哀詩【10】








日が沈み闇が街を覆う頃、シカマルは解部室をあとにした。
長期任務から帰って来てからというもの、泊まりこむまでの仕事はなく、夕飯時には帰宅できている。
ナルトのこともあって、正直、仕事があった方が気が紛れたのになあと溜め息を落とす。

数日前の夜のできごとは、今でも鮮明に覚えている。
泣きそうな蒼も、風に揺れる金髪も、言葉だって一言一句間違えずに。



―――シカマル、愛してくれてありがとう


―――…ね、シカマル

―――最後に少しだけ、



―――触っても良い?




もう何千回と頭に流れた1シーン。
ナルトのことを考えると狂気のような憎しみでいっぱいになるというのに、
離れた今でも胸の奥を締め付けられる。

ナルトは最後まで自分を責めなかった。
約束させた式のやりとりだって最後まで続けてくれた。
酷い仕打ちをした自分に、触れようとしてくれた。

本当は、あの頼りなく折れそうな肢体を抱きしめたかった。
嘘だって、何か悪い病気にでもかかっていたんだって、ごめんって、謝って許して欲しかった。
でも口をついて出るのはきっと、もっと傷つける言葉であることは間違いなくて。
ただ黙っているのが精一杯、で…。

自分は一体、何をやっているのだろう。
自嘲の笑みを浮かべ、ふ、と吐き出した溜め息さえ恨めしい。

何も解決しないまま、ふらふらと解部室の廊下を通り過ぎたところで、
「シカマル」
声をかけられた。

振り向くと、イルカがにこりと笑ったのが見えた。
アカデミーの教師でもあり、暗部を統括する総隊長でもある。
様子のおかしい自分に、イルカは自室へ通し、相談に乗ってくれた。

正直、ナルトの保護者代わりでもあるイルカには、
ナルトにした仕打ちを話せば半殺しくらいにあうくらいの覚悟をしていた。
が、イルカは最後まで自分を責めなかった。
そして、何か思い当たったような表情さえ見せた。

「ちょっと調べたいことがある。これから少し時間取れるか?」
「え?ええ、まあ…」
どうせ帰ったところで何をする訳でもない。
シカマルが頷くのを確認して、イルカは式をひとつどこかへ飛ばした。
「すぐ来るからちょっと待っててくれ」
「誰か来るんですか?」
「まあな」
少し含んだ笑みを見せ、数分後に響いたノック音。
一瞬だけ結界を解き、目の前にひとりの暗部が姿を現すと、再び結界を張った。

イルカの犬面によく似た面を被った、小柄な女暗部だった。
「暗部名は桔梗という」
桔梗と呼ばれた暗部は、イルカの前に跪き、何か?と顔を上げた。
「ちょっと頼みたいことがあって」
「なんなりと」
「彼、シカマルのこと診てあげてくれないかな」
くい、と指で示され、桔梗がシカマルの方をじいと見つめる。
細められた瞳にシカマルは僅かに身じろいだ。
「…強い邪念は感じませんが、何か…ひどく弱い念波が絡みついています」
「そうか」
やっぱりなあ、とひとつ頷いてイルカが向き直る。

「桔梗は暗部の中で一番精神系の技に精通している。
彼女を貸すから、“元のお前”に戻してもらうといい」
「え…!?それ、は…」
一介の忍である自分に暗部を貸すなど普通ありえない。
術をかけられたからと言って、シカマルの個人的な悩みにそこまでしてもらう訳にはいかないとイルカを止めるが、
「お前の個人的なことだとか言うなよ?」
先手を打たれてしまう。
「ナルトは大事な弟みたいなものだし、その恋人なら尚更だ。
それに勿論、理由はそれだけじゃあないから」
「え…?」
「お前に術をかけた奴、どうしてお前にそんな術をかけたのか」
考えてみろ?
イルカの言葉に、今まで霧がかっていた思考が僅かに晴れた気がした。

「桔梗?その念波とやら、解析して取り除くのにどのくらいかかる?」
「弱いですが、かなり粘着な感じなので…7日ほどいただければ」
「7日?3日くらいでできない?」
「急ぎ過ぎると、脳に障害をきたすことがあります」
「そう、か…なら仕方な「3日で」い…?」
イルカの言葉を遮って、凛とした音が響く。


「3日で、お願いします」


頭を下げるシカマルに、イルカが笑った。
「わかった。3日でなんとかしろよ」
「総隊長…!本当に危険なのですよ!?」
緩やかに笑うイルカに、桔梗が声を荒げる。
「わかってる。でもこいつなら大丈夫だよ、きっと」
「…わかりました。でも私が死に繋がる危険だと判断したら、即刻中止しますからね」
「ああ、それでいい」

怒り心頭に、桔梗が付いて来い、と結界を壊して出て行く。
その後ろ姿を、シカマルはひとつ深く礼をしたあと追って行った。
暗部総隊長室の椅子に深く腰掛け、イルカは犬面を付ける。

「さあて、」

木の葉の姫様は、色々と自分に隠し事がおありのようだ。


「お仕置きに参りますかね」


面の下で滅多に見せることのない冷たい笑みを隠し、
椅子から幻であったかのように姿を消した。









モドル