哀詩【17】








ドドン、と地が鳴るほどの音を響かせて、晴れ渡る空に大きな大きな花火が打ち上げられた。
夜の方がきっと、もっと美しいのだろうけれど、太陽の光の中に散る火花も、たいそう美しかった。

木の葉の門をくぐり、外套を羽織った黒髪の青年は、ぼんやりと空を見渡しそう思った。
砂色の外套から覗くのは、澄んだ茶色の双眸。
ゆっくりと瞬いて、すうと大きく深呼吸してみる。

久々の故郷に、何故か懐かしさは感じなかった。

数年振り、約5年の月日を離れ、再び故郷の地に足を踏み入れたのは、木の葉の忌み子と言われたナルトだ。
輝くような金髪も、空の美しさに負けない蒼の双眸も、全て内に秘めて。

祭だめでたいと騒ぐ里人をぐるりと見渡し、木の葉を離れたちょうど5年前の今日を思い出す。




***




ふと目を覚ますと、見慣れぬ白い天井と、鼻をつく薬品の匂い。
九尾を腹に宿す自分は、民間の病院に入れてもらえることはない、周りの気配をさぐって、
火影室の近くの空き部屋を病室代わりにしているのだろうと、目覚めて一番に思ったことはそれだった。

(生きて、いる…)

死を覚悟してのぞんだ任務から生還したことを知った。
敵とは言え、一緒に死ぬことを約束したのに生きて帰ってしまったことに、ひどく罪悪感が残った。

そして、気付く。
傍にあった、馴染みのある気配に。
驚いて、重い頭を気配のある方へ向けると、思い当たったとおりの人物が、驚愕した面持ちでこちらを凝視していた。

「…し、か…?」
「ナルっ…!」
一瞬、夢なのかと思って、呼びかけてみると、返ってきた返答。
久々に呼ばれた優しく自分の名を呼ぶ声に、そうか、とひとつの答えが浮かび上がった。

シカマルはやはり何かしらの術を受けていて、それが解けたのだろうと。

黙ったままじいとシカマルを見つめるナルトに、状況がわかっていないのかと思ったシカマルが、
ここに至る詳細を説明してくれた。
どうやら、任務は無事完了となったらしい。

「そう…ですか…」
久々に紡ぐ声は、掠れて上手く出せなかった。

ひととおり任務の説明をしてくれたシカマルは、何か言いた気に、こちらをそわそわと伺っている。
思い上がった考えかもしれないが、シカマルはきっと自分に対して、謝罪の言葉を用意しているのではないだろうかと思う。
優しい、ひとだから。

でも、これはもしかすると、やっぱり自分が望んでいる都合の良い夢なんじゃあないのだろうか。
だって、これでもしシカマルが、自分のことを今でも愛していると言ってくれたら、
今までに何があったって、そんなの帳消しで幸せな気持ちになれる。
心の底で、そう望んでいる、ただの希望が見せた夢なのかもしれない。
そう思った。
だから、確証がほしかった。

「ねえ、シカマル…」
名を呼ぶと、シカマルは、何だ?と少し首を傾げてこちらを窺った。
そして、いつか口にした言葉を舌に乗せた。

「触っても、良い…?」

あの時と違って、シカマルは、ああ、と頷いてくれた。
ゆっくりと腕を持ち上げて、ナルトの爪先が、シーツを掴んでいたシカマルの爪先にコツリと当たった。
その感触に、夢じゃない、と歓喜して。
泣きそうになって、腕を引くと、もう良いのか?と聞かれ、頷いた。

夢じゃない。
触れられる距離にシカマルがいて、触れさせてくれた、これは。

怪訝な表情をしたシカマルに、
「…夢かと、思って…確かめた、です…」
ほんとうなんだと呟いた。

嬉しい。
もう、あの時のような術憎しみを込めた目で見られることはない。
手を伸ばせば、きっと抱きしめてくれる。
そんな確信があった。

だから、


だから――――――




さよならだ。





「シカ」

綱手に目覚めたことを知らせてくると席を立ったシカマルが振り返る。


「ありがとう」


愛してくれてありがとう

目覚めたときに傍にいてくれてありがとう


俺はあなたを好きになって良かった



だから、




あなたの幸せを願うよ




シカマルは礼を言われた意味がきっとわからなかったのだろう。
腑に落ちない表情で部屋をあとにした。

それでいい、とナルトは思った。
ただ、礼を言いたかったのだ。

きっとシカマルは、今まで以上に自分を愛してくれる。
大事にしてくれる。
それは、きっと周りも巻き込んで。

でも、もういいんだ。
あなたのたったひとつの人生に、自分という枷は不要なのだ。
あなたを自分という枷から解き放とうと、一度、ちゃんと考えて出した答えを覆す気はない。
悲しいけれど、可愛いお嫁さんをもらって、奈良家の存続という責任を果たして、元々望んでいた穏やかな将来という夢を叶えたら良いと思う。
その夢に、自分は明らかに不要で、邪魔でしかない。

