ゆったりと、優しい優しい音が響く。

夜風に乗って、しっとりと、
蕩けるように甘い声が耳に響いてくる。

長い戦いで疲労の樽さが抜けない四肢に、じんと痺れる。
それは痛みでは決してなく、まどろみたくなるような心地良さを伴う。
意味をしっかりと持ったその声は、そこにいる者達全てが聞こえているにも関わらず、皆どこかぼんやりと夢心地だ。
誰も怪しい、とも、ましてや術にかかったとも思っていない。
快楽にも似た安らかさに、ひたすら酔っていた。

数日かけて、ゆっくりゆっくりかけていった術が、爪の先まで行き渡った。
それを確信して、小柄な青年は伏せていた瞼を持ち上げた。
頃合だ、と僅かに笑んで。


独りは寂しいでしょう

寒いでしょう

冷えたからだを温めてあげましょう?



さあ、俺と一緒に眠ってしまいましょう…?







哀詩【14】








澱んだ太陽の見えない空のもと、簡易なバラックの中には疲れを隠せない忍達がひしめいていた。
木の葉から次々に送られて来る戦力と、帰って来る怪我人。
怪我人の方が多いのは、明らかなる指揮官の判断ミスによるところが大きい。
権力を振りかざし、与えられる戦略よりも自分の経験と感覚を過信した結果、
多大な損害を蒙ることとなってしまった。

普通なら、この時点で既に暴動が起きていてもおかしくない状況。
しかし、今、指揮官である彼を責める者は誰一人いなかった。
何故なら、怒りや不満をぶつける相手が存在するからだ。

今日も数十人の怪我人が、処置室へと運ばれて行く。
痛みに呻く声が辺りに充満していた。

今回敵陣へと向かっていった忍の数は30名あまり、帰って来れたのは約20名。
次々に負傷者が処置室に運ばれて行く中、衣類はぼろぼろであったが、
唯一無傷の青年が指揮官のもとへ報告にやって来た。

「…負傷者23名にて帰還、やって来た敵は全て処理いたしました。残るは敵陣にいる64名のみです」
涼やかな、やや高い青年の声。
膝を折ると、細くしなやかなからだのラインが浮き彫りになる。
跪き、頭を垂れる姿は、悲惨な身形でも絵になった。

指揮官の男は、静に報告を告げた青年を一瞥し、ゆらりと上げた腕を叩きつけるように振った。
瞬間、鈍い打撃音と共に青年のからだが地に崩れ落ちた。

「何故負傷者が出る!?戦略通りに遂行しなかったんだろう!!」
響き渡る怒声に、皆が指揮官と青年のやりとりに注目する。
視線を浴びながら、青年は緩慢な動作で元の格好を再びとった。
口内を切ったようで、唇は真っ赤に染まり、ぽたぽたと地面に赤が落ちた。
しかし、一度拭えばもう滴ることはなかった。
焼けるような痛みがどんどん引いていくのを感じる。

「お前だけ無傷だなあ…?隊の長に従わず、戦闘を高みの見物でもしていたのか?」
硬い靴の先で、がつ、と青年の頭を蹴ると、こめかみが切れたが、血はすぐに止まった。
衣類がどれほどひどい状態になろとも、からだの傷はすぐに癒えてしまう。
無傷であった訳ではない。
癒えてしまったのだ。

その理由を、この場にいる者達は勿論知っている。

しかし、誰ひとり、その理由を口にする者はいない。
誰ひとりも、だ。
青年―――ナルトを庇う者など、いなかった。

前線に駆り出され、無理ばかりの戦略を元に、できる限り多くの者が生き残れるように考え、動き、
任務を遂行して戻って、指揮官に詰られ、ろくに休みを与えられることなく次の任務を言い渡される。
すっかり、上手く進まぬ任務への不満の捌け口となってしまっていた。

体力よりも、精神的な面で傷つけられることの方が辛かった。
表の任務では仲間がいたし、暗部の任務は単独が多かった。
たまに誰かと組むとしても、猪鹿蝶やシカマルなど、気心の知れた者ばかりで。

(まあ、最近はずっと単独でしたけど…)

くつりと小さく笑う。
自分を嘲るように、僅かに口端を上げて。

(愚か者、だ…)

永遠なんてない。
不幸せも幸せも、等しく同列で上下もない。
終わったと思っていた孤独も、ずっと続くと想っていた想い想われるやりとりも、
やはり始まりがあって、終わってしまった。

