夢と傷痕
その日は暑くて暑くて、じりじりと肌を焼く太陽が憎かった。
名家だかなんだか知らないが、家が立派なだけに、朝からつい先ほどまで父親からの修行という名の拷問を受けていた子供は、
長くなり始めた自身の影を睨む。
辺りは夕陽に染まり始め、鮮やかで、どこか不安にもなる朱の色だ。
ポケットの中の小銭がじゃらじゃらと鳴る。
修行後に、汚れたからだを洗いに風呂に入って、襲ってきた眠気にこのまま夕飯も食べずに寝てしまおうかと
自室に戻ろうとしたら、今度は母親に捕まってしまって今に至る。
「重い・・・」
重過ぎて、腹が立つ。
疲労で足がもつれるくらいなのに、母親は笑顔で買い物を頼むのだから恐ろしい。
今夜は、猪鹿蝶で集まって宴会をするらしく、家のストックだけでは足らないとのことで、酒の買い出しを頼まれたのだ。
両手で酒瓶を数本抱え、眉間に皺をよせながらも帰路についている。
余ったおつりで何か買ってもいいわよ。
「殆ど余んねーし・・・」
残ったのは、せいぜい安い菓子がひとつふたつ買えるかどうかくらいのもので。
そして今、自分が欲しているのは、食い気より眠気であって、とりあえず子供は早く家に帰りたかった。
酒瓶を抱えなおし、疲労の溜まった足にチャクラを纏わせ、近くの屋根に軽く跳躍する。
「近道っと」
屋根伝いに辿って行けば、普通に街道を行くよりずっと早い。
トンと着地すると、チカっと目を焼く光に目を細めた。
夕陽だろうか、と逆光に浮かぶ影を見つけ、それがひとだとわかった。
こちらからでは逆光でよく見えないが、自分とあまり大差のないからだつき。
いや、むしろあちらの方がもっと小柄だ。
壁にもたれて肩で息をしているようで、あちらも自分に気づいたのかぎくりと動きを止めた。
「シカ、マル・・・?」
ことりと首を傾げ、伺うように問う声に、子供は覚えがあった。
「・・・ナルト?」
そこにいたのは、つい先日知り合った友人であった。
公園でひとりでブランコを揺らしていた子供。
声をかけたのはシカマルの方で、面倒ごとが嫌いなくせに声をかけた自分自身に驚いたものだ。
だってあまりにも、気になったから。
ブランコの軋む音が、ナルトの心の音みたいに思えて、それがとても、悲しい響きに思えて。
気づいたら声をかけていて、ナルトは話しかけた自分をぽかんと見つめていた。
周りで他の子供達が、あいつとは遊んではいけないのだと親が言っていると一様に口をそろえたのがまた気に食わなかった。
なぜだと問うたら、彼らは誰も答えられなかった。
どうして彼らはそのことに疑問を抱かないのか。
こんなにも不安に揺れる蒼を見て、心が動かないのか。
なかば無理やり引いた手のひらは少し震えて、自分にかまうなとか親に怒られるぞとかそんなことを言う子供に、
どうして触れないでいられるのか。
「何してんだ?」
酒瓶を落とさぬよう気をつけながら、ナルトの傍までかけよろうとした、刹那、
「来る、なっ」
切羽詰った声。
「は・・・?」
驚いて思わず立ち止まり、あとわずか数メートル先のナルトの表情が、しまった、と僅かに歪んだ。
声はどこか苦しげで、よく見ると右肩を押さえ、袖口からはぽたりと液体が滴っていて、それが血だとわかるまでに時間は要らず。
「おまっ怪我してんじゃねぇか!」
「してないってば、あ・・!」
駆け寄り押さえていた肩に触れてしまい、ナルトの顔が痛みで歪む。
「してんじゃねぇかよ・・・しかもその腕確実に折れてんぞ」
だらりと下がった右腕は、指一本動かすこともできなさそうだ。
よく見ると、からだ中のあちこちが汚れていて、口端も額も紅く濡れている。
「し、修行して、木から落ちたんだってばよ・・・」
バツが悪そうに視線を彷徨わすナルトに、ドジだな、と息をつく。
その様子にどこかナルトの表情が緩んだ気がして、シカマルは内心首を傾げたが、今は治療が最優先だ。
手当を、とポケットに手を伸ばして、医療セットを家に置いてきてしまったことに舌打ちした。
「わり、今何も持ってねぇ・・あ!俺ん家来いよ!薬なら山ほどある」
「い、いらない・・・俺ってば、こんなのすぐ治るもん・・・」
