哀詩【13】
ガシャン、とガラスの割れたような音が鳴り響いた。
音源は火影室。
ちょうど火影室に向かっていたシズネは何事かと慌てて火影室の扉を開けた、と同時に感じたものは、
肌が痺れるほどの殺気。
「ひっ…!?」
足に根が生えたかのように動けなくなり、殺気の元を視線だけで辿ると、
いつもは明るい笑みを浮かべるイルカが、壮絶なまでの暗い笑みで綱手を見ていた。
驚いて身を竦めるシズネに気付くと、意外にあっさりと殺気をしまった。
「失礼します」
能面のように無表情を貼り付け踵を返し、イルカは火影室を出て行った。
その背中を、シズネはようやっとギギっと壊れた機械のように首を向け追った。
そして綱手の方に視線を戻すと、やや顔色の悪くなった綱手に何があったのかと問う。
窓はやはり割れており、まさかとは思うが綱手の表情を伺う限り、イルカがやったのは間違いないらしい。
「綱手様…もしかして、」
「ああ、バレた」
イルカが何に対して怒りを窓に向けたか察したシズネに、綱手が短く肯定した。
「ど、どうしましょう…!?私達、あんなことして…っ、暗部に任務を集団ボイコットでもされたら…」
「…いや、それはないだろう」
はあ、と重い息を吐き出し、しかし綱手は口元を緩めた。
「むしろ、誰よりもイルカに早く相談したら良かったのだと後悔しているよ」
バン!と乱暴な音が響き、見知った気配に桔梗はシカマルにかけていた術を解除した。
「桔梗、シカマル、話がある」
表情はいつものイルカであったが、目が全く笑っていない。
唇だけで弧を描いているのが、妙に不気味だった。
シカマルは初めて見る怒りを露わにしているイルカに驚きながらも、身を預けていた枕から起き上がる。
「何かありましたか」
術のせいで頭痛は引かないが、こうまでイルカの感情を高ぶらせる要因を伺う。
「総隊長、鬼のような顔をしていますよ」
どうぞ、と桔梗が茶を勧めると、やっといつものイルカの顔で苦笑した。
「そうだったか…?すまん、無意識だった」
茶を一気にあおって、ひとつ息を落とすと、シカマルと桔梗に向かい合った。
「今回、お前が術をかけられた理由がわかった」
シカマルと桔梗の意識がイルカに向く。
「あまりにも馬鹿馬鹿しい理由だけど、聞く?」
苦く笑うと、シカマルは訝し気に眉を顰めながらもこくりと頷いた。
「名家・旧家の跡継ぎ問題だって」
「へえ……え?」
今、自分はどれほどの馬鹿面をしているのか。
シカマルはイルカの言葉に開いた口が塞がらなかった。
そして、それだけの言葉で、色々なできごとが頭の中で繋がり始める。
桔梗によって術の解除を施された今、完全ではないが、だいぶ頭の中が晴れてきたため、
ナルト関連の情報も、難なく思考を巡らせることができるようになっていた。
影を操る奈良家の嫡男である自分、跡継ぎが必要なことは前々からわかっていた。
しかしナルトを選んでしまった。
そのことに後悔は全くしていなかったし、両親共その件に関しては何も言わなかった。
跡なら親戚の誰かが継げば良いし、産めば良い。
しかし、里一を誇る頭脳を持つシカマルの子供であれば、影を操る血だけでなくその明晰な頭脳を受け継ぐ可能性も高く、
里にとって価値の高い存在となる。
子を成すことのできないナルトの存在は邪魔であったのだろう。
補足するようにイルカが口を開いた。
シカマルが説得できる相手ではないと判断した上層部は、シカマル・ナルトに関わる家族や同期達にそれぞれ人質をとり、
この跡継ぎ問題について邪魔をするなと警告したらしい。
シカマルを長期任務で里外任務でナルトから離し、その間に暗示をかけナルトを憎むように仕掛けた。
つまりは、シカマルとナルトを別れさせるために、人質をとり、脅しをかけたのだ。
