哀詩【9】
全身を黒で固めて顔には犬の面を引っ掛ける。
すれ違う忍達はその姿を見るや、大袈裟なくらいに飛び退いて深々と頭を垂れた。
その様子を苦く笑って、廊下の角で素早く面を外して腰の鞄にしまった。
犬面は暗部総隊長ご愛用の面。
それさえ外してしまえば、チャクラの質も振る舞いも変えずとも、
ただの中忍アカデミー教師の海野イルカでいられる。
通り過ぎる忍達も、先ほどのような緊張で張り詰めた空気を発したりはしない。
「うん、やっぱり俺はこっちの方がいいわ」
ほっと息をついて、穏やかな笑みを浮かべる。
別に自分は敬われたいわけではないのだ。
無邪気にじゃれついてくる子供達が大好きで、懸命に練習してできた技を得意気に見せに来る姿は
いつもながら涙が出そうになる。
手元を離れた教え子達が立派になった姿を見ることは、教師である自分にとって生き甲斐とも言える。
ふと、さっき見送った教え子のひとりを思い浮かべる。
特別誰かを優遇することはしないが、あの金髪だけは色々と複雑な理由もあって特別扱いしたかもしれない。
表ではアカデミーで他の子供達と同じように愛したけれど、
裏で生きる術を身につけさせたのは亡き3代目と自分だ。
3代目は火影の仕事もあり片手間に教えることはできても、充分かとは言えなかった。
そこで自分に白羽の矢が立った。
年も近かったし、同じように才があった者同士、イルカが一方的に教えるというよりは、
互いに競い合うように学んだと言った方が正しい。
初めはそれこそ、基本を教えたのはイルカであったが、数ヶ月も経てば抜きつ抜かれつ、
年上の意地でなんとかギリギリ上に立っているという状態だった。
そのお陰か今は望みもしない暗部総隊長という地位についてしまった。
教師一筋で生きていきたいと思っていたイルカにとっては大誤算だが、元来の面倒見の良さからか、
何かと問題を抱えた暗部員達を今更放ってなどおけないという気持ちにまでなってしまった。
「全くどうしたもんかな…」
正直からだの疲れは取れないが、やり甲斐だけはある。
もしかしたら自分には今の二束草鞋が合っているのかもしれない。
そんなことを考えていると、目の前には覚えのある後ろ姿。
確か奈良家の嫡子の…。
「シカマル」
声をかけると、ひどく疲労した顔が見上げた。
どこか泣きそうにも見える。
「イルカせんせ…」
時期もあって直に教えたことはないが、表でアカデミーの教師として会っているシカマルは
自分のことを海野中忍ではなく先生と呼ぶ。
「どうした…?」
何かあったんだろう?
そう問えば、視線を下げて、いいえ、と首を振った。
暗い表情をしたシカマルに、お節介な性格が抑えきれなくなる。
「シカマル、任務は?」
「あ…今日はもう、終わりました…けど」
「そうか、少し俺と話をしよう」
言うが早いか影分身を出し、暗部の待機部屋まで行って指示を隊員達に渡すように頼んだ。
シカマルはその様子に驚かなかった。
ナルトがシカマルと付き合うようになったと知ってから、親代わりでもある立場上、
シカマルには自分の暗部総隊長としての顔を見せている。
「総隊長の仕事を影分身て…」
「うちは皆優秀だから大丈夫だ。俺の部屋に行こう、誰も来ないから」
ほら、と肩を押せば、シカマルは素直について来た。
わらをも縋る、そんなふうにも見えた。
総隊長として宛がわれた部屋に通し、念のため防音の結界を張っておく。
「これでいいだろ」
安心だろう?と笑って茶を淹れて差し出すと、申し訳なさそうに笑った。
「で、何があった?」
「あ……その、」
シカマルがこんなふうに言いよどむなんて珍しいな、と茶を啜りながらのんびり言葉を待つ。
「上手く…説明できなくて」
「うん。ちゃんと待つから、焦らず話せよ」
頭が他より数十倍まわるシカマルが、これほどまでに説明できない状況とは一体?
首を捻りながら、夕方に見た、どこか元気のなかったナルトの姿が浮かぶ。
「…もしかして、ナルト絡みか?」
色恋沙汰の話となると、管轄外だと内心焦る。
しかし、ぴくりと小さく肩を揺らしたシカマルに、当たってしまったのだと知る。
「なんだ、喧嘩でもしたのか?」
「いえ…」
だよなあ。
弱弱しく首を振るシカマルに、それでは一体?と思考を巡らせる。
「交際に、親が反対し始めた、とか…?」
「いえ…」
「他に好きな奴ができたとか言われた、とか」
「いえ…」
「あっ…もしかしてこないだ行ってもらった色任務のことがバレて…!?」
「…色…行ったんですか…?」
眉根を寄せたシカマルに、しまった、と口を塞ぐ。
そんなイルカの様子に、シカマルは苦く笑った。
「…って、俺に文句言う資格なんてないですけどね…」
自嘲気味に笑うシカマルの顔には、苦渋の色が滲んでいる。
「上手く言えないんですけど…聞いてもらえますか」
指をきつく組んで、シカマルはこの数ヶ月に自分に起こったできごとを吐露し始めた。
長期任務についてから、なぜかナルトのことを考えると憎しみが湧いてしまうこと
愛しているはずなのに、抱きしめてやることもできないこと
ナルトのことを傷つけたこと
彼の方から、別れの言葉を引き出してしまったこと
シカマルにしては、脈絡のない、まとまりのない話し方だったが、言いたいことは大体把握した。
「…それって、何か変な術でもかけられたんじゃないか?」
シカマルの、ナルトに対する溺愛っぷりは知っているつもりだ。
ナルトがシカマルの重すぎる愛に辟易して離れるならともかく、今回のパターンはあり得ない、と首を振る。
「俺もそう思ったんですけど、かけられたらわかりますよ」
これでも解部と二束草鞋で暗部もやっているシカマルだ。
実力はイルカだって重々承知している。
「でも、精神系の攻撃を受けたとしか考えられないぞ?」
それとも、とイルカは見上げるように問う。
「長く離れているうちに、愛情が薄れたか?」
「いえ…」
「他の奴らが九尾が憎いと囁くうちに、絆されたのか?」
「ちが…」
「だからお前も、ナルトが憎「違う…!!」
思わず立ち上がってイルカを睨み付けてしまったシカマルは、
言い切って、はっと息を呑む。
「すみません…」
「いや?」
言われた本人はけろりとしたもので、座れば?とにこりと笑う。
「じゃあやっぱり何か術か何か受けたんだろ。
お前が頭脳戦を得意とするように、精神系を得意とする者だっている。
知らぬ間に術をかけるなんて難しいことぢゃあないぞ?」
シカマルの尊厳を守りながら、そっと諭す。
すうと瞳を細め、イルカはシカマルではなくどこか一点を厳しい視線で見つめた。
イルカの視線の先にあるものを、シカマルは検索していく。
そして気付く。
その先にあるもの。
(火影室…)
「半年もあれば、それはそれはゆっくりと、狂わせることができるだろうなあ」
口元だけを歪ませて笑ったイルカを、
シカマルは初めて怖いと思った。
モドル