」
2人だけになっても表の口調を崩さないナルト。
「・・・昨日、ひどいこと、言ったから・・・」
ごめん、と小さく呟いたシカマルに、
「ひどいことなんて言われてないってばよ?」
「・・・・・・」
変なシカマル、と笑うナルトに胸の奥が重くなった。
「それでそんな顔してたってば?ならシカマルの勘違い!気にすることじゃないってば」
ニカ、と笑って。
その笑顔に、涙が止まらない。
「・・許して、ナル・・・」
「だからシカマルは悪くないんだってばよ?」
震える声のシカマルを覗き込み、安心させるようにナルトが笑う。
「・・悪いのは、あなたを泣かせている俺です」
静かに視線を合わせ、本当に申し訳なさそうに呟くナルト。
「ちがう・・・」
首を横に振って違うのだと伝えても、ナルトは自分のせいだと言う。
「・・・昨日言えなかったから今伝えておきますね」
ことりと首を傾けて、寂しそうに薄く笑って。
「シカ、悩ませて、傷つけてごめんね。一緒にいてくれてありがとう」
「・・・ナル・・・?」
「もうあなたに必要以上に近付いたりもしません、だから、泣かないで・・・?」
溜まった涙を指で拭おうとして、触れる寸前でその温もりは離れて行った。
「・・・やっぱり、わかってない・・・」
シカマルの言葉に首を傾げる。
「何で触ってくれないんだよ!お前はいつもそうだ・・!遠慮して自分の中に溜め込んで俺には何も
言ってくれないさせてくれない望んでくれない!!」
突然のシカマルの怒声にナルトは面食らってぽかんとしている。
自分がおかしなことを口走っていることはわかっている。
なんて我侭で矛盾したことを言っているのだろうかと。
それでも言わずにはいれない。
「何かして欲しいって言って欲しいのに・・いてくれるだけで良いなんて、人形みたいで、
自分の存在価値がないみたいに思えて嫌だった・・・!悲しいことも辛いことも一緒に感じたいのに
それさえナルは言ってくれない・・・」
「シカ・・・」
視線を移ろわせて、新しいタオルを水で濡らし、躊躇いがちになりながらもそっとシカマルの目に当ててやる。
泣き腫らした目はうさぎみたいに真っ赤で、痛々しかった。
汚れた上着を床に落として、シカマルのからだをそのまま抱き寄せると応えるように抱きしめ返された。
「・・あのね、俺、シカといると幸せだから悲しいとか、辛いとか思わないです」
任務で疲れても、里人に暴力を振るわれても、
「何故だか、あなたの顔見たら、嫌なこと忘れてしまうから・・・」
ナルトの言葉に思わず顔を上げると、昼間に見れなかった彼の穏やかな微笑。
自分だけが見れる特別。
これを手放せるなんて、どうして思ったのだろう・・・?
「でもそれがあなたを傷つけることになってしまうとは思わなくて・・・」
気付かなくてごめん、と再度謝るナルトに、
「ちがう・・・!悪いのは、私だから・・・ごめんナル・・!!」
しがみつくように抱きつくシカマルの背をゆったりと撫でてやる。
「ねえ、シカ・・・」
ようやっとシカマルが落ち着いたのはとっぷりと日が沈んでからで、電気もつけない暗いナルトの部屋に
小さな子供の影がただ寄り添っていた。
心地よい心音を耳に当てながら、夢見心地で自分を抱きしめる相手を見上げる。
「戻って来てくれませんか・・・?」
思ってもみない言葉に目を見開く。
ナルトのことだから、里人から守るため、やはり自分は狐憑きだからとこの機会に別れようと言うと思っていた。
「俺はやっぱりあなたが良いです」
見上げた蒼はどこか必死で、不安定に揺れていた。
きっとこれが彼なりのわがままなのだ。
これを断れば、この先どんなに自分が愛していると言っても彼は自分に触れることはないだろう。
きっと、彼の中で一生に一度の一番大きなわがまま。
短いお願いの中にはたくさんの彼の決意が詰まっている。
シカマルは慎重に、こくりと頷いた。
見上げたナルトは、今までで一番幸せそうに笑ったと思った。
「なあ、俺お前に迷惑かけてばかりだけど、頑張るから、もういちど」
愛して?
そう言ったら、ナルトは静かに笑って、
ずっと愛してる、と言った。
モドル