「馬鹿、適当な治療して骨が変なふうにくっついちまったらどうすんだ」
「大丈夫っ・・だか、ら・・・放っておい、て・・・」
ずしゃりと、小さなからだが地に沈んだ。
「ナルトっ!?」」
血を流しすぎたのか、顔は蒼白で、ぶかぶかの上着からのぞく腕も紙のように白い。
「おい!!」
額に汗がにじみ、わずかに肩で息をしているだけの状態。
これってヤバイんじゃあねぇの。
シカマルは持っていた酒瓶を足元に置いて、ナルトのからだに負担をかけないようにそっと抱えあげ、家へと急いだ。
「親父!!!」
「うっせぇなっ・・・って、どうした!?」
襖を足で開け、頼む診てやってくれと差し出された子供に、シカクは息をのんだ。
急いで妻のヨシノに布団を敷いてもらい、子供を寝かせると、入念に傷口を診ていく。
「ひっでぇなこりゃ・・・右腕なんか骨がぐしゃぐしゃだ」
脱がした上着から現れたのは、ところどころ赤黒く変色した痣。
特に右肩はばっくりと口を開けた傷痕。
「・・・修行中に、木から落ちたって」
言っていた、だがその言葉に不信感を持った。
ぼそりとこぼしたシカマルに、シカクはよく見ろとシカマルを傍に寄せた。
「木から落ちてこんな傷ができるかよ、こりゃぁどう見てもクナイの傷だぞ」
「クナイ・・・?忍がやったのか?」
「・・・あー・・・いや、どうなんだろうな・・・」
濁すシカクに、シカマルの眼光が鋭くなる。
「やった奴等が忍かどうかは、本人に聞いてみないとわかんねーだろうがよ;;」
そう睨むなよ、と息をつき、治療を再開する。
「んぅ・・・う・・?」
触れられた感触に気付いたのか、ナルトの瞳がうっそりと開く。
焦点の合わない蒼さえ綺麗で綺麗で、薄く開かれた唇はどこか色っぽい。
「シカ、ク・・・?」
横たわったナルトの目線からはシカマルの姿は見えず、目の前の治療に勤しむシカクの姿しか見えていない、
だから、当り前の第一声。
なんだけど、
(・・・ムカつく)
「・・・―――」
あれ?とシカマルは首を捻る。
ムカつくって、なんで?
何がそんなに気に入らないのか。
「どう、して、シカク・・・?ここ、どこ、ですか・・・」
きょろきょろと頼りない蒼、不安定な声が響く。
自分の父親を写す蒼。
途端、シカマルに先ほどよりも強い苛立ちが襲う。
「おい、」
状況が把握できないナルトにシカクはそっと唇だけを動かす。
口調、元に戻ってんぞ。
後ろから何故か殺気を放つ息子に嫌な汗を滲ませながら伝えれば、ナルトはシカマルの存在に気づいたらしく瞠目した。
実はシカクないし猪鹿蝶とは夜の任務時で知り合っていた。
父親と友人であったらしい彼らとは、知り合ってからは時折、食事をしたりもした。
つい素の口調で話してしまったことに、しまった、と眉を顰める。
その様子に、シカクは大丈夫だ、と金髪を優しく梳いた。
何故かはわからないが、後ろの息子はナルトの口調がおかしいとも気づかないほど何かに気が散っているらしいので。
「で、この傷はどうした?」
とりあえず、一通り傷の具合を診終わり、シカクが問う。
「・・・修行で」
シカマルにした同じ言い訳を口にするナルトに、頭に直に響くように念話を使う。
(里の奴等か?)
(・・・いいえ、修行中にドジを踏みました)
(嘘が下手だなぁ、俺より強くて器用に印も組むお前がそんな傷作る訳ないだろ)
(俺だって失敗はします)
必死に弁解するナルトに、心が痛む。
優しい子供。
時々、この子供を傷つける里人達を引き裂いてしまいたいとさえ思う。
(舐めんなよ、傷見りゃわかるっての)
苦笑して息をひとつつけば、小さく、すみませんと聞こえた。
(まぁ、いいけどよ・・・少なくとも俺達はお前のそんな姿、見たかねぇからよ)
俺達、という言葉にナルトは僅かに首をずらし、シカマルをその蒼に映した。
何か言いたげな表情、それが怒っているのか悲しんでいるのか、ナルトにはわかりかねたけれども。
「シカ、マル・・・ここに連れて来てくれた・・・てば?ありが、とう・・・」
喋ると傷に響くのか、ナルトの言葉は時折切れた。
それが、シカマルの胸をえぐる。
「誰に・・・」
やられた?
