美しいひと【2】








緋月と出会った翌日。
知りうる限りの古本屋をまわり得た情報は、求めていた本はやはり絶版しており今では手に入らないとのこと。
徒労に終わった一日に、シカマルは疲労で重くなった足を投げ出し手頃な叢に寝転がる。
「収穫なしとは…」
はあ、と溜め息ひとつ。
瞼を閉じれば、現れる愛しい美しい、ひと。

肩まで伸びたゆるい黒髪に、透けるような茶色の瞳。
細い体躯はしなやかで美しい。
溶けるような白い肌は自前のものだと知った。

忍の中には、色専門のくのいちだっているし、彼女らがひどく妖艶で美しいことも知っている。
けれど敵わない。
彼の持つ美しさには。

それはただただ、惚れた欲目だと言われれば、それまでなのだけど。


夕焼けが街の影を伸ばす。
肌寒くもなってきたし、帰ろうと身を起こし、自宅へと歩き始めた。
「あ、シカマルくーん」
聞き覚えのある呼び声に振り向くと、幼馴染の父親イノイチが切り花片手に店先から手を振っていた。
「あ、ども…」
軽く会釈し立ち去ろうとして、ふとあることを思いつきイノイチのもとへ。
「あの、聞きたいことあるんすけど」
「なんだい?」
片膝ついて花の状態を確認しながら、シカマルを仰ぎ見る。
「昨日の…緋月って、おじさん達とどーゆう関係?」
年齢もだいぶ違うし、友人というにも毛色が違い過ぎる気がする。
「ああ、緋月君?そーだねー…まあ、たまに一緒に任務するんだよ。昨日もそう」
「ふぅん…」
「シカマル君、昨日初めて会ったんだよね?結構君の家に来てたんだよ。いつもすぐ帰っちゃうんだけど。
すごくひとに気をつかう子なんだ…」
苦笑するイノイチに、確かにそんな感じだったと思い返す。
「君より年上で話しづらいかもしれないけど、会ったときは話してあげてよ。とってもいい子なんだよ。
ただちょっと…事情があってあんまり友達とか…いないから」
悲しそうに笑う。
頼まれなくても、次に会ったらもっと話したいと思っていた。
「あのさ、昨日、てゆーかもう今朝になるけど、食事の礼がしたいんだけど、あいつ何が好きかな?」
悔しいが、自分よりは緋月をよく知るイノイチに問うてみた。
イノイチはシカマルの顔を驚いたように見上げ、ぱぁっと花を飛ばして笑った。
「えっそれすごくいい考えだね!きっと喜んでくれるよ〜!そうだなぁ、あっそうだ!緋月君は花が好きだよ!」
「…それって…」
「あっ違うよ!?店の利益とか考えてないから!ほんとに好きなんだよ?」
自分でも色々育ててるんだって言ってたんだから!と大袈裟な手振りで話すイノイチにじとりと不審の眼を向ける。
(花、ねぇ…)
いくら綺麗な緋月でも、男が花なんぞ欲しがるだろうかと悩む。
「あ、そうそう〜ちょうどいいのがあるんだ!待ってて〜」
とても良いこと思いついたと子供のようにはしゃぐイノイチに、本当に緋月のことを好いているのだと感じる。
奥に引っ込んで、しばらくすると小振りの鉢を持ってやって来た。
白い鉢からは、瑞々しい緑の双葉が頭を出している。
「これね、うちで色々品種改良したやつなんだ。色んな花の情報が入ってるというか…まあ犬で言うと雑種なんだけど。
どういう花をつけるかもわからなくて、ちゃんと丁寧に育てないと花をつけない難しい子なんだ」
まだ柔らかい芽は、確かに親の手を借りなければ生きていけないような儚さがある。
なんだか緋月に似ていると思った。
「でも緋月君ならきっと上手に花を咲かせられると思うから…どうかな?商品じゃないから代金は要らないよ」
「…うん、じゃあ、これにする」
「よろしくね。受け取ってもらうのは早い方が良いよね。僕から式を飛ばしておくよ」
「さんきゅーおじさん」
お礼を渡すにも、正直どうやって連絡を取ろうかと思っていたところだったので、イノイチの気転はありがたい。
小さな鉢を受け取って、礼を言う。

帰宅後いつも通り食事をとって、風呂に入り、自室へ戻る。
その間ずっと頭の中を支配するのは、美しいあの青年のことばかり。
なかば夢心地、風呂で溺れそうにもなった。
考えると胸は苦しいが、ふわふわと浮いたような気分は心地良い。

ひとを好きになるということを初めて知った。

苦しくて幸せで切なくて気持ち良い。

あの柔らかそうな髪やからだに触れることを想像しただけで気分が高揚する。
今は頭ひとつ分向こうが高くったって、まだまだ成長期、小柄な彼より育つ自信はある。
目を閉じて、記憶の中の美しいひとを組み上げていく。

「緋月…」
「はい?」

「………っ…!!!!?」
何気なく漏れた独り言への返事に驚き、がばり、と身を起こす。
すると窓辺には、つい今さっきまで思い描いていた人物が、両膝をついてこちらを窺っていた。
真っ黒の外套を羽織り、中は昨日と同じような黒の上下。
月明かりに照らされた姿はどこか儚く、艶やかだ。
「こんばんは」
「…あ、あ」
驚きのあまり上手く言葉にならない。
「少しは、気配漏らせよ…」
「え?あ、すみません、つい…」
言われて僅かに気配を流す緋月に少し笑って。
「あの、イノイチから式をもらって…」
「ああ、来てくれたんだ?」
こんなにも早く。
その事実が嬉しい。
「これ」
ちょうど窓辺に置いていた白い鉢を手に取り、緋月へと差し出す。
「食事作ってくれたお礼」
「え…」
差し出された鉢とシカマルの顔を交互に見つめて、ぽかんと口を開ける。
「品種改良したやつだって。どんな花をつけるかもわかんない花らしいんだけどさ、好きって聞いたから」
花、と再度腕を伸ばして差し出すと、緋月は丁寧に受け取った。
「あ…ありがとう、ございます…」
小さな双葉が夜風に揺れる。
じいと愛し気に見つめ、シカマルへふわりと笑む。
「嬉しいです。大事に育てますね」
(…あげて良かった…)
その笑顔に、本当に植物が好きだったらしい緋月に安堵し、満足する。
「…今から任務か?」
「いいえ、先ほど終えてきたところです」
「ふぅん…じゃあ少し寄ってけよ。喋ろうぜ」
「えっ…あの、でももう遅いですし…」
ちらりと見た時計の針は、深夜の1時を指している。
遠慮する緋月。
しかし逃がしてなるものか。
「少しだけ、いいだろ?」
じっと見つめれば、茶色の瞳が揺れて、では少しだけ、と窓にサンダルを置いた緋月に満足気に笑う。

さあ、話をしよう。

少しでも多く、知りたいんだ。



お前のことを。














モドル