コチラ(融雪哀歌の「嫉妬」編)にも少し繋がってます。
見なくても読めます。
哀詩【その後】
落ちた夜の帳、
艶やかな街灯り。
子供が寝静まる、月がいちばん高く昇る頃。
闇を人工的な灯りで照らす街並みを飛び越え、いつもは金の、今は黒の髪を揺らし、小柄な体躯の青年、ナルトは音もなく走り抜ける。
辺りを確認し、目当ての店を見つけると、足場にしていた屋根を蹴って舞い降りた。
少し肌寒くなってきた。
ふるりと小さく肩を揺らして、羽織っていた黒の外套の紐を手繰り寄せて胸元で結ぶ。
薄い外套。
昼は少し動くと汗ばむくらいなのに、夜は気温がぐっと落ちる。
(ないよりはマシかな)
外套の中は、ぴたりと肌に張り付いたような肩の開いた暗部用の黒の上下。
今はからだを覆う外套で見えないが、しなやかなからだは歩くたびに人々の視線を奪っていた。
任務帰りではあったが、暗部で使用しているロッカーに必要な最低限の忍具は置いてきたため、腰のポーチだけと軽装だ。
元々大仰な得物は持たないし、使い慣れた銀線があれば事足りる。
今日こんな歓楽街にいる理由は、綱手からの頼まれ物を解部の長に届けるためだ。
シカマルの元を去って5年。
一度はこの故郷を捨て、砂の地で暮らし、再び戻って来た。
戻るつもりなど微塵も思っていなかったが、シカマルの努力か、我愛羅の思惑か、それとも運命か。
原因はどれなのかは知れないが、とにかくこの木の葉でまた生きることとなった。
ただし、“ナルト”としてではなく、“緋月”として。
世間では“ナルト”は故人となっているためだ。
綱手は、緋月を里外の長期任務についていたことにした。
今では家の中以外はほとんど緋月の姿で暮らしている。
任務も、基本は暗部一本なので、昼間の任務はあまりなく家事に勤しむ毎日だ。
もともと里人達は緋月がナルトであることを知らないし、髪と瞳の色を変えただけだが姿も知らない。
買い物に出ても、気付かれたこともない。
それを苦だとは思わないし、辛いとも思わない。
何しろ砂の地で暮らしていた頃からほとんど本当の姿で過ごすことをしていなかったし、“ナルト”の姿に未練もなかったからだ。
唯一、本来の姿に嬉しそうにしてくれるシカマルがいなければ、自分は四六時中緋月の姿でもかまわないのだ。
シカマルはナルトにとっての唯一。
それは昔も今も変わらない。
夜に浮かぶ白い手のひらを見つめ、今は傍にいないひとを想う。
漆黒の色を持つ恋人のことを思い浮かべる。
『なる』
あまいあまい、目眩を起こしそうな声。
いつもはきりりとつり上がっている目尻を緩めて自分を呼ぶのだ、彼は。
広げた腕に誘われて歩み寄れば、だいじな宝物みたいに抱きしめてくれる。
目を閉じれば、その姿も、空気も、匂いだって鮮明に思い出せる。
幸せの、いろ。
「あ…」
いけないいけない。
任務、とまではいかない、お使いを忘れるところだった。
緩んだ頬を引き締め、頼まれた書物を抱えなおす。
急遽、解部の長の確認が必要な書類があり、たまたま居合わせたナルトが帰宅帰りに届けることとなったのだ。
今日は長を含めた解部の部員達で飲み会を開いているのだとか。
ようやくキリのついた仕事を祝して街に出たのだと、留守番していた部員から聞いた。
ときおり解部の仕事を緋月として手伝うナルトは、部員にも顔を知られており、よく綱手のお使いに使われていた。
部員の方も、突然やってきても驚きもせず招き入れてくれるほどに。
無意識にシカマルを捜して、彼のデスクに視線を向けていたらしい。
留守番部員は、彼なら策謀部へ納品物を提出に行っていますよ、と教えてくれて、ナルトは思わず赤面した。
その姿に彼らは笑って、
待ちますか?彼も提出を終えたら飲み会に向かいますから一緒に行かれますか?