他人の恋沙汰にやり過ぎな行為ではあったが、ひとの命と一組の恋仲を裂く重みでは、人命の方が重いに決まっている。
シカマルとナルトに涙をのんでもらえば済む話で。
心が痛まなかった訳ではない。
けれど、彼らは勿論、人命をとった。
シカマルは溜め息をつくことすらできなかった。
長期任務から帰った時、両親の様子が確かにおかしかった。
その日だけでなく、いつもならナルトナルトとうるさい母は、一度たりともナルトの名を出さなかった。
それはシカクにしても同じことで。
ナルトの同期に会っても、誰もナルトの名を出さない。
時折、街で見かけたナルトは、いつだって独りでいた気がする。
「…一度さ、」
ふと、かけられたイルカの声にはっと顔を上げた。
見上げたシカマルに苦笑して、イルカが静に話し始める。
「最近、一度、ナルトに相談されたことがあってな。
誰もがどこか余所余所しい気がするんだって、知らない間に何かしてしまったのかなって。
俺は気のせいじゃないか?って言っちゃってさあ…ちゃんと調べもせずに。先生失格だよな…」
不安気に揺れる蒼が想像できて、胸の奥が痛んだ。
両親の様子を見る限り、両親すら、ナルトに会ってはいなかったのだろう。
ナルトを取り巻く者達は誰ひとり、彼の傍にいられなかったのだ。
ああ、あの金髪は、
ずっとずっと独りで
手放せたと思っていた孤独がまだ手中にあることを知って
本当は、抱きしめてもらえるはずの腕も失って、
今もずっと独りでいるのだ
シカマルは頭を抱えた。
逃げるナルトを引き摺ってまで無理矢理手に入れたのは自分なのに。
いつだってひとと関わることに関しては逃げ腰のナルトを説き伏せて。
散々愛を教え込んで、術にかけられていたとは言え、こうもあっさりと手放して。
なんて酷い奴なんだろう、と自嘲の笑み。
「あと、悪い報告がもうひとつ」
渋い面を隠しもせず、イルカが口を開く。
「ナルトが今行っている任務だが、これも上層部が用意した任務だ」
内容は木の葉の国境での他国からの防衛であり、つまりは戦争だ。
命を落とす危険度が非常に高いことから、二十歳以下の忍を配置することはなかった。
しかし、ナルトが配置された。
年齢よりも、緋月としての腕を買われたのだと言えば聞こえが良いが、
実際は、この任務であわよくば命を落としてくれれば良いという思惑があるとしか思えない。
ナルト以外の配置された忍は、皆、九尾の襲来によって何かしら被害を受けている。
とてもナルトに対して優しい場所になっているとは思えない。
「昨日までの報告書を確認したが、前線には全てナルトが配置されていた。
危険度の高い作業は殆どナルトが請け負っているようだし、実際、任務地の長がそう命令しているんだろう」
緋月の暗部としての腕からすれば、難しい内容ではないが、こう何日も続けば体力を失い疲弊するのは明らかで。
九尾を腹に宿しているナルトに対して、他の忍達が労ったり助けたりすることはきっとないだろう。
報告された指揮や配置図、結果を見る限り、その予想は間違っていないようだった。
いつナルトが殉職してもおかしくない状況。
しかし、ナルトはまだ生きている。
彼らの唯一の誤算は、ナルトの実力を測り損ねたことだろう。
「ナルトの力量なら、時間をかければこのくらいの任務、ひとりでもやってしまえると思う…んだが、
なんか…イヤな予感、するんだよ。だから急いでくれるか?
その間に、こちらはこちらでやれることをする」
まずは人質の確保、上層部を黙らせる準備。
やることは山ほどある。
シカマルの今すべきことは、かけられている暗示を消すこと。
桔梗と視線を交わし、こくりと頷いた。
モドル