哀詩【12】
「コレですね」
凛と響いた声音の裏には、足を竦めてしまうような怒りが渦巻いている。
彼女―――イルカに紹介された女暗部、桔梗について、少しばかり理解できる範囲が広がったと思う。
シカマルに絡み付いているという念波とやらの解析を始めて数刻。
今はシカマルが個人で所有しているラボの一室にて、ただじっとベッドに寝かされている、
だけなのだが。
生半可な催眠が効かないシカマルは、眠っている間にことを終わらせてもらえることもなく、
脳が起きたまま、じっくりと桔梗のチャクラを頭の先から爪先まで隈なく流され、
精神の底を覗かれるという、なんとも耐え難い状態を強いられることになってしまった。
内臓を氷で触られているかのような、ひやりとした吐き気にも似た感覚を始終与えられている。
さすがに意識が朦朧としてきた矢先のことだった。
「な…んだ……?」
閉じかけていた重い瞼を持ち上げ、隣で自分のこめかみに当てていた指から若干力が抜かれた。
「あなたの記憶に、私の精神を繋げていました。解除します」
途端、感じていた圧がなくなり、知らず知らず彼女の術の圧力がかかっていたのだと知る。
ふう、と息をひとつ落とし、流石に疲れたのか桔梗は椅子の背に体重を預けた。
「ここ半年の、長期任務についてからのあなたの記憶を辿っていました」
そう言って、桔梗はシカマルに水差しを差出したが、シカマルは緩く首を振って断ると、自ら起き上がった。
「…驚いた。この術って術を受ける側の方が神経を疲弊するから、
そんなにすぐからだを動かすことなんてできないんだけど…意外と鍛えてるのですね」
インドアっぽかったから舐めていた、と悪びれなく彼女は笑った。
「…そりゃどうも」
褒め言葉として受け取っておく、と自ら傍らにあった水を手に取った。
「で、何が“コレ”なんだ?」
「ああ、そうそう。あなたにかけられていた術を見つけたのです」
「やっぱり、何かかけられていたのか…?」
「それほどがっかりする必要はありませんよ。今回の場合、よっぽど幻術や暗示に長けた、
精神に機敏な者でなければわかりません。総隊長であっても防げなかったと思いますよ」
いつの間に、と項垂れるシカマルに桔梗は苦笑する。
「ゆっくりゆっくり時間をかけて術を施していったのですよ。…半年をかけて」
なるほど。
ではあの長期任務自体がそもそもの罠だったらしい。
時間のかかりそうな案件は、打ってつけだったのだろう。
「紫苑という女性が毎日お茶を出していましたね」
私はあなたと精神を繋げていたので、あなたが感じた匂いや味も共有できます、
と桔梗は説明した。
「あのお茶は確かに気を休めるために使われる、そう珍しくもないお茶ですが、
そのお茶を飲んだあとの記憶が数十秒から数分、残ってはいないのではないですか?」
「え…?」
そんなはずは、と記憶を手繰るが、確かに残っていなかった。
常人であれば昨日の夕飯に何を食べたかでさえ曖昧であろうが、シカマルは違う。
物心ついてから現在までの殆どを数秒単位で記憶している。
元々のキャパシティが違うのだ。
「…気付かなかった」
確かにないのだ。
一瞬にして眠ってしまっていた、とでも言おうか。
「初めは無味無臭の睡眠薬を盛られたのでしょう。眠っている内に、強い暗示の声が残っています。
次からこの茶を飲んだ際に、声の主が語りかけたら催眠状態に陥るようにと」
「あの女…」
柔和な笑みで近付いてきた紫苑の顔を思い出す。
虫も殺さぬような顔をして、彼女にしてやられたとは。
「あとは毎日お茶を飲んだ時に囁けば良いのです」
初めは、自分の声に危険がないことを覚えさせ
シカマルがナルトをどう思っているのかを聞き出し
少しずつ悪い要素を加えていく。
「そう、例えば。彼と会えない日々のストレス。苛立ちは全て彼のせいなのだとすりかえる」
矛盾した結びつきに疑問を持たないように根回しをして、シカマルの精神に刷り込んでいく。
そのうち、顔を声を思い出すだけで、根拠のない苛立ちや憎しみが湧き上がるようになる。
「彼が別れを告げたとき、黙っていたのは正解だったでしょうね」
口を開いていたら、間違いなくあの金髪の心を簡単に圧し折る言葉を投げつけていただろう。
シカマルの、せめてもの抵抗だった。
「でも、可哀想」
「…わかってる」
責めるように見上げる桔梗に、シカマルは正当な言い分など持っていない。
「だから、早くあいつに謝りに行きたいんだ」
許してくれるのなら、何だってできる
土下座だってしてやるさ
「解除できそうか?」
「見縊らないでください」
ふん、と短い髪をぱさりと振って、桔梗が見据える。
「あなたこそ、ちゃんと耐えてください。
今からもう一度、今回の任務についた半年前に戻って、この半年間をやり直します。
かけられた術を最初から順にひとつずつ解いて行くのです」
つまりは、早送りした半年間を3日で再度見返し、修正していくのだと言う。
「時間をかければ、簡単に処理できる術なのですが、3日で半年間を見返すには双方かなりの体力と精神力が必要となります。
私はこういう術には慣れていますが…」
「大丈夫だ。やる」
ここで頑張らずに、どこで頑張るのだと。
強い意志の込められた漆黒の双眸に、桔梗はわかったと頷いた。
では早速、と背を伸ばす桔梗に促され、再度ベッドに寝かされる。
「ちなみに」
そして落とされる、言葉。
「精神的な苦痛は、先ほどの10倍では済みませんから」
にこり、というよりは、にやり、というか。
細められた桔梗の瞳を、遠くなる意識の中で、シカマルは見た。
いいさ
どんな地獄だって迎え入れると決めていたんだ
―――だから、
もう少しだけ待っていてくれないか
お前に謝りに、会いに、行くから
本当に、
本当は、好きで好きで仕方ないんだ
「な、る…」
モドル