哀詩【15】
イルカは暗部総隊長の凛として、シカマルと桔梗を連れてナルトの元へと急いでいた。
桔梗にシカマルの洗脳とも言える術を解かせ、疲労を拭えない2人は置いて行くつもりだったが、
2人みずから供に行くことを望んだ。
日に二度、火影への定期報告をよこすことを義務づけられていたことを知っていたイルカは、
綱手のところに寄り、ナルトの関わっている任務隊からの報告を奪い取って来た。
昨夜、敵陣に送られた木の葉の部隊、9人の死亡者と23人の負傷者を出して帰還。
他の死傷者には悪いが、死亡者リストにナルト名が無かったことに安堵する。
勿論、緋月という名も載っていなかった。
場違いなほどの美しい青空。
風の温度にも優しさを感じる。
本当に穏やかな、心安らぐ心地良さなのに、胸がざわついて仕方ない。
そして見える目的地。
シカマルと桔梗に目配せし、先に行くと伝えると、イルカは瞬身で姿を消した。
粗末なバラックの内部がざわめく。
気配もなく現れた存在に、敵襲かと体勢を整えたが、すぐに誰なのかに気付き膝を折った。
「暗部、総隊長、殿…!?」
総隊長の姿を知らぬ者も、暗部服に犬面をつけていれば、誰もが暗部総隊長の凛だと知っている。
イルカはぐるりと見渡し、ここの長は?と手近な者へとたずねると、
奥から騒ぎを聞きつけた、それらしい人物が慌てて入って来た。
「総隊長殿!?どうして、こんなところに…」
しどろもどろに言葉を紡ぐ長に、イルカは胡乱気な視線をよこす。
「あーまあ…ちょっとな。とりあえず、今、どういう状況か教えてくれるか?」
軽い調子で、状況を求めるイルカに、長は落ち着かないながらも、現状を説明する。
何故、暗部の総隊長がこんなところに出向くのだ?
戦死者は出しているが、こういう任務には当たり前のことだし、
任務自体もう終局を迎えるのだから、戦力が足りず総隊長が出向くなんてこうとはあり得ない。
長の心中は、そんなところだろうとイルカは長を一瞥し、昨夜の戦略を確認する。
「…戦死者9名、か…ふうん」
ぼそりと呟いたイルカに、責められていると思った長は慌てて弁明を始める。
「ほ、ほんとうは、戦死者など出るはずがなかったのですが、1名反抗的な者がおりまして、
その者が渡した戦略通りに動かず隊を乱した結果、こんなことに…」
「反抗的な者?」
「ええ!ほら、ご存知でしょう、九尾の子供ですよ。あいつが隊に加わってから碌なことがないんです」
ここぞとばかりにナルトを悪く罵る長に、イルカは面の奥で眉を顰める。
(名前も呼んでもらえないのな…)
哀しい事実に、ナルトを想う。
「この戦略って、ちゃんとチェックした?」
「え?ええ…もちろん…」
「へぇ、そう。じゃあ、失格」
「え?」
戦略書を掲げて、やや明るいトーンで話すイルカを、長はきょとんと見上げる。
「隊長失格だよ。戦死者出て当たり前」
「…っ…ですから、九尾のガキがっ…!」
「違うよ」
面に空いた2つの穴から、暗い色の双眸が冷たく見据える。
見つめられた長、周辺にいた者達も、吹き上がる威圧感を肌で感じていた。
「この戦略通り動いていたら、全員死んでもおかしくなかったって言ってんの。
むしろ、9名で済んだのは奇跡かもしれないくらいだ。
戦争だから死者が出て当たり前って考えているかもしれないけれど、あんた、人の命軽く見すぎてるんじゃない」
「―――…」
「ナルトに、感謝しなきゃな」
イルカの言葉に、周りにいた者達には、俯いて唇を噛んでいる者も少なくない。
みな九尾襲来の被害者達だ、敵と思っている人物に命を助けられたことは、さぞ悔しく腹立たしいことだろう。
わかってはいたのだ、自分達の命が、ナルトの手によって守られたことを。
イルカだって気持ちはわかるつもりだ。
けれど、ナルトにそれをぶつけることは間違っていると分別はついている。