その優しい申し出に更に紅くなって、恥ずかしさに負け、先に行ってお届けしますと一目散に駆け出してしまった。
シカマルとお付き合いしています、なんて公言はしていない。
けれど、解部の部員達は自分達の空気や言動やらに察していたのだろう。
なんだかそれが、ひどく恥ずかしくて、少し―――嬉しくて、困る。
自分が彼と一緒にいることに、誰も嫌な顔をしなかった。
それどころか、微笑ましく見守ってくれているような素振りさえ。
彼らは自分が、里中から忌み嫌われているナルトであることを知っているはずなのに。
情報が集中する解部では、上忍でさえ知らされない特別な情報をも熟知していなければならない。
そのため、緋月がナルトであることは大体の解部部員が知っていた。
仕事上、緋月に纏わる情報が不要であったり、新しく入ってきた部員達はもしかしたら知らないかもしれないが。
それなのに。
優しい言葉をもらうたびに、泣いてしまいそうになる。
誰も自分の存在を疎んだりしないから。
何より。
自分がいることでシカマルが辛い思いをしなくて良い事実が。
嬉しいのだ。
目的の店を確認し、暖簾をくぐる。
明るいオレンジの灯りとともに、アルコールや料理、雑多な匂いが溢れている。
任務帰りだけに、普段より余計に五感が働き、色々混ざった匂いにくらくらする。
辺りを見回し、一番騒がしい座敷に神経を向ければ、数人の見知った気配をとらえ、そちらへ向かう。
(シカマルは…いないのか)
探った気配の中に、恋人のものは見当たらなかった。
もしかしたら、自分より早く到着しているかもしれないと、小さな期待をもっていた。
少し残念に思いながら、座敷の戸をそっと開け、ナルトは呆気にとられる。
既に泥酔して机に突っ伏している者、その彼にずっと話しかけている者、笑いの止まらない者、なぜか上半身裸の者。
ずいぶんと飲んだのだろう。
床にはおびただしい数の酒瓶が転がっている。
(まあ、どうストレスを発散させるかはひとそれぞれですけど…)
あまりにもな光景に、唖然とする。
すると、
「…緋月さん?」
かけられた控えめな声に、そちらを向けば、懐かしい顔。
「ハ…静…」
ハヤテ、と呼びそうになり言い直す。
目の前には、自分に嬉しそうに微笑む、かつて死んだとされていた月光ハヤテの変化姿。
今は“静”と名乗って解部で働いている。
ナルトの本来を知り、そして好きだと言ってくれた人物だ。
付き合い程度に嗜むだけのハヤテは、他の者と違って素面であった。
それにほっとして、お使いを頼まれたのだと伝える。
「そうですか、任務帰りでしたでしょうに、すみません」
「いえ、全然。大きなお仕事があったんでしょう?お疲れ様でした」
申し訳なさそうに謝るハヤテに、労いをかければ、嬉しそうに笑い返された。
「ありがとうございます。あなたにそう言ってもらえれば、また頑張れます」
(うぁ…)
正面きって微笑まれると、どうしていいのか困ってしまう。
照れてしまって言葉が出ない。
耳まで紅くしたナルトに、ハヤテは気を良くしたようで、ふふ、と笑う。
「今度、」
「え?」
す、と手をとられ、引き寄せられる。
「黒月を見限ったときにはぜひ、僕のところに」
ね…?
