哀詩【7】








月が一番高く昇って、柔らかな灯りで里を照らす。
街灯などなくとも岐路につくのに困らないくらい、明るかった。

暗部の任務を終え、火影の報告も終わり、ナルトは音も気配も殺して屋根を飛ぶ。
向かう先は、里では有名な旧家のひとつ、奈良邸。

うっすらと気配を表せば、中にいるであろう目的の人物は気付くだろう。
窓は開いており、ベランダに降り立てば、思ったとおりまだ起きていた彼はゆっくりと剣呑な目つきでこちらを見つめた。
その様子に、ずきりと痛んだ胸。

「…任務帰りか?」
目線を手元の書物に戻し、部屋の主であるシカマルがそう訊ねた。
口をきいてもらえただけでも、無視よりはましだと、ナルトはほんの少し口元を緩めた。
「はい。…少しだけ、お話して良いですか?」
ナルトはベランダからは一歩も進まず伺いを立てた。

―――今までなら、こちらが何も言わずとも招き入れてくれたのに。
見えない一線を感じながら、しかし思ったより落ち着いている自分に驚いている。

ああ、と低い声が唸るように応えた。
しかしやはりこちらは見ない。

聞こえぬようにひとつ深呼吸をして、

「シカマル」

放った声は、意外にも震えなかった。
ああ、だって、そうか。

俺は、決心して来たんだから―――。


「俺、もう、こんなふうにあなたを訪ねたりは…しません」

シカマルは相変わらずこちらを見ないが、書物に没頭してはいなかった。
ページをめくる手は止まっていた。
耳はこちらに向いていることを確認して、続ける。

「もう、こんなふうに…会わない」
任務は別ですけど、とひとつ苦笑して。

「あなたには、いつも貰ってばかりで…俺、何も返せていなくて、ごめんなさい…」

たくさんの愛情を、それに連なる嫉妬心を、家庭の温かさを、全てをあずけられる安心感を。
あなたに全てもらった。

俺は、ほんの少しでも何かあなたに返せたかな…?
全く見当もつかないけれど。

気付けば、シカマルの視線がこちらへ向けられている。
真っ黒の漆黒の対。
綺麗だ。
あなたが身に纏う黒は全て愛おしいほどに美しい、大好きだ。
今、漆黒は困惑なのか嫌悪なのか、何を示すのか読み取れないのだけれど。


それでも綺麗だと、俺は思うよ


知らぬ間に緩く唇は笑みを浮かべていて。
ああ良かった、ちゃんと笑ってさよならができる。


「シカマル、愛してくれてありがとう」


たとえ今あなたが、俺を愛してなどいなくても
確かにあなたが俺を愛してくれたことは、事実なのだから。
あの幸せだった記憶は、ほんとうにあったものなのだから。


少しだけ、シカマルが辛そうな表情に見えたのは、見間違いだろうか。
何か言いたげに開かれた唇は、すぐに閉じてしまった。
それは見ていないことにした。

くるりと背を向けようとして、思い立って止まる。

「…ね、シカマル」

静に見つめた先の漆黒は、名を呼ばれて不安定に揺れた。

「最後に少しだけ、」
触っても良い?

その髪に、手に、指先に
どこでも良いよ

これが現実なんだって証拠をちょうだい

もしかしたら長い長い、悪い夢だったんじゃあないかって、
俺が都合良く錯覚してしまわないように


しかしシカマルは動かなかった。
少しだけ伸ばした手を、とろうとはしなかった。
力強いのに不安そうに揺れる漆黒に、僅かに期待したのだけれど。
ナルトは泣き顔になりそうなのを苦笑に変えて。

「嘘です、冗談です」

では、と軽く頭を下げ、ナルトはベランダの淵に足をかけた。
もう振り返らない。

見上げた月はだいぶ傾いていて、あと数刻もすれば朝を連れて来るのだろう。



自分の背の向こうで、シカマルは何を思うのだろうか

楽になれたって
やっと解放されたって
いなくなってせいせいしたって

思ってくれると良い



それは寂しくて哀しいことなのだけれど。
自分のことで心を痛めないと良いと、思った。







モドル