イルカの言葉で、変わってくれれば良いが、心の問題ではなかなか難しいところもある。
こんなことで時間を費やすのは無駄だと、現在の首尾は?と切り替えた。
ちょうどシカマルと桔梗も到着した。
再びざわめく場に、イルカは部下達だと説明する。
長は重たい口を開く。
「現在…九尾…いえ、うずまき上忍が単独で向かっています…」
「…!独り、なのか…!?独りで行かせたのか!?」
長に食って掛かるシカマルを桔梗が制す。
こういう任務は、基本単独では動かないようにしている。
独りに何かあろうとも、状況を持って帰還する者が必要だからだ。
「あ…あいつが、自分で言い出したんだ!独りで行かせてくれと…」
「それでも、長であるあんたが許可出したらおんなじだよ」
責任は俺にはないと狼狽する長を、イルカは静に諭すとシカマルと桔梗に視線を配る。
ここまでずっと半日かけて全力で走って来た2人には悪いが、急がねばと思う。
神経を尖らせ、ナルトの気配を探ると、東に数里のところで確認できた。
バラックを出ると、ふと違和感を感じた。
肌を一瞬、舐められたかのような感覚。
そう、薄い膜を通ったかのような。
「結界ですね」
「あ、やっぱり結界なんだ?」
桔梗の言葉に、イルカが返す。
「外部の者を阻む結界、というよりは、内部の者を…術を外部へ漏らさないように、って感じすかね。
あとなんか…上手く言えないが、小さな反響音が耳の奥で響いている感じがずっとする」
眉を顰めるシカマルに、桔梗が、あら、と声をあげる。
「私の施術を受けたせいか、感覚が冴えてるんじゃない?あなたが受けた術の強化版って感じ。
その通りよ、普通のひとには聞こえない程度だけど、チャクラに乗せて言霊を響かせてる…この声…緋月だわ」
「ナルト、が…?」
自分が苦しめられた術を、どうして?
シカマルの気持ちを察してか、桔梗が苦笑する。
「気付いていたんじゃない?あなたが術にかかってるって」
「は…?」
「私は、緋月のことをあなたほどは知らないから、ひとつの仮説として聞いて。
家族も友人も恋人であるあなたも失って。なあんにも失くなってしまって、自分のことを振り返ってみると、何にもないのよね。
あなたは術にかかっているせいで、自分のことを憎むようになったと気付くんだけど、そのままにしておいた」
「……」
「緋月ほどの実力を持つひとなら時間をかけたら術を解除できたと思う。でもしなかった。
だって自分には何にもないんだもの、あなたにしてあげられることが。
このままの方が、あなたは幸せになれるんじゃあないかって」
シカマルは苦い顔をした。
桔梗の言い分が間違っている、とは言えなかった。
いつも自分を卑下して、なるべく関わろうとしなかったナルトに、無理矢理近付いたのは他でもない自分だ。
―――あなたが望んでくれるのなら、俺はずっといますよ
そう、よく言っていた。
自分はナルトを手放す未来なんてあり得ないと過信していたから、じゃあ永遠に傍にいるのだと疑わなかった。
術をくらっていたとは言え、自分が望まないという態度をとったために、ナルトは宣言通りに離れて行った。
後悔しか残らなくて、自身に腹が立って、爪が食い込むほどにぎゅうと掌を握った。
俯いたシカマルの肩を叩き、イルカはナルトのいるだろう場所へと急いだ。
「とにかくナルトのところへ急ごう。ちなみに桔梗、ナルトはどんな言霊を飛ばしている?」
「術をかければかけるほど、内容が鮮明に浸透していくタイプなので明確にはわかりませんが…
支配するというよりは包み込む感じというか…受け止めようとしてくれているような…言葉にするとするなら、」
私はあなたを受け止めてあげる
抱きしめてあげる
傍にいてあげる
そんなような言葉だと思う、と桔梗は言った。
