哀詩【4】








長期任務について3ヶ月が過ぎた。
狭い部屋に男ばかりで数人押し込まれて眠ることにも慣れ始めた。
基本シカマルを含む5人ほどでローテーションを組み、時折、助っ人として数人増えたり減ったり。
長期任務となったこともあり、徹夜で解読する必要もないのは有難いことだった。
こうしてしっかり睡眠を取ることができるのだから。
しかし…。
「はあ…」
漏れるのは溜め息ばかり。
「うぅん…」
「…!」
思わずついた溜め息に、隣で眠っていた班員が身じろいだが、ただの寝返りだったらしい。
くるりと背を向けると、再び規則正しい寝息を立て始めた。
その様子にほっと胸を撫で下ろす。
特別、起こしてしまったからと言ってどうということはないが、
なぜ溜め息などついているのだと問い詰められるのは避けたかった。
なんとなく眠気も飛んでしまい、そっと寝床を抜け出す。

屋敷の屋根に寝転がり、ぼんやりと黄色く照らす月を見上げる。
優しい光を放つ月を見て思い出すのは、ただひとりだ。
ふ、と瞼を閉じればいくらだって鮮明に思い出せる。
「…っ…」
けれど、思い浮かべた金髪の恋人が瞼の裏に現れると、いつの間にか寄ってしまう眉間の皺。
何故か息苦しいと感じて瞼を上げれば、知らず知らず握り締めていた胸元に泣きそうになる。
心中に渦巻くこの気持ちが何なのか。
それは決して甘ったるい優しいものではなく。
どろりと暗い、暴力的な色を持つ…。

「どうしてなんだ…」
呟いた声はひどく弱弱しくて。

―――愛しているのに、

こんなにもこんなにも。



抱きしめたら折れそうな柔らかい細い肢体も、

輝くような金髪も、

深い海底のような蒼い瞳も、

思慮深い姿勢も誰よりも優しい心もみんな。



なのに、どうして

―――こんなにも憎いのだろう。


いつからか、そんな気持ちが生まれた。

顔を思い浮かべれば、声を思い出せば、存在が心に現れれば。
それに反応するかのように、憎い、と思うようになった。
そう思ってしまう、自分が気持ち悪くて仕方がない。
気持ち悪いのは、その憎しみに理由がないことだ。
当たり前だ、自分はナルトを愛しているのだから。
愛して、いるはずなのだから。

言葉に表せない嫌悪感がある。
苛立ちが、ある。
たとえば今、目の前にナルトがいたのなら。
自分がどんな汚い言葉で彼を傷つけてしまうのか、はかり知れなかった。

ひとつの可能性として、誰かの術に嵌ってしまったのではないかと考えた。
しかし思いあたらないのだ。

こんな不可解な症状が出始めたのは、現在の任務についてからだ。
しかし、元研究所の残したデータの解読という任務の中で、自分が術にかかるなんて危険な事態は起きなかったし、
たとえ知らずに何かの術にかかっていたとして、自分がナルトを辟易することを目的とした真意がわからなかった。
そしてここ数十日、このことばかり気になって、あまり睡眠を取れていないためか、
頭の回転が鈍っているようだった。
どこか霞みがかっていて、ぼんやりとしてしまう。
おかしな物でも入れただろうかと考えるが、特に思い当たらない。
食事は班員達自ら用意して自炊しているし、定期的に運ばれる食料などの物資も、特におかしな物はなかった。

「くそ…なんなんだよ…」
不可解な気持ち。
元々持っていた愛情の上から、得体の知れない何かに塗り潰されていくような不快感。
吐き出した気持ちは、言葉となって夜の空気に溶けていく。
すると、ふと現れた気配に身を起こした。
「黒月様…」
「ああ…なんだ、お前か」
屋根の上、自分の隣に現れたのは見知った仲間であった。
背格好はナルトに近く、丸みを帯びたからだは女性特有のもの。
簡易な着物に薄い羽織を肩からかけ、心配そうに自分を見つめた。
名は紫苑と言ったか。
解部と策謀部を掛け持っている九の一だ。
柔和な顔立ちと優しい気の回しは、男ばかりの解部の中では、なかなかの評判だ。

「眠れませんか?」
「…まあ、ちょっと、な…」
理由は言いたくない。
そんな雰囲気を出せば、相手はそれ以上踏み込んではこなかった。
「私も目が冴えてしまって…お茶を淹れたので、良かったらご一緒しません?」
にこりと笑い、急須と茶器の乗った盆を掲げた紫苑に、じゃあもらおうかなと身を起こした。

暖かな湯気が立ち上がり、差し出された茶を受け取る。
「これ、いつも夕飯後に淹れてくれるやつだな…珍しい味だと思ってた」
香る匂いは、市販で売られているどの茶にも似つかない。
「はい。香草の配合は私のオリジナルなんです。
頭を酷使される解部の皆様には、とても良く効くと思いますよ」
「へぇ…」
この茶がどれほど効いているかは知れないが、喉を流れる暖かな温度は、確かにからだを温めてくれ、
忘れていた眠気がやってきたようだった。


「…ま、黒月様」
「……は、…?」
肩を揺らされ、シカマルは目の前にあった紫苑の顔に驚いて瞠目した。
「え?あ、れ…、俺、寝てた…?」
「ええ、ぐっすり」
飛び起きて慌てるシカマルに、紫苑はくすくすと手を口元にあてて笑っていた。
「わり…最近、ちゃんと眠れていなくて…」
「そうなんですか。このお茶で眠れるようでしたら、寝る前にも淹れますね」
「ああ」
ありがとうと礼を言うと、では私はこれでと紫苑は自室に戻ったようだ。
遠のく気配を見送って、シカマルも自室に向かおうと腰を上げた。
こんな人前でうっかり眠ってしまうなんて、どれほど自分は疲れていたのか。
「…ん?」
立ち上がって、首を傾げる。

からだが軽い。

腕を伸ばし、頭がすっきりとした気がした。
確かにあの茶には、疲労回復の効果があるのかもしれない。
心さえ、軽くなったように思う。

屋根から下りようとして、目の前に見覚えのある蝶が舞い降りる。
ナルトからの式。
認識した途端、軽くなった心が鉛のように重くなる。
触れようとして手を伸ばし、そっと指にチャクラを込め式に触れ開く、ことはせず。
そのままチャクラを掌全体にのせ、式を握り潰せば、式はぱらぱらと小さな光の屑となって消えていった。
「ほんと…なんなんだ、よ…」
この、自己嫌悪と良心の呵責に疲労と倦怠感、それよりも大きい嫌悪感と憎悪。
自分の内にある気持ちが心底恐ろしく、不可解で、気持ち悪い。
ぐしゃりと潰れて消えた式はすっかり姿を失くし、掌には何も残らなかった。

そして3ヶ月が経ち、シカマル達の任務は完了となった。
里への帰還に、皆の表情が明るい中、シカマルだけは浮かない顔。
結局最初の2ヶ月以来、ナルトへの式は返していなかった。

(自分から言い出して、強要した…のにな…)
それなのに無視して、開こうともせず、捨ててしまった。
暗く重い気持ちを引き摺っての帰還。
見えた木の葉の門、そして気付く、間違えることのない見知った気配。

ついさっきまで茜色であった空は、いつの間にか自分の心の闇のような夜が訪れ、
辺りをすっかり飲み込んでしまっていた。

ああ、俺は
きっとお前を傷つけてしまうだろう




どうか逃げてくれないか





心の底では、愛しているんだ









モドル