彼からは聞いたことのない甘ったるい囁きに、からだが、心が痺れたように動かない。
「…っ…それは、できま、せん…!」
「正しくあろうとしなくて良いんですよ?あなたが縋りつきたいほどに弱っていて、それが僕なら良いと思っているんですよ僕は」
たとえシカマルを好きなままであっても。
頼ってくれたらきっと自分は幸せなのだと。
心揺らぐ逃げ道を用意する。
「それは…俺にとって、都合が、良過ぎますよ…」
「良いじゃないですか、それで」
「良くないです…」
本当に困ってしまって、俯き潤み始めた双眸に、ハヤテが一笑して終止符を打った。
「まあ、そういうときが来たらぜひ、ということで。ね?」
「…は、い」
きっとそんな未来はないだろう、とハヤテは思っている。
やっと戻って来た恋人を、易々とシカマルが手放すはずがないのだから。
ただ、こうやって何か起きたときにナルトにとっての逃げ道を作ってやることくらいしか。
そんなナルトが悲しむような未来が来たときは、今度こそ自分が傍にいたいと思う。
せめて、そのくらいは良いだろう。
「長なら奥のカウンターで飲んでるみたいだから」
「え…」
「それ。書類、持って行くんでしょう?」
「あ…はい」
急な話題のきりかえに、一瞬呆けるが、当初の目的を思い出して、ハヤテにぺこりと頭を下げて長のところへ向かった。
カウンターには、解部長といつぞやの新人女性がけらけらと笑って盛り上がっていた。
新人、と言ってもあれから10年ほど経っているのだから、もうベテランの域かと思い直す。
まだ彼女が解部に入りたての頃、彼女とシカマルが一緒にいるところを見て嫉妬というものを初めて経験したのだ。
初々しい少女らしさはなくなり、代わりに艶やかな雰囲気が備わった。
媚を売る様は変わらないが、派手な化粧は以前よりいくぶん控えめで、彼女の顔立ちに良く似合っていた。
名はのちに知って、確か菫と言った。
何がそんなに面白いのか、爆笑している解部長に、あのう、と声をかける。
「お休みのところ、すみません。綱手様より預かって参りました」
「え?ああ、すまんね!えーっと…」
誰だっけ?とこめかみに指をつけ悩む長に、
「緋月です。暗部部員で、時々解部にはお手伝いに伺っているのですが…」
正直、ヘルプの要請を出している張本人のはずなのに酒が入っているとは言え自分をわからない長に呆れるばかりだ。
「ああ緋月君ね!そう、そうだった!悪い悪い、だってここ数年いなかったから」
帰って来てたんだねぇ、と屈託なく笑う長に、菫も、あ!と声を上げる。
「ああー!黒月先輩とよく一緒にいるひとだぁ」
仲良いですよねぇ、と腕を引かれる。
「んん?君、黒月と仲良いの?」
「ええ、まあ…」
仲良いの、なんて。
どうやら二人は、ナルトとシカマルが恋人であることは知らないようだ。
「ちょうど黒月の話をしていたところなんだよ〜。ねえ、仲良いんならさ、知らない?あいつの恋人が誰なのか」
「え?」
紅い顔で無邪気に尋ねられた質問に、ナルトは固まる。
「なんかさぁ、最近別れてた彼女とヨリ戻したらしくってさぁ。相手は誰なんだろうって話してたんだよ」
「そうなの〜。でも絶っ対、悪い女だと思うの!」
そうに決まってる!と言い切る菫は、いまだにシカマルに好意を抱いているのだろうか。
少しばかりの不安が生まれる。
「だって、5年も先輩のことほったらかしておいて、今更ヨリを戻したいだなんて、ヒドイ!!先輩が可哀想!!」
「だなあ。俺だったら願い下げだよ」
「きっと先輩が出世したから戻って来たんですよぉ。今は副長だし!次期解部長だし!!調子良過ぎですよっ!!!
おうちだって旧家の嫡男でお金持ちだし、そりゃあ良い物件ですよぉ」
「黒月はそういうのに疎いからなあ、気付いてないんだろうなあ。まあ、そのくらいのあざとい女なんて珍しくないけどなあ」
人生の先輩としてひとこと物申してやらねば、と意気込む解部長を、菫がカッコイイと煽り立てる。
その様子を目の当たりにして、ナルトは唖然と立ち尽くした。
つまり。
…つまり?