「なるほどね。こんな任務してたら、人恋しくなるもんなあ」
敵ながら同情するよとイルカが呟いた。
長い長い戦いの中で、削れて小さくなった心ごと抱きしめてくれるなど言われたら。
ナルトの気配の傍には、まだ数十の気配が存在しているが、ひとつずつ、確実に消えていっている。
激しい攻防をしている様子はなく、なんとも穏やかな空気が、気持ち悪いと思った。
「急ごう」
早くこの気持ち悪さを払拭したいと、イルカはスピードを上げた。
絶壁の壁に囲まれた荒地に、折り重なるように抱き合う影がひとつ。
傷だらけの、血と泥にまみれたからだをぎゅうと抱きしめる。
抱きしめた相手も同じように自分をかき抱いて、肩を震わせた。
ぽたりとナルトの肩にひとつ落とされたものは、頬を伝った涙で。
「…もう、休んで良いんです。あなたは、とても頑張ったから…」
カランと背で響いた音は、敵である腕の中の人物が落とした得物だ。
優しく髪を梳いてやれば、うん、と小さく聞こえて目を閉じた。
それを合図にしたかのように、蒼火に包まれて灰と散っていく様を、ナルトはぼんやりと見つめた。
これで何人目だろうか。
ふと見渡せば、残っている者は自分の他にはもう敵の長らしき一人だけ。
(これで、最後だ…)
術が弱まらないように、腰に付けたケースから、1枚の式札を取り出し唇で食んでチャクラを飲み込んだ。
途端、崩れそうになる膝を叱咤し、気力だけでからだを支える。
チャクラを得られる代わりに失う体力は、既に限界が近く、少しでも気を抜けば、意識などすぐに落ちてしまいそうだ。
最後の一人に、すいと手を差し出すと、吸い込まれるようにこちらへと歩みを寄せた。
抱きしめようと腕を広げれば、応じて自分を包むように抱きしめられる。
瞬間、僅かに相手の肩が揺れた。
ほんの一瞬溢れた殺気に飛び退こうとして、失敗した。
がしりと掴まれた肩に動くことは叶わず、腹に感じた熱に蒼の双眸を見開く。
見上げた先にある敵は、術にかかりながらも僅かに残った意思を表に出したのだ。
虚ろな双眸はそのままに、手にはしっかりと大振りの刀の柄を握っていた。
そして、他の者と同じように蒼い炎にゆっくりと飲まれて溶けていった。
カランと渇いた音を立てて額宛が地に落ちた。
改めて辺りを見回し、最後の一人を始末したことを確認する。
朧げに自分の腹に刺さった長刀を手にとり、ずるりと抜いていく。
「っ…ぅ」
すっかり抜いてしまえば、合わせたようにごぽりと大量の血液が喉から溢れた。
既に力の入らぬ膝を地につけて、息を整えようとするが、そんな体力さえもうない。
いつもならしゅうしゅうと音を立てて回復しているはずの傷も、今は静かに辺りを赤に染めるばかりだ。
それもそのはずで、この大掛かりな術のために、既に九尾のチャクラを根こそぎ使ってしまっていた。
酸素が足りず、思わず空を仰げば、愛してやまない彼のひとを思い出させるような白い雲。
思わず笑みが漏れた。
血も止まらず酸素も取り込めない、いつものように傷を治せぬ自分はきっとそう時間もかからず死を迎えるのだろう。
不思議と怖くない。
いつも通りの朝を迎えるために眠りにつく、いつも通りの夜を迎えているようだ。
ああ、最後にもう一度だけ、
会いたかったなあ…
生まれ変われるとしたら、
またあなたに会いたい
傍にいても誰からも蔑まれない
触れても良いのかと危惧しなくてもいい
そんな存在になりたい
想い人の名を呼んでみた。
けれど、言葉にならなかった。
ひゅ、と小さく空気だけが喉を通って、声にならなかった。
青い空が、白く白く霞んでいって、真っ白になった。
頬を撫ぜた風が、ひんやりとしたから、わからないけれど、自分は泣いているのかもしれないと思った。
ナル、と。
最後に想ったひとの声が聞こえた気がした。
モドル