その日俺はチョウジとイノと一緒に遊んでいて、誤って木の上から落ちた際に肩に深い怪我を負って帰宅した。
治療のため病院に寄ったために家に着いたのはもう随分月が高く上がっていた。
息子が大怪我をして帰って来たと言うのに、父親達は酒盛りしていたのを覚えている。
座敷の奥には、父親とその友人達と言ういつもの顔ぶれにもうひとり。
どこか申し訳無さそうな佇まいでいた青年。
深い茶髪に明るい茶瞳の、里では珍しくない色ではあったがパーツは極上品。
そのとき自分がひっそりと想っていた人物とかぶって見えた。
自分の傷を見るや否や、控えめな態度ながらに治療を申し出た青年。
流れて来るチャクラに、やはり同じ人物を思い出してしまった。
父親達の友人にしては年若く、丁寧な口調で静かに笑う青年だった。
仕草だって全然似ていないのに、
雰囲気だって真逆で、
なのに。
(なんで、あいつを思い出すのだろう・・・)
座敷から、父親達がその青年を呼んだ。
思い出すように目を閉じ、再び開けるとカーテンの隙間から差し込んだ朝日に目が眩んだ。
どうやら夢を見ていたらしい。
10年ほど前のできごとだった。
あのとき父親達は彼を呼んだ。
彼の名を、呼んだ。
「緋月・・・」
呟いて、愕然とした。
どうして忘れていたのだろう。
けれど、
(ああ、そうだ・・・)
そうだったんだ、と小さく、小さく呟いた言葉は朝日に負けて消えて行った。
心、重ねた<後篇>
今日は合同任務で、そしてこれが上層部のお膳立てだろうことは察しがついた。
腹の底で得体の知れない黒い何かがせりあがりそうになるのを抑えて、集合場所へと向かった。
合同任務では使わないだろう、磨き上げた暗器を袖に忍ばせて。
気持ち悪いほどの穏やかな任務だった。
いつもの如く7班はカカシの遅刻により2時間遅れの合流。
失せ物探しと言う珍しくもない任務内容。
今回はキバと赤丸が発見し、カカシの遅刻を取り戻してお釣りが来るほどのスムーズさで任務は終わった。
それまで、いつもならもっと喋りかけたりするのに目さえ合わさなかった金髪の友人の元へ歩み寄る。
まだ3時だと言うのに冬のせいなのかややオレンジの光が金髪をより一層深い蜂蜜色に染め上げていた。
思わず見とれた。
その視線に気付いた素振りを見せた金髪がゆっくりとこちらへ向かって来た。
何?と小首を傾げて緩く口元に弧を描く。
位置的に、自分しか見れないはずのその顔は、まるでいつもの金髪とは違っていて。
確信する。
(緋月・・・)
そう彼もこんなふうに穏やかに笑った。
「や、今日、さ・・・お前ん家泊まらせてくんねぇ?」
用意していた台詞を唇に乗せて。
「良いけど、おっちゃんと喧嘩でもしたってば?」
驚いたように眉を下げる金髪は、本気で心配そうに蒼を揺らす。
「まーそんなとこ。今日一日だけ、良いか?」
「もちろん良いに決まってるってば!」
任せろ、とばかりに胸を大袈裟に張ってにこりと笑った。
今日一日。
なんてひどい嘘なんだろう。
(今日で、最後なのに・・・)
こんな会話のやりとりも、
笑って過ごせるのも、
その蒼を見られるのも。
じゃあ帰るか、と視線を交わしこの穏やか過ぎる空気を後にしようとしたとき、
「ずりー!!俺もナルトん家泊まるー!!!」
主人に応えるようにキャンと相槌。
追いかけてくるようにこちらへ向かってくるキバに内心舌打ち。
(お前がいたら計画が無駄になんだろーが・・・)
どう言い訳しようかと視線を巡らせているとさりげなく入る高いめの声。
「俺ん家狭いからキバはまた今度来いってばよ」
シカマルはほんとに困ってるんだしさー、と唇を尖らせて窘めるナルトに渋々と言った様子ではあるが、じゃあ今度絶対、
と約束を取り付けたキバに少し困ったようにナルトが笑った。
返事は言葉にしなかった。
困ったように笑った表情はいつかの緋月の見せたものと重なった。
どくりと心臓が波打った。
(ああ、こいつ・・・)
わかってしまった。
僅かに緋月を滲ますナルトに、行こうぜと背を押した。
カンカンと安っぽい音を立てる階段をあがり、塗装の剥がれ落ちたアパートの扉が、見慣れているはずなのに今初めて見たかのような気がしたのは。