シカマルの恋人である自分、は、
あざとく性格も悪く調子の良い、シカマルの出世を耳にしてヨリを戻した、金目的で付き合っている者だと思われているのか。
泥酔しているからとは言え、
(勝手な、ことを言う)
ぶわり、とせり上がる怒りを霧散せずに纏うナルトに、泥酔状態の二人は気付かない。
後ろでハヤテとまだ意識のある部員達が、殺気を察知してこちらに意識を向けたようだ。
以前ならこういうとき、自分はただただ悲しみに暮れて受け入れていたものだが、一度は里を捨て仲間を捨て自分の命さえも捨てた身。
この世の全ての不幸は自分のせいなのだと思っていた時期もあった。
自分さえいなけでば皆幸せになれる。
そう、本気で信じていた頃だって。
でも知ったのだ。
自分が死のうが生きようが、世界は自分ひとりのちっぽけな存在などかまわず回り続けるのだと。
それに気付いたら、もう我慢しなくても良いのだとわかったのだ。
必要な我慢はある。
けれど、不要な我慢を両手広げて受け入れる必要などないのだ。
そう、まさに今。
目の前で好き勝手、自分とシカマルのことを詮索し真実も知らずに自分の存在を汚す二人に、怒りを隠す必要などない。
目の前では、今もなお話に花を咲かせる解部長と菫。
「しっかしどんな女なんだろうなあ、あの堅物を落とすほどなんだから、よっぽど美人なんだろうなあ」
「美人かもしれないですけど、きっと性格最悪なんですから!」
「だなあ。で、知ってる?緋づ…」
言いかけて、長は思わず口を噤んだ。
ナルトの佇んでいる方へと視線を投げれば、先ほどまで微笑みさえ浮かべていた緋月は人形のような無表情でもってこちらを見つめている。
纏う空気はまるで氷。
いつもの、傍を通り過ぎるだけで和むような柔らかな空気が嘘のよう。
あまりの威圧感に、酔いがふっとんだ。
「書類、確かにお届けしました。では、俺は帰ります」
くるりと背を向け、それと、と短く聞こえた声。
「来週に入っている解部でのヘルプ3日間、無理になったので他をあたってください。では」
ぺこりと頭を下げ、瞬身で消えたナルト。
そして後ろから上がる悲鳴。
『長あぁあああああああ!!?』
「な、なんだよ…?」
座敷で飲んでいた部員達が、あんた何してくれてんの!?と口々に責め立てる。
何故責められるかがわからない長は首を傾げるばかりだ。
「長のせいで緋月さんのヘルプなくなっちゃったじゃないですか!!」
「ええ…?俺のせいって…あいつに用ができたからだろ?無理になったっつってたじゃねえか!」
本当にわからない、と顔に出ている長に部員は呆れるしかない。
「長…黒月の恋人は、緋月さんですよ」
きちんと丁寧に説明しないと、きっと伝わらないと判断したハヤテが溜息とともに説明する。
「そのこと知らないのは、あなたとそこにいる菫くらいですよ。
見てたらわかるでしょ、雰囲気とかで。仮にも忍なんだから」
そして仮にも里中の情報を集めて保管する場所を統括している長なのだから、とは心の中だけで付け足した。
目の前の解部長はやっと理解したらしく、とんでもない失態に放心状態だ。
しかも、温厚で真面目ね緋月の姿しか見ていなかった解部長は、まさか私情で仕事をボイコットするとは思いもしなかったようで唸ることしかできない。
対して、菫の方は、えええええ!?と何テンポも遅れて驚いている。
「あのひとが黒月先輩の恋人!?えっ?だって、そもそも男じゃない…?あんなのに、私負けたって言うの?」
ナルトは知らなかったが、菫は何度かシカマルに交際を申し込んでいたらしい。
交際を飛び越え、嫁になりたいとずっと言っていたことは、解部の中では周知の事実だ。
「あんなのって…お前あのひとがどれだけ俺達に尽くしてくれてるかわかってんの?」
菫の言葉に不服なのはハヤテだけではなかったらしい。
文句を言ってやろうと口を開いたハヤテより早く、他の部員が嗜める。
「暗部の傍ら、毎月何日か手伝ってくれてさ。だから俺ら全員、毎月何日かずつちゃんと休みもらえてんだぞ?」
「なあ。前は休めても半日だったもんなあ。たまに黒月がフル稼働して無理矢理休みくれてたりしたけど」
元々は、シカマルに会いがてら立ち寄って少し手伝うくらいだったのが、その才を認められヘルプの要請が来るようになった。
どうせ家にいたって特にやることもない。
そんな持て余した休みの日を利用して、ナルトはよく解部の仕事を手伝いに来ていた。
シカマルの負担を減らすことができるし、傍にいることもできて一石二鳥とも思っていた。
「あとさ、ちょうど良いタイミングでいつもお茶出してくれんだよな」
「わかる!見計らったように出てくるよなあ、いつも」
口々に褒め称える部員達に、菫は面白くない。