眼尻を紅く染めた、怒りを滲ますシカマルに、どうしてシカマルが怒っているのかはわからなかったが、ナルトは答えなかった。
本当は、嘘なんてつきたくない。
初めてできた友人だから。
大事な、俺の―――
その先の想いに、初めて相対して、ナルトは一瞬息をするのも忘れた。
許されない想いだ。
ふ、と小さく自嘲の笑みが漏れる。
彼は、シカマルは知らない。
自分がどうしてこんな目にあっているのか。
どうして里人がここまで自分を憎むのか。
痛むからだ、けれどあと数刻もすれば、奇麗に、何事もなかったかのように消える傷跡。
(知らなくていい)
知ってなど、欲しくない。
彼にだけは、知られたくない。
知ってしまえば、離れていくのかもしれない。
初めてもらった温度も、優しい言葉も、特別扱いしない触れ合いも、知った今。
失くしたく、ない。
ぴくり、と指を動かす。
どうやらぐしゃぐしゃに砕かれた右腕の骨はなんとか戻ったようだった。
恐ろしいまでの九尾の治癒力。
一番大きな傷が治ったということは、今度は残りの傷も回復させようとするだろう。
みるみる傷口が癒えていく様を、事情を知っているシカクはともかく、何も知らないシカマルに見られるのは避けたかった。
(化け物、と、言われるだろうか)
里人のように。
優しい彼でも、その姿を見れば、畏怖の目で見るだろうか。
それに、自分は耐えられるだろうか?
見られる前に、この場から去らなくては、そう思い痛むからだをなんとか起こす。
「ぅ・・・」
「こら、まだ起きんじゃねーよ、今晩はここに泊れ。俺ん家だから、遠慮すんな」
身を起こすナルトを、シカクが止める。
「客間に布団敷いてやるから」
そう言ってシカクは部屋を出ていってしまった。
2人きりにされて、ずっと何か言いたげにしていたシカマルがこちらへ歩み寄る。
「大丈夫か・・・?」
大丈夫、そう言いかけて、ずくりと走った痛みにからだが震えた。
「う、う゛ぁ・・・!」
ナルトは小さなからだを折って、始まってしまった治癒に耐える。
早急に癒される傷は、その間、同様に痛みが走る。
「ナルっ・・!?」
「い、イヤ、だっ・・・見ない、で・・・ぐ、ぅあ、」
みるみるうちにナルトの傷が癒えていく。
赤黒く変色していた打撲の跡も、ばっくりと口を開けていた肩の傷も。
元の白い肌に再生していく。
シカマルはその様子を唖然と見つめていた。
時間が巻き戻されていくかのような光景に、食い入るように見つめる漆黒の双眸を、ナルトは耐えきれず俯き痛みに耐えた。
びりびりとした痛みがからだを這う。
息が詰まる。
「っふ・・・う、え・・・?」
急に、感じた圧力に、閉じていた蒼を瞬き、捉えたのは先ほど逸らしてしまった漆黒の双眸。
自分よりかはひとまわり大きい、けれどまだまだ未成熟な子供のからだが抱きしめている。
信じられない状態に、ナルトは言葉が見つからない。
痛みだって、一瞬、忘れてしまった。
「い、痛ぇんだろ、俺が、受け止めてやるから」
抱きしめられて、顔は見えないが、紅い耳。
「肩、噛んだっていい」
それで痛みから気を散らせるなら、といっそう力を込めて。
「どう、して」
そんなことしてくれるの。
「さあ、どうしてか自分でも、わかんねぇ」
何なんだろうな、この気持ち。
そう苦く笑うシカマルも、自分の気持ちを持て余していて。
それでも、ナルトの痛みを少しでももらってやれるなら、どれだけひどい爪痕だって残してくれたっていいんだ、そう耳元で落とされる。
「き、気持ち悪くっ・・ぅ・・・ないっ・・?」
痛みは少しずつ和らいでいくが、シカマルが抱きしめているせいで、走る痛みについ彼の肌を傷つけてしまっている。
「何がだよ、全然そんなの思わねぇよ」
奇麗な肌に戻っていく様子は、むしろ神秘的とさえ思えた。
「そ、う・・・」
彼は、自分を嫌わない。
からだから力が抜けていく。
痛みもほとんど感じなくなって、残ったのは熱過ぎるほどの体温。
それでも、その熱さは嫌ではなかった。
ずっと自分が欲しかったもの、だ。
安堵と疲労で襲ってきた眠気に、ナルトは意識を手放した。
「・・・ル、ナル」
呼ばれた声に、ゆるゆると瞼を上げると、そこには愛してやまない漆黒の双眸。
「シカ・・・?」
心配そうに見つめる恋人は、大丈夫か?と頬を撫ぜた。
それにことりと小首を傾げる。
「気づいてねぇのか?・・・泣いてたぜ」
するりと撫ぜられた頬は、風が当たるとひやりと冷たく、本当に泣いていたのだと知る。
「昔の、あなたの、夢を見てました・・・」
「・・・夢の中の俺は、お前を泣かしたか?」
決まりが悪そうに俯くシカマルに、違うと首を振って、笑んだ。
「嬉し涙です」
モドル