(俺自身が今日と言うこの日を、)
どれほど噛み締めているかと言うことかを実証している。
あってないような簡易な鍵の施錠音がいやに耳に響いた。
いつも通りどうぞ、と扉を開けてサンダルを脱ぎ始めたナルトの後ろで扉が閉まり、まだ明るいながらも日当たりの悪い部屋に闇が広がる。
俯いた金髪からさらりと落ちて覗いた細い首に、ぞくりと背が震えた。
「っ・・・シ、カ??」
突然後ろからからだを抱きしめられたナルトは、困惑した声で、しかし強く抱きしめられ振り向けずにいた。
「お前は、緋月・・・?」
耳元で囁かれた質問に、ナルトは抵抗を止めた。
黙ったまま、息さえしているのか心配になるほどの沈黙。
「・・・今日、何で俺がここにいるかをお前は知っている、な・・・?」
腕の力を緩めてやると、ナルトはゆるりと首を傾げるようにしてシカマルの顔を覗き見た。
澄んだ蒼はいつもの、しかし静かな眼差しは初めて見る彼の表情に、またひとつ心臓が跳ねた。
「・・・・・知っています」
丁寧な口調に、いつかの緋月が重なった。
まだ5歳の自分に敬語を使った父親の友人の中にいた彼に。
「知っていて、俺を家にあげたのか・・・?」
「知っていて、あなたの傍にいるのですよ」
今日は、今日だけは、あなたの前だけは偽りのない自分でいたかったから。
真っ直ぐに見つめる蒼に陶酔するかのような感覚に、眩暈がした。
「その忍ばせている暗器は使わないのですか・・・?」
からかうのではなく、純粋に聞いてくるナルトに驚いて拘束していた腕を完全に解いた。
「・・・まだ、使わねぇ」
お前と、話したいことがあるから。
別に特別な話ではない。
本当のお前とただ話してみたい。
そう告げると僅かに目を見開いて、しばし視線を巡らせて。
「おなかすいてます?」
そう言った。
トントンと軽やかな音が耳に響いて来る。
障らない、まるでフィルターを通したように響く料理の音は心地良いものだった。
乱れのない、手際の良さについ視線がナルトの動作ひとつひとつを追ってしまう。
夕日はとうに落ちて、辺りは闇に染まってしまった。
夕食の手伝いを申し出たがやんわり断られてしまったため、シカマルはぼんやりとベッドの上からナルトの様子を見つめていた。
なんておかしな日なのだろう。
今日の日付が変わる頃には、殺す側と殺される側に立たされると言うのに。
ナルトは自分を殺すとわかっているシカマルのために夕食を作っている。
シカマルは本来すぐにでも殺さねばならない友人を拘束もせずただ見つめている。
きっとナルトは逃げないだろうが、と何の確証もないのにそう言い切れる自分に笑ってしまう。
おかしな状況、なのに。
((なんて心地良いのだろう・・・))
思っていることもきっと同じ。
何も言わずとも、空気がそれを伝えてきて、知らぬ間に2人とも口元が綻んでいた。
「美味い」
第一声、その賛辞にナルトは嬉しそうに笑った。
「ひとり暮らし長いもんな」
そら上手いよな、と注がれた茶を受け取った。
「普段はあまり作りませんが・・・よく綱手様の酒の肴を用意したりするので・・・」
「・・・」
あの婆、そんなことまでさせてたのか、と眉間に皺を寄せる。
ナルトの用意した夕食は、豪勢なものではなかったが母の手料理を思い出すような家庭料理で。
きっと時折訪れていた自分の家で出た料理の感じをイメージして作ったのだろう。
だって全てが自分の好みに沿っている。
どれを食べても落ち着けた。
食事を終えて、風呂も借りて、ナルトの今までを話してもらって、今はさして大きくもないベッドに
2人で寝転がっている。
話が一区切りついて、しばしの沈黙が落ちる。
それを破ったのはシカマルだ。
「・・・お前は、どうして俺を責めない・・・?」
蒼がこちらにゆっくり振り向いた。
小さなベッド。
子供2人であってもまだ狭い。
しかし近過ぎる距離でも心地良さしか感じない。
「・・・俺を殺したとしても、誰もあなたを責めたりしません」
里人に蔑まれるたびに思った。
誰よりも自分の命とは軽いのだと思い知らされた。
「むしろあなたに殺されるなんて夢のようだとも思っています」
やっとだ。
やっとこの地から、このからだから、解放されるのだから。