ほんとうは、今回の任務で自分は死ぬつもりだった。
だからと言って、繋いだこの命を粗末にすることは、なんだか違う気がして。


「う…」
からだを起こすと、しばらく動いていなかった四肢は、上手く動いてはくれなかったが、
なんとか腕にささる点滴の針を抜きとり、床に放り、周りを見渡す。
傍の小さな机には、任務で使用していた忍具がまとめて置かれていた。
さすがに服は血濡れでぼろぼろであったから、捨てられたのだろう。
忍具の中から、チャクラの込められた札を取り出し、唇で食んだ。
遠い遠い気配を探って、目的の気配を見つけると、印を手早く組む。
一瞬だけ大きく膨れ上がったチャクラに包まれ、身をすっかり包まれると、急速に縮小したチャクラとともに、

その部屋からナルトは姿を消した。




***




ドォンと、またひとつ大きな花火が打ち上げらて、ナルトは意識を戻した。

病室から空間移動の術で向かった先は、砂の国であった。
風影となった我愛羅を頼りに、事情を話せば彼は深く追求するでもなく匿ってくれた。
体調が戻るまでの数日間だけ、提供してくれた部屋で過ごし、その後は恩を返す理由もあって、
彼専属の暗部のような働きを続けていた。
ナルトの消息が掴めないまま、密かに暗部を使って探していたようだが、それも数日の話で、
人手不足か病み上がりとは言え暗部でNO.2の実力を誇っていたナルトを捕らえることは困難だと判断したか、
はたまた両方の意味かは知れないが、早々にナルトは死亡したと発表された。
元々瀕死であったし、今回の任務が原因で死亡したのだと広まれば、誰も疑問は持たなかったのだろう。
なんともあっさりした幕引きであったが、ナルトとしてもそれは好都合であった。

あれから5年ほどたって、今日ナルトが木の葉を訪れた理由は、我愛羅の護衛という名目だ。
初めは迷ったが、もう5年もたっているし、我愛羅の護衛として堂々と故郷を眺められるのだから良いではないかという彼なりの計らいであった。
数日面倒をみた恩など、とうに返してもらっているし、それ以上に働いてくれている。

だから何か喜ぶことをしてやりたいと、我愛羅は考えていた。
ナルトがまだシカマルを想っていることだって、見ていればわかる。
先日、木の葉を訪れた際、綱手からシカマルが今どう過ごしているかということも聞いていた。
彼は今でもナルトのことを探しているという。
相思相愛のくせに、相手を想って離れているなど意味がわからない。
尻込みしているに過ぎないのだとナルト数日に渡り説き伏せて、今日に至る。
お前が何かをしてやりたいと思うように、シカマルだって迷惑込みで甘えて欲しいと思っているに違いないと、
その言葉が効いたようだ。
ナルトは小さく、会ってみる、と俯きながらも承諾した。

少し前を歩くナルトは、警護をしつつも意外に落ち着いて街の中を眺めている。
祭で騒がしい、活気に満ちたてはいるが、祭の意味を知ったときは無表情な我愛羅も苛立ちを隠せなかった。

この祭は、ナルトが、九尾が死んだ記念祭なのだと。

やっと木の葉から災いがなくなったと、里人は踊って祭を盛り上げる。
怒気を膨らます我愛羅に、しかしナルトは笑った。

「嬉しいですよ」
そう言った。

何故だと問うたら、
「だって」

俺は、九尾は今も生きているのに彼らは幸せなのでしょう?
つまりは、俺という存在で彼らが不幸だと言っていたことは間違いだった、という証拠になるではないですか。
天候が悪くて不作になると、何かが無くなると、何か悪いことがあると俺のせいだって里人は怒ったけれど、
それは間違いだったんだって、実感できたから。

だから嬉しいと、ナルトは笑った。
懐が深い、とも取れるが、里人が与えた痛みは、ナルトの感情の神経を切り裂いて、
他の人間より怒りとか、悲しみを感じなくさせてしまっただけのようだと我愛羅は思った。
どこまでも幸せに臆病な、ある意味、獣に近い感情を持っているようにも思う。

