哀詩【16】








ピッピッと規則正しい波形を描いて、目の前で眠る金髪が生きている音がする。
点滴のチューブを腕に繋いで、青白い顔色で死んだように眠る、元恋人だった子供。
投げ出された指先は、ぴくりとも動かない。
硬く閉ざされた瞼はまるで人形のようにも見えた。

はあ、と深く息をついた。

「…少し、休めば…?」
心配そうに労わりの言葉を乗せて、目の前でただただ金髪を見つめる男、シカマルに桔梗が肩を叩いた。
任務の合間をぬっては、ナルトの様子を見に訪れていることは知っている。

ナルトの元へ向かったのは3日前。
血塗れで倒れていたナルトを担いで、バラックに戻り、応急処置をして火影邸へと運んだ。
意識はとうになかったし、あてにしていた九尾の回復力も何故か働かず、
うろたえるシカマルとイルカの頬を叩いて応急処置を施したのは桔梗だ。
火影邸に着く頃に、思い出したかのように九尾による回復が始まり、九尾のチャクラを使ってまであの術を保っていたのだと知った。

何かあってはいけないと、火影室に近い部屋を治療部屋にして、今に至る。

ゆるりと首を振って、もう少しここにいる、と呟いたシカマルにひとつ舌打ちし、持ってきた栄養剤を手渡された。
さんきゅ、と礼を言えば、振り返らずにひらひらと手だけを振って部屋を出て行った。

しんと静まり返った部屋の中、シカマルはナルトを見つめる。
もうすっかり術は解けて、ナルトを見つめても触れても負の感情など湧いてこない。
溢れるのは、後悔と懺悔ばかりで、憎しみなどとんでもなかった。

「ナル…」

思わず漏れた声は、自分でも驚くくらいに頼りなく情けない声だった。



早く、目を覚ましてくれ


伝えたいことがある



謝りたいんだ


遅過ぎるって怒るだろうけど

怒られて当たり前のことなんだけれど


許してもらえるなら

何だってする


―――だから、




「目、開けてくれよ…」


想いの吐露に、小さく、ほんとうに小さく、ナルトの指が動いた。
「え…」
目を見開き、目の前の現実を確認する。



ぼんやりと、蒼の双眸が空間を見つめていた。
そして、シカマルの存在に気付いて、ゆっくりと顔を向けたのだ。

「…し、か…?」

小さい声だったが、確かに自分の名を呼んだ。
驚きと、歓喜で一瞬言葉を忘れてしまった。

「ナルっ…!」

嬉し涙で漆黒の双眸を濡らし、自分を見つめるシカマルに、ナルトは思考を巡らしているようだった。
ここはどこで、どうして自分がここにいるのか、今の状態をシカマルは簡潔に説明した。

「そう…ですか…」
ひととおり聞いた説明に応えた返事は、それだけだった。
まるで、死ねなかったのか、と悲しんでいるかのように。
少しがっかりしたような、そんな声色にシカマルは気が気でなかった。

本当は、今にも目の前の金髪を抱きすくめて生きている確証を感じたかった。
けれど、術にかかっていたとは言え、ナルトには先日の長期任務に就いて以来まともに触れていないのだ。
ナルトが別れを告げに来たときでさえ、触れて良いかと聞かれて自分は応えなかった。
自分からナルトに触れることは、躊躇われた。
代わりに、ぎゅうとナルトが横たわるベッドのシーツを握り締める。

「ねえ、シカマル…」

そんなシカマルの様子を眺めて、ナルトが口を開いた。
じいと透明な蒼が見つめてくる。
その瞳からは、怒りも悲しみも、何の感情も読み取れなかった。

「触っても、良い…?」

一瞬、何を言われたか理解できなかった。
それほどに、驚いた。
今さっき、別れを告げられたときに言われたその言葉を思い出していた。

既視感を覚えながらも、ああ、と答えたが、からだは動けなかった。
ナルトの動作を、夢でも見ているかのように見つめる。
ゆっくりと腕を持ち上げて、ナルトの爪先が、シーツを掴んでいたシカマルの爪先にコツリと当たった。
ほんの僅かに響いた感触に歓喜した、のに。
ナルトは少しだけ間をおいて、同じようにゆっくりと腕を引いてしまった。
あまりのあっけなさに、面食らった。
「…もう、良い、のか…?」
むしろ、もっと触れて欲しかった、とは、自分のしてきたことを棚上げして言えず、
はい、と小さく笑んだナルトにねだることはできなかった。
「…夢かと、思って…」
確かめたのだと、ナルトは言った。
ほんとうなんだと呟いた。
その表情からはやはり何を示すのかわからなくて、シカマルは戸惑いの表情を浮かべた。
「あ…俺、綱手様に、お前が目を覚ましたこと報告してくるな」
どう言葉をかけたら良いかがわからず、シカマルは席を立った。
息をするようにできていたナルトとのやりとりも、すっかり距離感を掴めなくなってしまったことは衝撃的だった。
背を向けてドアに向かうシカマルに、

「シカ」

まだ本調子ではない、掠れた声。
振り向くと、愛しい金髪がこちらを見つめていた。
なんだ?と問えば、ゆっくりと口を開く。


ありがとう


確かに、そう言った。
それはシカマルにとって、酷く今の自分に不似合いな言葉だった。
罵られこそすれ、礼を言われる理由などないからだ。
怪訝に見返したシカマルを、ナルトはただ静に見つめ返した。
驚いて絶句してしまったが、混乱している頭ではどうあっても答えなど出せないと、ナルトのいる部屋をあとにした。
あとでゆっくりと話し合おうと思ったのだ。


そして、再び後悔することになる。


執務を放り出しやってきた綱手と、同じく息を切らして部屋に戻ったシカマルが見たものは。




ひらりと風になびくカーテンと、

窓枠に切り取られた青い空と、



空になった白いベッドだった。








モドル