哀詩【8.5】
「…ナルト?」
聞き馴染んだ声に振り向いた。
自分より頭1つ高い、柔和な笑みで自分に手を振る人物など、この里にはもう一人しかかない。
「イルカ、せんせ…」
自分が漏らした声が、思いがけず弱々しくて驚いてしまった。
そんな自分に、イルカも瞠目してこちらへ向かって来た。
里の裏門に向かうところであった。
渡された任務に向かうため。
「今から任務か?」
夕闇が下り始め、夜の帳が落ちる前。
この時間帯だと暗部の任務かと思ったが、暗部総隊長である自分は緋月であるナルトへ
綱手から手渡っているはずの任務はもっと深夜のものであったはずだ。
内心首を傾げながら、昔と比べてずいぶんと背の伸びた教え子に目を細めた。
ナルトに関しては、アカデミーでも、暗部でも、幼少の頃からずっと自分の全ての基礎を叩き込んだ唯一の生徒だ。
思い入れは誰よりもあったし、父親でもあり兄でもある気でいた。
ナルトは自分をどう思っているかはわからないが、素直に自分の教えついてきたナルトを可愛がっていたことは否めない。
「今夜から長期任務で里外に出るんです」
すっかり緋月としての力量も里に知れ渡り、口調も隠さず過ごせるようになったナルト。
少しでも、嘘を纏わずに生きていけるようになった事実が嬉しいと実感する。
しかし、ナルトの台詞にイルカが眉を寄せる。
「長期任務?そんな任務、俺はお前に渡していないぞ?」
暗部の任務はイルカに一任されているし、急に表の任務で長期任務が入る場合は、
いつも暗部総隊長であるイルカに一報入ることになっている。
「…そうなのですか?綱手様が…先生に断りを入れるのを忘れたのかもしれませんね」
一瞬、視線を移ろわせ、ナルトが言う。
「かもな。全くあのひとは勝手なんだから…」
こういうことは間々あったから、火影邸の方を睨んだ際に浮かべたナルトの暗い視線に気付かなかった。
仕方ないひとだ、と憤慨しながらも、イルカはナルトの姿をじっくり見据えた。
「…お前にしては重装備だな」
全身を黒服で包み、肩にはショルダーバッグ、腰には複数の鞄のついたウエストバッグ。
おそらく服の中にも、銀線などの暗器を忍ばせているのだろう。
技量もチャクラの量も並外れているナルトは、普通の忍であれば軽装と見なされるこのような格好でさえ普段なら必要ない。
「これでも軽装の部類に入ると思いますけど」
「そりゃお前、ふつーの、一般の忍レベルの奴だったらそうだけど。お前は違うだろ」
その通りだけど、とナルトの言葉に苦笑する。
「いつまでの任務だ?」
「いつまで…?」
なんらおかしくないイルカの問いに、ナルトは笑い出しそうになった。
いつまで?
そんなの、
死に向かう自分が知ることのない答えだ
「さあ、わかりません」
口元に浮かぶ笑みは抑えきれず、普段見せない三日月を描いた。
「そうか」
イルカはその姿に、頭の奥で警鐘を聞いた気がした。
その意味を見出せないまま、
「気をつけて行けよ」
普段通りの言葉を教え子に送った。
ナルトは、ただ「はい」と答えた。
ひとつ頭を下げて、では、と立ち去る小さな背中を追って、思わず伸ばされた手は虚しく空を掴んだ。
「あ」
ナルトが振り返る。
夕陽を背にして振り返ったナルトの表情は、逆光でよく見えない。
「先生にとって、俺ってどんな存在…?」
意味深で、そして寂しそうにも聞こえる声音。
今回の任務に、どこか不安を抱いているのだろうか。
そうだなあ、と笑みと共にひとつ呼吸を落とす。
「息子みたいで、弟みたいな、」
ナルトの意識が自分の言葉に集中しているのがわかる。
自分は伝える言葉を間違ってはいけない。
正しくは、嘘を言ってはいけない。
そんな気がした。
「俺の一番の生徒だよ」
ナルトの気配が、微弱に揺れた。
嬉しいのか、照れているのか。
動揺した気配が空気で伝わる。
それがなんだか、可愛いなあと思った。
もう、大丈夫か?
大事な教え子の不安はとれただろうか?
「無事に戻って来いよ」
緩く手を振り、見送ってやる。
するとナルトが、口を開いた。
そろそろ逆光も目に慣れてきて、表情が僅かに見取れるようになった。
「せんせ、」
僅かに震える声、その声はどこか嬉しそうで、笑ってもいて。
少し安心した。
自分は答えを間違えなかったらしい。
「先生も、俺の一番の先生です」
何だよそれ、思わず泣きそうになったじゃないか。
青春という言葉がたまらなく好きな熱血教師としては、それこそ求めていた言葉そのもの。
ぐっと胸をせりあがる気持ちを飲み込んだ。
「行ってきますね」
「おー…」
ちょっとだけ涙声になってしまったことに、ナルトが気付かなければ良いなと思った。
再び向けた背は、先ほどよりも若干、大きく見えた気がした。
どうか俺の生徒が、無事に帰って来ますように
心の中で祈った。
「さあて、」
暗部任務前にひと仕事。
「あのお姫さんを怒りに行くか」
自分の手渡した任務を無視し、ナルトに勝手に任務を与えた罰を考えながら。
イルカは踵を返し、火影邸へと向かった。
モドル