火影邸に着き、ここで良い、と我愛羅に言われ、任を解かれる。
テマリもカンクロウもついているから問題ないと背を押され、ナルトは久しぶりの木の葉を過ごすこととなった。

街を歩くと、髪と瞳の色しか変えていないにも関わらず、誰ひとりナルトと気付く者はいなかった。
歩くたびに何かと売りつけられそうになり、ゆるやかに首を振って通り過ぎる。
祭とはこういうものなんだなあ、と初めて感じた。
いつも石を投げつけられ、罵倒されていたため、ほんとうに必要な時以外は街中など来なかった。

(シカマル…)
どうしているだろうか。
既に三十路を迎えるというのに、まだ結婚はしていないと聞いた。
自惚れかもしれないが、まだ自分を探してくれているというから、理由は自分なのだろうと思う。
会ったら、もう自分のことは忘れて幸せになってくれと言うつもりで来た。

気配を探ると、高い位置にシカマルの気配を感じた。
小さな小さな穏やかな気配、眠っているのかもしれない。
軽い跳躍で屋根の上をつたって、気配を消して、シカマルの気配を感じる建物へと向かう。

街を見渡せる建物の屋上には、本を日よけ代わりに眠る、シカマルの姿。
5年たっても、顔が本で見えなくても、わかる。
彼なのだとわかる。
それだけで、なぜか泣きそうになった。

温かな日差しの中、日頃の任務の疲れが出ているのだろう、起きる気配はない。
風が肌をなめるように吹く。
屋台の匂いを連れて、少しひんやりと冷たかった。
ナルトは羽織ってい外套をシカマルにそっとかけ、来た時と同じように跳躍し、その場をあとにした。




ふわりと、懐かしい匂いがした。
祭で出ている屋台から流れる匂いとは別に、覚えのある、懐かし匂い。

ああ、これは―――――

「っ…」
思い当たって、飛び起きる。
日よけ代わりにしていた本がばさりと音を立てて顔から滑り落ちた。
見覚えのない外套がかけられていて、シカマルは唸った。
まさか、まさかと胸がざわつく。
かけられた瞬間に起きれなかった自分を呪う。
見渡しても、探ってみても、想っていた人物はいない。

外套を抱きしめると、やはり自分の考えている人物の匂いがした。
ここにいたんだ、と確信する。

「ナ、ル…「はい」え…?」

思わず漏れた呼びかけに、返事が返ってきて、シカマルは声の方に振り返った。

そこには、
ずっとずっと想っていた人物が、飴を咥えてこちらを見つめていた。

きっと自分は、とんでもなく間の抜けた表情をしているのだろう。
言葉も出せず、ぽかんと見つめるばかりで。

視線の先には、自分の記憶にある人物から少し成長した、ナルトの姿。
髪と目の色は、緋月のそれだったが。
すっかり伸びた髪は、肩口でゆるくまとめられ、アーモンド型の瞳でじいと見つめてくる。
少しだけ、背も伸びたようだ。
黒の上下を纏い、ときおり吹く風が、彼のからだのラインを見せていた。
相変わらず焼けない白い肌、団子のような見た目の赤紫色の飴を口に入れて、カリリと飴の砕ける音を聞いた。

「…シカも欲しかったですか?買ってきましょうか」
あまりにも見つめるシカマルが、自分も飴が欲しいと勘違いして踵を返そうとするナルトを慌てて止める。
「いや、違う、飴は…欲しいのは、飴じゃない」
ふうん、とナルトは口に入っていた飴のなくなった串を引いた。

再び訪れる沈黙を破ったのは、ナルトだった。

「…初めて」
「え…?」
「初めてこういうの食べました。葡萄飴?って言うんです?中にあったかい葡萄が入ってて美味しかったです」
ほんとうは、林檎飴を買おうとしたけれど、あの大きさを食べるのは大変そうだと思ってやめたのだと言った。
ちょっと残念そうに屋台を見やるナルトが、可愛いと思って、笑った。

つられたようにナルトも笑んだ。
その笑みに、やっと心が解されて、頭が回転し始める。

「…久しぶり」
「…はい。5年振りですね」
「少し背ぇ伸びたか…?」
ナルトは嬉しそうに、はい、と笑った。
シカマルには、全然届きませんでしたけど、と少し悔し気に唇を尖らせて。
子供っぽい仕草に、シカマルも笑った。
が、すぐにその笑みを引っ込める。
変化した雰囲気に、ナルトも笑みを引いた。