愛らしい唇を尖らせ、
「そんなの、私だっていつもお茶出してるじゃないですかあ!」
「…まあ、うん。出してはくれているけど…」
薄いときもあれば濃いときもある、毎回ハズレか当たりかを危惧しなければならないお茶は必ず温い。
書類の散らばる部屋は、散らかしたそれぞれに非はあるが、適当な隙間に置かれた菫の茶を部員達はよく躓いて零していた。
ひとこと声をかけてくれれば良いのに、とも思うが、淹れてくれた手前、皆心にそっとしまっていた気持ちだ。
その点、ナルトは手渡す際に必ず声をかけるし、大丈夫ですか?少しだけ休みませんか?と労いの言葉をくれる。
朗らかな笑みに、性別がどうのなどは関係なく癒されていた。
「訳すのに必要な巻物とか、言ってないのにすっと何気なく取ってくれたりさ」
「先回りできるんだよなあ。すごいことだよ」
うんうんと頷く部員達。
「何よぉ、そんなの、私にだってできるんだから!」
じゃあしろよ、とは誰も言わない。
あとで宥めるのが面倒だからだ。
ひとつ溜息をついてハヤテが引き継ぐ。
「…菫さんがいつも徹夜明けに食べてる朝飯とか、たまに置いてあるお重の夜食とか、差し入れのお菓子。
あれ全部緋月さんの手作りですよ、知ってました?」
「えっ?そうなの…?」
そう言えば、と時々置いてある既製品ではない菓子類を思い出す。
どれも確かに美味であったし、てっきり解部長の奥さんの差し入れと疑わなかった。
まさにぐうの音も出ない。
「お疲れ様っすー…て、アレ?もうお開きっすか?」
菫が黙ったことによりひとまず落ち着いた場に、策謀部から戻ったシカマルがやって来た。
気まずさに皆ハッと酔いも醒めるが、何と言ったら良いのか言いあぐねた。
解部長と菫がシカマルの恋人だと知らず、緋月を傷つけ怒らせ帰ってしまったと、誰が言えよう。
「な…何?」
どういう空気なのこれ。
ひとり事情がわからないシカマルは、その場の微妙に重い圧に困惑中。
「追いかけてください!!!」
響くハヤテこと静の声。
とんでもなく既視感を覚える。
事のしだいを簡潔に伝え、シカマルは一度だけ寄せた眉間に手を当てながら、礼を言って店を出て行った。
座敷の中は、やや醒めてしまった酔いを取り戻そうと各自自席に戻って行った。
「またいらぬお節介をしてしまいましたね…」
ああ、いつも損な役回りを買って出てしまう。
けれど。
それでナルトが少しでも喜ぶ未来になるのなら。
それならいつだって、仕方ないなあとひとつ苦笑して終えられるのだ。
空になったグラスを手にして、ハヤテも席に戻った。
一方、店の外に駆け出したシカマルは、思ったよりも随分と早くナルトを見つけられた。
店の門前、緋月の姿で頬杖をつきながらしゃがみこんでいる青年がひとり。
膝を抱えて、シカマルの存在に気付くと、普段は見せない拗ねた表情。
頬を少し膨らませ、不満気な双眸をシカマルに向ける。
「…ここにいたんだ?」
同じようにしゃがみこみ、覗き込むように表情をうかがうと、ふいと顔を背けられる。
地味に傷ついたが、もっと傷ついているのはナルトの方だろう。
「ごめんな。解部長とかが色々言ったんだって…?」
気にするなよ、と柔らかな髪を撫ぜると、背けた顔はそのままに、ナルトが口を開いた。
「…いいんです。今度のヘルプ、しないって断ってやりましたから」
ちょっとだけ困ればいいんだと、そう漏らしたナルトにシカマルは思わず笑いそうになって堪えた。
(それはまあ…なんつうか、可愛い仕返しだな…)
現在は正式に要請を出しているようだが、元々はナルトの親切心から成り立っていたものだし、こちらとしては棚ぼただ。
断る権利はおおいにナルトにあるのに。
以前なら完全に泣き寝入りしていたことを思えば、たいした進歩であろう。
「そうか…来週はお前が来ると思って楽しみにしてたんだけどなあ」
ちょっとわざとらしかっただろうか。
楽しみ、という部分をやや強調して呟いてみれば、困ったように振り向く。
紅い頬で、潤んだ瞳の奥では、少しの後悔と嬉しさとが交じり合って揺れている。
「…1日、だけなら…手伝ってあげます…」
耳まで紅くしてナルトが俯く。
小さく漏らした譲歩に笑って、小さな肩を覆うように抱きしめた。
するとナルトもシカマルの胸に擦り寄る仕草を見せる。
「そか。すげぇ助かる。いつもありがとうな?」
優しく優しく頭を撫ぜたら、ほんの少し口元が緩んだように見えた。
そして、そっとシカマルの腕をほどき、立ち上がる。
「…帰ります。シカマルも、もう戻ってください」
「一緒に帰るよ」
「何言ってるんですか」
そんなのダメです。
「どうして」
「どうしてって…」
あなたが俺と一緒に帰る理由はきっと、俺を慰めるためなのでしょう?