辛い日々から、抜け出せたと思っていたのに。

信じてしまった。
いつの間にか、穏やかで幸せな毎日が、自分の常であると。

自分の居場所なんて、もうどこにもなかった。


もうひと蹴りしてやろうと、指揮官が膝を持ち上げようとしたとき、
「長、次の戦略です」
別室から戦略部のひとりが巻き物を手にしてやって来た。

どうせまた、自分は特攻の役を与えられるのだろう。
ナルトにとって、戦略や指示書など、あってないようなものだった。
どこまでも誰よりも、自分は死に近い場所を与えられることは決定していた。

そろそろこの任務の終わりも見えてきた。
こちらもあちらも疲労困憊だが、ややこちらが優勢にあった。
拙い戦略であっても、なんとか切り抜けられるだろう。

(――長はきっと、)
同時に、早くこの狐を任務に乗じて始末してしまおうと思っている。
それは、一瞬だけ、ちらりとよこした剣呑な視線でわかってしまった。
ふ、と小さく小さく息をつく。
笑ったつもりだったけれど、笑えなかった。
さすがに自分は可哀想なのではないかと、思ってしまった。

だって、きっと、
たとえ自分がここで命を落としたとしても、誰も困らなくて。
きっと喜ぶ者の方が多い。

シカマルの一件でぽっかりと開いてしまった心の穴は、すっかり埋まらなくなってしまって、
いつだって寒いような気がしている。


「あの、」

かけた声に怪訝な表情で長が振り向いた。

「お願いがあるのですが」
「何だ、さっさと言え」

長の目に映った自分は、どこか笑んでいるように見える。
こんなちっぽけな自分の存在を、早く消してしまおう。






―――単独で特攻させてください。


伝えた“お願い”に、長はふたつ返事で承諾した。
それはそうだろう。
彼にとってみれば、願ってもみないお願いだったのだから。

任務に乗じてさっさと始末したかったであろうし、単独ともなれば危険度は一気に上がる。
もしも生きて帰って来たとしても、ここ数日の任務で疲弊したナルトなど、
陣に残っている者達で襲い掛かれば、九尾の回復力をもったとしても殺すことは不可能では、ない。
助かったとしても、憂さ晴らしにはなるはずだ。

ふと頤を上げて、空を仰ぐ。
澄み渡る青い空に、のんびりたゆたう白い雲。
「きれい…」
既に血塗れで、なおも今から血に染まりに向かう自分が、ひどく今の景色に不似合いで、異質に思えた。
いたたまれなくて、消えてしまいたくなる。

ああ、もうこんな美しいものを見ることはないだろう。
目に焼き付けて、記憶だけそっと持って行こう。

ゆっくり瞬くと、静にチャクラを四方に流し始める。
自陣には術の効果が出ないように結界をはった。
薄く伸ばされたチャクラの波が、次々に敵の存在を捕らえていく。
ゆっくりと時間をかけて染みこませた自分のチャクラに反応し、敵の忍達は催眠状態に陥る。
あとは、甘美な誘いの声に身を任せれば良い。




独りは寂しいでしょう

寒いでしょう

冷えたからだを温めてあげましょう?



さあ、俺と一緒に眠ってしまいましょう…?



さあ、俺のいるところまで来て―――――――








甘い誘いに、ひとり、またひとりと敵はやってくる。
術の濃度を更に上げていく。
麻酔を重ねていくようなもので、軽く麻痺させた神経を、完全にこちらのものにしていくのだ。
術自体は、さほど難しいものではない。
ただ、こういった術を多数の人間に使うことは、並大抵のチャクラでは全くもたないのだ。
そのため、並みの忍で、かつ単独行動でのこの戦略はあり得ない。

ナルトは切れかけたチャクラを補給するべく、今まで自分のチャクラを溜め込んでいた札を唇で食み、飲み込む。
流れ込むチャクラで、術が解けることはないが、体力をかなり奪い取られるのが難点だ。
一瞬、ぐらついた視界に、気合で集中を取り戻す。

高い絶壁に囲まれた狭い岩場に、敵が次々に現れる。
ナルトは札を唇に食んだまま、ゆっくりと片手だけ印を解いて、やって来る敵に伸ばす。
夢現状態の敵は、迷うことなく差し出された手をとると、そのからだはすぐさま青い炎に包まれた。
任務の後始末で使用する蒼火だ。
暗示で痛覚を麻痺させられている敵達は、断末魔の叫びをあげることもなく、炎に包まれ跡形もなく消えて行く。
時折、涙を流す者さえいた。
ナルトを抱きしめるように覆い、咽び泣く姿は、なんだか自分を見ているようで哀れだった。
自分よりも随分大きなからだを抱きしめてやれば、微かにありがとうと聞こえ、蒼火に飲み込まれていった。


おいでおいで、

俺があなたの手を引いてあげる


心地良い、安らかな眠りを与えてあげよう



俺もあとから、逝くからね―――――――――












モドル