大好きな、ひとの手によって。
「んなの・・・夢だとか言うんじゃねーよ、馬鹿」
「馬鹿じゃないです。好きなひとの手によってこの命が終われるのなら、なんて幸せでしょう・・・」
「―――・・・」
突然の告白に、シカマルは固まった。
綱手から間接的には聞いていたが、まさかナルトの口から直接聞けるとは思わなかった。
「ナル・・・」
「最後なので、言ってみました」
すっきりした、と笑うナルトの頬は暗闇でも紅いのだとわかるほど。
きっと自分も同じくらい紅い。
投げ出していた手足を拾い、隣で寝転ぶナルトを覆うように体勢を変え見つめる。
「・・・俺もお前が好き」
紅かった頬は、今は首まで紅く染まって、泣きそうに蒼が揺れた。
「・・っ・・・はは・・優しいんですね・・・?」
最後に夢を見させてくれるの?と笑顔が歪んだ。
「嘘じゃねーよ・・・ずっと、もっとガキの頃から好きだった・・・」
知らなかったろ、と唇を上げれば、揺れた蒼から頬を沿って涙が伝った。
「ほんと、に・・・?」
信じられない、と震える声で見つめ返す金髪は愛らしくて愛しくて。
「だからお前の望むままにしてやりたいんだ」
見開いて瞬いた蒼から大粒の涙が落ちた。
生きたいと言うならこのまま逃がし、死にたいと言うなら今袖の中で準備されている暗器で首を切り裂いてやっても良い。
「どうして欲しい・・・?」
生きたいと、言ってくれ。
そうしたら、俺はどんな手を使ったってお前をこの里から逃がしてやる。
しかしナルトは首を横に振った。
すっかり死を甘受しているナルトに絶望感が増した。
「も、今ので充分です・・・」
ナルトが笑った。
「どうぞあなたの思うままに」
ぽたりぽたり。
鳴っているのはベッドから滴り落ちるナルトの血の音。
放物線を描いた赤は血溜まりを作っていた。
それをぼんやりと魂が抜け落ちたかのように見つめるシカマルも、やはり血濡れで。
細い暗器が手から滑り落ちて金属音が響いた。
「ナ、ル・・・」
細い首は紅く染まり、輝いていた蒼も今は閉じられ、しかしそうしたのは自分なのだと言うことを思い出したように
冷えたからだを抱きしめた。
そしてゆらりと立ち上がると、ふいに空を見つめ口を開けた。
「見ているんでしょう・・・?」
その言葉と闇の瞳にびくりと肩を揺らしたのは、水晶の奥でことの成り行きを見守っていた上層部の者達。
綱手はただじいとそれを見つめた。
「報告に・・・行けそうにないので・・・・・ここで失礼致します」
ナルトを抱えたまま膝を床につき頭を垂れる。
「任務、無事完了致しました」
抑揚のない声に気付いた者はきっと綱手だけだろう。
上層部の者達は「完了」の報告に歓喜の声を上げた。
しかし次に取ったシカマルの行動にざわめき、焦りの表情を浮かべひとを呼びに飛び出した。
水晶の奥に映ったのは蒼い炎で包まれている、
2人の子供だった。
「シカマル・・・ナルト・・・・・・」
ぽつりと呟かれた名は、蒼い炎と共に消えた。
ふわふわとした浮遊感に似た心地良さに、このまま捕らわれていたいと思う。
自分を包む温もりに、何故だか涙が溢れて、同じ温度の何かがそれを拭った。
擦り寄れば、優しく抱きしめなおしてくれる温度は、浮かび上がる意識を再び沈めて行く。
そんなやりとりを、どれほど繰り返したのか。
重い瞼を持ち上げると、滲むように広がる見知らぬ景色。
薄汚れた自分のアパートの天井でも、本宅のそれでもない、しかし見覚えのある天井は・・・。
意識が浮上する。
「・・・っ・・・」
「ナルっ・・・!?」
急に起き上がったせいか、ぐらりと傾いたからだを自分の名を呼んだ誰かが支えた。
視界が開ける。
はっきりして行く景色に驚愕する。
「こ、こ・・・は・・・」
掠れた声、どれほどの時間眠っていたのだろう。
いや、それよりも・・・。
「シカ・・・マル・・・?」
「おー」
見開いた瞳の先には、いや、手を伸ばせばすぐに触れられる距離にあったシカマルの姿にびくりと肩を震わせた。
なぜ・・・?
だって、俺は―――・・・
手のひらを首に当ててみたが、何もなかった。
「傷はもう塞がって消えちまったよ」
「な・・・」
何で、と声にはならず。
では、あれは、夢だったのか・・・?