自分の取った行動で招いた結果なのだから、気を遣ってもらわなくとも良い。
困ったように眉を下げ、いつの間にかまた掴まれていた腕を見下ろす。
手のひらの熱が伝わって、じわりとそこだけが熱い。
「俺がお前と、ただ一緒にいたいんだよ。いいから帰ろーぜ」
そう言ってさっさとナルトの手を取って歩き始める。
「ちょ、待って、シカマルっ…」
明るい電飾、月が高く昇っているのに明るい街中。
自分達の姿が明るく照らし出されていることに、ナルトは困惑した。
誰かに、見られたら。
どうするの、ねえ。
シカマルが根も葉もない噂に晒されるのは嫌なんだって、必死で言うのにシカマルは繋いだ手を離してくれない。
通り過ぎる里人達が、シカマルを見て奈良家の嫡男だと噂する。
一緒にいるのは誰なのだと不躾な視線を寄越し、値踏みする。
なんだか居た堪れなくて、恥ずかしくて、でも嬉しくって、泣きたくなって、俯くしかできない。
振り払おうと思えばそうできるこの熱を離せないのは自分なのだ。
―――そうだ、もう、
無理なんだ、離れることなんて――――
答えなんてわかってた。
だけど否定しなければ、シカマルが幸せになれないって言い聞かせて。
でも本当は、こうやって強引に手を引かれることにひどく安堵している。
繋がれた手のひらを、少しだけ握りかえすと、シカマルが驚いたように振り返り、そのままぐいと近くの細い路地に引っ張った。
自宅ではない方向に引き寄せられた路地は、大通りから切り離されたかのような異空間。
数歩先の大通りは生き生きとして明るく、対して路地の中はまるで遠い切り離された世界に思えた。
昼間でも陽の当たらない路地内は、空気がひやりとして肌が粟立つ。
引かれる腕はそのままに、大通りの灯りが入らなくなったあたりで石の壁に押し付けられる。
「えっ?シカ、ま…」
片手は繋いだまま、もう片方の手でナルトの肩を壁に張り付け、唇を奪う。
何が起きているのかわからず、シカマルのなすがままであったナルトは、ことの次第を理解して首まで紅くした。
外で、それも数歩歩けば夜中でもまだまだひとの往来が絶えない大通りがある場所で。
「んっ、しかぁ、んんっ…ぷぁ、ぁ、あ…」
吐息さえ奪って口内を舐られる。
逃げられないようにナルトの足を割って、シカマルの片足がぐっと抑えている。
もうこれ以上後ろへは行けないのに、体重をかけられ息苦しさと口付けの酸欠に、ナルトは意識が朦朧としてきていた。
さすがにこれには気付いたのか、名残惜しげに唇を舐められ、そっと舌を抜かれた。
「ん、はっはぁ、あ……」
すっかり酸欠になっていたナルトは、涙で潤んだ瞳でシカマルに、どうしたの?と問いかけた。
「ん、なんでだろ…急にしたくなった」
額にひとつ口づけを落として、シカマルは困ったように笑った。
さっき握り返してくれた手のひら、離したくないって言ってる気がして、そう思ったら、つい、と。
その言葉を聞いて、ナルトは驚いて。
そして嬉しくて目尻を紅く染めた。
だって、確かに自分はそう思ったから。
誰に何を言われたって、結局自分はシカマルの傍にいたいんだって。
じゃあ離れずに生きていくことを甘受するしかないんだって、気付いた。
低い気温が気持ち良いくらいにからだが熱い。
それはシカマルも同じようで、互いに顔を見合わせ、苦笑した。
「帰るか」
「…はい」
再び手を取り合って、大通りへと戻る。
そして同じように自分達を見て噂する人々。
不安の色を浮かべるたびに、シカマルが繋いだ手の力を握り返すから、大丈夫だって思える。
本当の姿でなくても大丈夫。
シカマルは隣で笑ってくれるから。
更に深くなる夜の帳。
艶やかな街灯りの中、影がずっと繋がって歩いていた。
モドル