「ナル」
「…はい」

ずっと言いたかったことがある。

「ごめんな」


ずっとずっと謝りたかったんだ。

「ほんとに、ごめん…」

頭を下げる。
こんな言葉で許してもらえるとは思わないけれど、これ以外に伝える術を思いつかない。

「シカ…シカマル」
近づく気配に、顔を上げると、笑うナルトがいた。

「許す」

ニ、と子供っぽく笑う姿に、心の荷が軽くなるのを感じた。
しかし、次の言葉に、怒りにも絶望にも似た感情が滲む。

「だから、もう良いよ」

俺のことなど、忘れて良いよ。

あなたを苦しめたいわけではなかった。
こんなにも責任を感じて悩ませたい訳など、けっして。

「それだけ、言いたくて」
じゃあ、今度こそさよならシカマル。

背を向け歩き始めるナルトを、無意識に追った。
印を組み、それは空間移動の術だった。
空間が揺らぎ、ナルトのからだが消える瞬間、シカマルはナルトの腕を取った。
「なっ…!?」
思いがけなかったシカマルの行動に、ナルトは初めて焦りの表情を見せた。
印はとうに組み上がり、二人の姿を飲み込んで、消した。



―――ドサリ。
「っ…」
背に受けた衝撃は、思ったほどではなく、それがシカマルによって抱えられていたことによるものだと気づくと、
ナルトは素早く身を起こした。
空間移動の到達点に選んだのは、かつて自分が住んでいた死の森の奥地にある本宅だ。
縁側の板にしたたかに打ちつけられた背に、シカマルが痛みで顔を歪ませた。

「ばっ…か!シカマル…っ…」
空間移動は、名の通り、空間を渡る術だ。
先ほどのように、予定外のタイミングで渡す物質が増えたりすることは術の失敗を招く可能性が高くなる。
そんなこと、シカマルだってわかっているはずなのに。
「からだが、バラバラにでもなったらどうする気だったのですか!?」
怒鳴りつつも、シカマルの安否を確認する。
腕はちゃんとついているか、指先は?四肢はちゃんと動くのか。
ひととおり確かめて異常がないことを知ると、深く息を吐いた。

「初めてお前に馬鹿って言われた」
「だって、馬鹿な行動したじゃないですか!」
「だな…ごめん」
動揺で熱が冷めないのか、珍しく感情そのままに捲し立てるナルトを珍しそうに見つめる。

「こうでもしねえとお前とまた会えなくなるかもしれないと思って」
「……」
シカマルの言うことはあながち間違いではなく、ナルトは離れるつもりであの場を去ろうとしたのだから。
「…なあ、俺が悪いって重々承知してて言う。もう一度、やり直してくれないか」
「…無理」

もう諦めたんだ。
諦める、決意をした。
だからもう、迷わせるような甘い言葉はやめてほしい。

「俺じゃシカマル、を、幸せにしてあげられ、ない…」

ひっく、としゃっくりをあげながら溢れだす言葉と涙。
ずっとずっとためこんできたもの。

「九尾のことで迷惑もかける、し…子供だって、産んであげられない」
俺には何にもないんだ、そう言って泣くナルトをシカマルは抱きしめた。
久しぶりに感じる体温は、ひどく懐かしくて、少し大きくなったからだもやっぱり自分にぴったりだと思う。
頬を伝う涙に、シカマルはそっと撫ぜるように涙を拭う。
「いいよ」
大丈夫だ、と止まらない涙を拭い続ける。
「綱手様はさ、お前が帰ってきても良いように、ナルト”を死亡扱いにしたんだぜ?
新しい戸籍だって用意する手筈がある。家の繁栄にだけ必要な子供なら、俺は要らない」

お前が好きだから、傍にいたいんだ
大好きだよ、愛してる

そう繰り返せば、ゆるゆると背に腕が伸ばされた。

「がまん、してたのに…」
「ん…?」

ずっと我慢していた。
自分の気持ちを抑え込むなど、慣れていると。
壁を作るなど簡単だ。
でも知っていた。
会えば、崩れてしまうって。
すぐに絆されてしまうことがわかっていたから、会わないようにしていたのに。
平気な顔を、貼り付けていたというのに。


「戻ってきて、良い…?」
首に縋りつくように回された腕に、顔が熱くなる。
やっと戻ってきた、その事実だけを回路にのせて。
「こっちが頼んでんだぞ…?」
笑って、紅くなった頬に口づける。

「…もうあんな思い、やですから」
「ああ、わかってる」
「シカマル」
「ん…?」


もう一度だけ信じるから、
「あいしてるって、言って…?」


紅い耳でされたおねだりを、きかない理由などない。


「愛してるよ」


今度こそ、違わない約束を、しよう。














モドル