「夢じゃねぇって。ただ傷がこいつのせいで早く塞がっただけのことだ。でも多量失血だったんだから急に起き上がったりはするな」
こいつ、と腹を撫ぜられて、ここがあの世でもなく目の前の人物が幻でもないことを実感した。
「シカマル・・・あの、」
「説明してやるから、とりあえず茶でもいれてやるから待ってろ」
くしゃりと髪を撫ぜられて、ドアの向こうに消えて行くシカマルの姿を見送った。
そしてやっと理解した。
見覚えのあるここは、シカマルの部屋だった。
「ほらよ」
手渡された湯呑みを両手で受け取り、小さく礼を告げる。
「シカマル・・・俺、死んだと・・・思ってました・・」
「死んでるぜ?書類上では」
笑って、死亡通知書をぴら、と突き出され。
「どうぞあなたの思うままに、とそう言ったのはお前だぜ?」
にやりと笑われて、偽装されたのだと気付く。
何故、死なせてくれなかった。
そう、言いたいのに、さほどそう思えないのは彼が傍にいると言う事実のためだろうか。
「言っておくけど、火影公認。秘密裏だけどな」
「・・・どう、して・・・」
「俺の思うままに、しても良かったんだろ?だからお前を生かせた。幻術かけてさ、水晶で見てる上層部の狸共は
まんまと騙されてたな。勿論フォローは6代目に頼んでおいたけど」
くく、と喉で笑った。
「俺もお前のあと追って死んだことになってる」
「な・・・」
次から次へと明かされる事実を飲み込むしかできない。
「これから忙しくなるぜ?」
「・・・?」
何が、と口を開こうとして気付く、近付いて来る複数の見知った気配。
「お前が目を覚ましたことを式で送ったからな・・・ほら来た」
『ナルト―――――!!!』
ドアが外れるほどに、否、外れそのまま放置され駆け寄るかつての下忍仲間達。
「もう大丈夫なの?」
「良かったー、もう二日まるまる寝てたんだからー」
「け、今朝まで・・・皆いたんだよ・・・?」
「いったん帰ろーてなって帰宅中に目覚ましたってシカマルから式が来んだもん」
「無事で良かった」
矢継ぎ早に飛ぶ労わりの言葉にただ頷くことしかできずに、ことの状況を思案する。
これではまるで、シカマルの暗殺任務を皆が知っているかのような・・・。
「任務のことは皆知ってる」
思考を読まれたかのような返事に、ナルトはびくりと揺れてシカマルを凝視した。
任務後、全て話したのだとそう言った。
「俺達で、里を変えるんだ」
「・・・・・え・・・?」
「お前が死んだと信じて油断している間に上層部を一掃して内部から掃除して行くんだ。まあ、多く見積もって三年くらいかと思ってる」
「・・・え?え??」
「協力者は結構集まったしな。俺達と俺達の親・親族、カカシ先生達やお前を知っている特上や勿論5代目もシズネさんも。
緋月を慕う暗部が意外と多くて助かったのと、まあ、一番驚いたのが暗部の総隊長だったと言うイルカ先生の協力あって、
暗部全員、俺達についてくれた」
珍しく饒舌なシカマルは、ナルトの意識が戻ったせいなのか嬉しそうな笑顔だ。
それをじいと見つめながら、ナルトは一生懸命理解しようと頷いてみせる。
その姿に苦笑しながら、
「要するに皆お前と一緒にこの里で生きたいからこれから色々と頑張るって話だよ」
まあ、俺も死んだことになっているから裏でしか動けないけど、と笑って。
「あ、ナルトはしばらく安静にね!今まで私達やこの里を守ってくれてたんだもの、休養しっかりとって。
今度は私達であんたを守らせてよ」
サクラがそっと寝乱れていた前髪を直してくれながら、他の者も口々に今までありがとうと礼を言った。
それに狼狽したのはナルトだ。
今までずっと死にたがっていた自分が急に恥ずかしくなったのだ。
「俺・・・」
突然シカマルの手によって口を塞がれた。
それはすぐに離れていって、手の主は言わなくていい、と視線だけで伝えた。
滲む涙をこらえ、小さく、しかししっかりと、ありがとうと言った。
下忍達はすぐに帰って行った。
ナルトがまだ本調子ではないため、からだに障らぬようにと気を利かせてくれたのだ。
「悪かったな」
「え・・・?」
シカマルの突然の謝罪に、ナルトが瞬く。
「や、お前が死んだと言う証拠を残したかったから、首を切った」
「あ・・・あ」
忘れていた。
目覚めたときにはすっかりふさがっていたし、シカマルの幻術にかかっていたせいか切られた記憶も実はなかったから。
ただひどい貧血なのは確かなので、そういうことだあったのだろうとぼんやりした頭で考えた。
「覚えていないので・・・気にしないでください」
それよりも自分のために色々としてくれたことが嬉しかったと笑ったナルトに、知らず頬に熱が灯る。
「なあ・・」
「はい?」
ベッドに座ったまま近付いて来るシカマルを見上げる。
「あなたの思うままって、どこまで、許される・・・?」
どこか不安気に問うシカマルに、くすりと笑う。
「どこまでも」
モドル