見慣れた門の前。

その奥で、愛してやまないはずの金髪が、

哀しい色を蒼に潜めて立っていた。



それは、
大事な大事な何かが崩れ落ちる




前触れ




哀詩【5】









「シカ…マル」
今にも泣き出しそうな表情で、小さく消え入りそうな声で自分を呼ぶ声。
おそるおそる仰ぎ見る仕草は自分の気に入りだった、

―――はずなのに。

からだの奥から滲み出る感情はひどく暗い、陰湿なものだった。
憎悪と、呼んでも良い。

(どうして…)

憎くなんてない、
嫌いなはずなんてない。

それなのに湧きあがるこの醜い感情は、一体何なのだろう。

シカマルの周りには、同じく長期任務から帰還した解部の仲間達が数人いて、
門を前にして立ち止まってしまったシカマルを怪訝そうに見ながら遠り過ぎて行く者もいれば、
視線の先を辿ってナルトの姿をみとめると、あからさまに眉を潜める者もいる。
いまだに九尾の残した爪痕に囚われた里人は多く、ナルトを狐と呼ぶことは珍しくない。

ここで立ち止まっても仕方ない、と重い歩みを進め始める。
ナルトは動かない。
動けない、のかもしれない。
ぎゅう、と両手はズボンを握り締め、困惑したように瞳を揺らす。

シカマル自身、理解できていない奇妙な事態を、今の不可解な雰囲気を、
ナルトは肌で感じ取っているのかもしれない。
それとも、ぱったりと返さなくなってしまった式のやり取りに対して、
自分がシカマルを怒らせてしまったのではないのかと気に病んでいるのかもしれない。


数歩の距離まで詰めると、不安げな蒼がシカマルを映した。
「おかえり、なさ…い…」
「…ああ」
言葉が途切れたのは、きっと自分の表情を見たせいだろう。
どんな汚い表情なのか、知りたくもない。
暗闇でもわかる白い肌は、明らかに顔色が悪くなった。
返事は短く、目も合わさないようにした。
思ってもいない、酷い言葉を発してしまいそうだったから。

「あの、」
「悪い、疲れているんだ…」
意を決して口にしたのだろう言葉を遮って、シカマルはナルトの横をすり抜けた。
これ以上一緒にいたら、まずい。
傷つけて、しまう。
それだけは確かだった。

今の行為だけでも、きっと金髪は泣くだろうけれど。

ナルトは追って来なかった。
振り向く気配もしなかったし、神経だけはずっとナルトに向けていたから、
その場をしばらく動かなかったことも知っていたし、不安定な気配が揺れていることも。


俯いた顔を上げて頬を触りたかった

髪を撫ぜてやりたかった

細いからだを抱きしめたかった


笑って、ただいまって言いたかった




「くそっ……」



こんなの、違う。
自分じゃない、自分の意志じゃない。

頭とからだが繋がっていない気持ち悪さに、どうにかなりそうだ。
噛み合わないもどかしさと気味悪さに苛立ちが増すのに、疲労からか上手く頭が働かない。
仕事には支障をきたさないのに、ナルトが絡むと思考が鈍くなる気がした。

久しぶりの実家に帰宅すると、機嫌の悪い母親と、彼女を宥める父親。
息子の帰還に、両親は複雑な表情を浮かべた。
嬉しいようでも、安心しているようでもない。
困惑しているような、が一番似合うなと、疲れた頭で思った。

「…どうかしたのか?」
聞いた方が早い、と重い口を開いた。
本当は会話する気力などとうにないのだが、何か言いたげに口を開いては閉じる母が気になって。
「別に、何もないわよ?」
一瞬、ぐっと顎を引いて言葉を飲み込んでしまったヨシノに溜め息を落とす。
「何かあっただろ。何だよ、言えないことなのか?」
それなら聞かないけど、と冷蔵庫から冷茶を出してコップに注ぐ。
忍という職柄上、立ち入ってはいけない領域があることは学んでいるし、
今はプライベートだが、話したくてもできない状態なら、それは仕方ないことだと思う。

「ほんとに、何でもないの。シカマル、あんたは…?特に何もなかった?」
何かあったかと言えば、ナルトのことがあるが、シカマルは首を振った。
「ねぇよ。解部の方の任務だったし、ひたすら暗号解いてただけだから」
「そう…」
自分の身の安否を危惧していただけなのかとも思ったが、無事を確認してもヨシノは暗い表情のままだった。
気にはなったが、ヨシノはそれ以上何も言わなかったし、聞いても何でもないの一点張りだった。






落ちる夜の帳に身を浸して、金の髪が同じ夜の色へと変化する。
深い蒼の対は優しい茶色へ。

手にしていた狐の面でそっと表情を隠し、音もなく跳躍する。


さあ、任務だ



自分がどれだけ落ち込もうが傷つこうが関係ない。
けれど、飲み込まれそうな夜の色に、大事な想い人が浮かんで視界が歪む。

灯りもない死の森の中。
自分の他には誰もいない。
そう思ったら、

「ひ、ぐ…」

涙が溢れて溢れて止まらなくなって。

「う、えぇえっ…」
止まらなく、なって。
「しか、ぁ…っ…」

呼んでも悲しくなるばかりで。

でも呼ばずにはいられなくて、



泣いた。
子供のように泣いた。




夜に浮かぶ月が、遥か頭上から、自分を嘲笑っているようだった。






モドル